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存在しない貝柱と70年代のドッペルゲンガー

貝ベッドのラブホテル

東京都墨田区錦糸町

2000.4.8


 学生時代からよく行っていた町田駅前の高原書店という古本屋で、ある本のカバーの袖に掲載されていた古い映画のスチール写真が気になり、そのためだけに買ってしまったことがあります。ようやくその映画を見たけれど、退屈で居眠りしてしまった。目が覚めてから、自分はあのスチール写真が好きだったのだと気がつくのです。

 そんな、やけに惹かれる存在しない映画のスチール写真を、自分たちで撮れたらいいのに。例えば架空のサスペンス映画の奇妙なワンシーン。双子のようによく似た背格好の女が、おかしな場所で何かしているだとか。

 名画「ヴィーナス誕生」を気取れるような、巨大な貝のベッドがある部屋で、そんな写真が撮れないものか。私たちは大きな旅行カバンを抱え、錦糸町のとあるホテルへ向かっていました。土曜だったのでちょっと料金は割高でしたが、ふたりとも会社が休みなのは今日だけだったので仕方がありません。

 卒業後のフリーター期間を経て、とりあえず定職についていた2000年。会社がえりに、渋谷のブックファーストで立ち読みした「ブティックホテルガイド」の中で、昔から噂に聞く「貝殻のベッド」を見かけて興味が湧いたのです。写真からは特有のギラギラしたムードも漂っていましたが、本を隅々まで見て、いくつかあった貝のベッドの部屋からここにしました。

 夕暮れ時の錦糸町は春なのにとてもわびしく、週末と思えないほど人影もまばら。背後からじわじわせまる夕闇、さびれた通りですれ違うのは、薄い色つきメガネに口髭、ハンチング帽に灰色ジャンバー、丸めた新聞紙に歩きタバコなどの、会社のある青山や渋谷ではあまり見かけない風貌の男性たち。私たちは夜明かしにそなえて、ホテル近くのコンビニでおにぎりやお茶などを調達しました。

 部屋のドアを開けると、窓がひとつもない冷えびえとした真っ暗な空間。手探りでやっと見つけたスイッチをつけると、6畳くらいのサロンスペースの奥に、ガイドブックにも載っていた巨大な赤い二枚貝のベッドがありました。写真よりもずっと上品で落ち着いた色あい。貝の両側に厚手で無地の黄ばんだカーテンが幕のように垂れ下がり、その大ざっぱな形状を目隠しで誤魔化そうとしているさまなどは、古い遊園地のアトラクションとも通じます。貝殻のボリューム感、特に横から見た時の巨大なフタの厚みがとにかく異様ですが、「貝殻のベッド」を現実化するうえで、支柱なしで貝が開いた状態を維持するには必要な措置だったのでしょう。利用者からは死角にあたる貝殻の裏側にまわるとその巨大なフタ部分ぜんたいも、どんよりしたピンク色で塗装されているのが見えて、圧倒的な虚無感。白い木製の天蓋、磁器でできたシャンデリアの模様などは細部まで丁寧に作り込まれ、床を覆っている毛足の長い、赤と黒のバラ模様の絨毯は、行ったこともない東欧の国や洋画劇場で見た70年代の外国映画を連想させます。この愛らしいものたちが、闇の中で幾多の出来事を黙って受け入れ、見守ってきたのかと思うと、想像もつかないだけに胸を打たれ頭が下がりますが、暗くて寒くて、いるだけでなんとなく不調をきたしそう。

 ベッドに小花柄の湿気った円形布団が一組敷いてあり、邪魔になってカーテンの向こうへ落としたら、布団の下から時代を感じさせる染みつきマットが。と同時に、それとベッドの隙間に、長い年月をかけてびっしり詰まったと思われるおびただしい量の人間の体毛を見つけてしまいました。その直後からわたし達は、できるだけ明るく振る舞って、自分たちの無頓着さに意識を集中するよう努めたのです。

 お湯が一滴も出なかったので風呂は使えず。暖房も壊れていて、朝方には寒さのあまりカーテンの向こうへ落とした布団を拾いなおし、それに二人で挟まって、チェックアウトまでのわずかな時間を凌ぐのでした。


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ベッドの枕元に有線のボリュームや電気スイッチがあったと思う


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救世軍バザーで手に入れたドレス 背中のファスナーがあがらなかった


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着物のような形のドレス ポピーの花畑がプリントされている


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避妊具販売機と古いゲーム機


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カラオケも画面には何も映らず、K子は砂嵐を見ながら歌っていた


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