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夕凪の甲板を疾走する影は、軍手で作った海賊の指人形を握りしめる

氷川丸

神奈川県横浜市中区山下町山下公園地先

2004年〜2006年

 1970年代の終わる、小学校低学年の夏休み。昨年101歳で亡くなった祖母が私と3歳下の妹を、横浜の山下公園に停泊する氷川丸に連れて行ってくれました。でも、ほとんど記憶がありません。妹と祖母と3人で、広い甲板のベンチに座ってクレヨンでスケッチした、向かいに停泊する大きなフェリー「さんふらわあ号」の方が印象にあります。祖母が真剣に絵を描くのを初めて見た私は、思いがけずうまいことに驚くのですが、すると薬剤師だった祖母が、子供の頃は絵描きになりたかったのだと教えてくれたのです。

 2004年秋、会社を辞めてしばらくたち、私は祖母のいる実家でぶらぶらしていて、ふと氷川丸のことを思い出しました。K子は実家で猫を多頭飼いしながら、闘病中のお父さんを看病していた頃。卒業しても私たち2人は撮影を理由によく会っていましたが、Uちゃんとは、なぜだか会うことが少なくなっていました。

 再び訪れた氷川丸の巨大さ、複雑で素晴らしい構造には圧倒されました。1930年に建造され、チャップリンや皇室の人々も乗船する、本格的なアールデコ様式の豪華客船。そんな黄金時代を過ごした氷川丸は、戦争を機に病院船となり、戦傷病兵を収容・輸送。戦後の食糧難には米の輸送などもして、1960年に航海を終えます。その後は横浜のシンボル、重要文化財になり、建造した日本郵船の管理のもと現在(2021年)も山下公園に停泊・一般公開されているのですが、実はこの船は2006年に一度閉鎖しています。そして私とK子の知っているのは、戦後からその2006年の閉鎖まで別会社が経営していた、ユースホステルとして宿泊でき、紙コップのジュースやコーヒー、アメリカンドッグ、ソフトクリームを出す軽食コーナーがあり、今では重要文化財になった豪華なアール・デコ様式の一等室を格安で貸し出していた、昭和の観光地だった氷川丸。

 宿泊できたのは73年までだったので、泊まれはしなかったものの、私たちは格安で貸し出されている本物のアール・デコの部屋をどうしても借りてみたかったのです。良いアイデアはないかと頭を悩ませたものの、何も思いつきません。いちかばちか「船上パーティ」というぼんやりした企画をでっちあげて日時を決め、管理事務局に申し込んでみたところ、あっさり許可が降りました。宴会ならケータリング会社も紹介できます、と、優しい職員さん。私たちは慌てて、12月11日の船上パーティに向けて準備を始めました。

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K子の手帳

 場所を借りた以上、会費をとって人を集めなくては、格安でも私たちは無職なのです。デッキのカフェテリアで管理会社の人と打ち合わせをしたけれど、紹介してもらったケータリング会社のパーティメニューはピンと来ないし、金額的にもちょっとしたオードブル、唐揚げとビールが精一杯。パーティに余興はつきものですが、実家にいて写真を撮りに行く以外は派手に出歩くこともない私たちに、余興をできる知り合いも皆無。まず誰彼構わず声をかけ、船上パーティをするので来て欲しいとメールしました。これそうな人には氷川丸の写真を使って招待状を作り、当時、金や銀や白など特色も使えて印刷に近いと言われていたアルプスのプリンターで「2004年12月11日 海鳴りの夕べ 会費 3000円 歴史的な本物のアール・デコのお部屋での船上パーティ ドレスアップしておいでください」と記したものを刷って送りつけ、また、そのためのホームページも立ち上げます。そうこうしているうち、11月も半ばを過ぎていました。

 アナウンス用の金色のマイクは1000円で買いました。そのマイクで「どうぞ、こちらでくつろぎながら、この素晴らしい氷川丸の中をご堪能ください」とご案内するのです。何よりもこの船を体感してもらうのが、一番の目的でした。ケータリングでは味気ないと、マツヤのロシアチョコレートをK子が注文するし、クッキーも焼いてくる。もしかしたらK子のお母さんがローストチキンも作ってくれる。BGMのためのCDラジカセは入手したし、海にちなんだ曲を集めたMIXテープも2人で準備した。でも余興、海にちなんだ何か。船だけでも来てくれた人は十分満足してくれるはずだけれど、それプラス、余興のアイデアが浮かばない。11月の終わり、私はついに思い立って、Uちゃんに電話をするのです。泣きついたと言ったほうが正解だったかも。

 Uちゃんとは卒業後も数年に一度はひょっこりと会ってお茶を飲んだりしていたものの、だんだんと疎遠になり、それでも私はK子と写真を撮っていることも告げていたし、Uちゃんに誘われて江ノ島に猫を見に行ったり、歌舞伎町の名曲喫茶スカラ座が閉店する前に連れて行ってもらいもしました、それが2003年。また1年以上も音信不通でいきなり電話して、何かアイデアだけ欲しいと頼むのは虫が良すぎる気がしたし、電話して誰にも使われていない番号になっていたら、と思うと怖くもありました。

 Uちゃんは寒そうな暗い声で電話に出ました。まだ、あの黒電話は繋がっていたのです。ホッとして近況を聞くと、少し弾んだ声で色々話してくれました。特殊印刷会社に入ったけれど、思った部署にまわされず、進行管理をさせられて困っているなど。働くことが面白くはなさそうでした。私はおずおずと10日後に迫ったパーティのことを打ち明け、ぜひきて欲しいと思っているのだけれど、と、言ってから、実はいまだに余興のアイデアが出なくて困っている、海が好きなUちゃんなら何かアイデアが出るんじゃないかと思っているのだけれど、この企画を一緒にやれないものか、と唐突に誘ってみたのです。しばらく間を開けてからUちゃんは「なんか楽しそうなことやってていいなあ」と言いました。それから「あのさ、ここでアイデア出したら、これからはこういう時、私も仲間に入れくれる?」と、聞かれたのです。

 2日後にパーティの迫った夜遅く、今はもう無くなった、国分寺と武蔵小金井の間の踏切のところでK子とUちゃんは落ち合いました。仕事終わりのUちゃんが、余興に使うコインチョコを大量に持ってきてくれたのです。Uちゃんのアイデアは「海賊船の宝箱を用意して、にせものの真珠のネックレスとかコインチョコがザクザク大量にはみ出している中に、プレゼントを入れたらどうかな。うちにも今、いらないコインチョコが結構あるから、それもあげる」というもの。何かゲームをして、海賊から宝を奪い取った人が勝ち。私たちはネットで宝箱を探して手に入れ、また、ゲームも考え、会社員時代の友人に海賊役もお願いし、了解も得ました。K子はそのゲームに使うために、軍手から切り出して、縞模様の服を着た片眼の海賊の指人形を毎日何体も作り(K子の手帳に書き込んである「かいぞく20コ」はその日作った数のカウント)それからコインチョコも立川に買いに出かけたけれど見つからなかったので、今やUちゃんの持っているぶんだけが頼りだったのです。K子の会ったUちゃんは、全身黒ずくめのパンツスタイルで、長い黒髪を垂らし青白い顔をした修道女のようだったそう。そして、パーティには仕事で行けないけど、コインチョコをカンパするから頑張って、と、優しく励まされ、暗い夜道で別れたそう。なのに、私とK子は、Uちゃんとはそれ以来、会うことはなかったのです。

 2004年12月11日土曜日 オープン18時、スタートは18時半。

 当日はゆったりと元町の喫茶店で待ち合わせをして、進行を最終チェックし、お客さんたちよりも1時間前に会場に到着。ステージに見立てた場所に宝箱やプレゼントを置いて、貝がらや、漁師あみのような飾り付けをし、テーブルには花びんと花をセット。K子のお母さんが作ってくれたスモークチキンも大皿に盛り付けました。ラジカセで準備してきたMIXテープをかけると、ケータリングが到着。なかなか立派なオードブルを給仕さんたちが運んできます。私たちはパーティ会場の脇の小さな階段を降りたところにある、関係者しか入れない、やっぱりアール・デコ様式のとても小さなスモーキングルームで着替えを済ませて、お客さまをお迎えするのです。

 私とK子は、18時半、汗だくになって元町商店街を疾走していました。遅刻したのです。喫茶店で待ち合わせなんて全く不可能でした。最寄り駅にタクシーで向かう途中、実家の近所のCDショップ「すみや」で一等賞の商品、CD券5000円分にリボンをかけてもらって受け取り、横浜線に飛び乗ったのが18時。山下公園の最寄り駅についても、元町商店街の古いお菓子屋さんで予約した洋菓子をピックアップしなくてはなりません。ふたてにわかれもせず、ただひたすら全ての予定を遂行するため一緒に走る私たち。K子の旅行カバンに入っているホイルに包まれたローストチキンからは香ばしい匂いが漂って、キャリーカートに積んだCDラジカセと木製の重たい宝箱がガタガタ揺れています。19時を過ぎて裏のタラップからこっそり乗船し、ボロボロの革のコートと汚いズボン、両手には大きな荷物を抱えて船底の暗くて恐ろしいトイレの間を駆け抜け、会場の脇を走り抜けると、心細そうな顔で座っている正装した人々がガラス窓からチラリと見えました。私たちは、細い暗い小さな階段を転がるように駆け降り、誰も入ることのできない魅惑のスモーキングルームに飛び込んだのです。


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マストと旗 2006年の閉鎖日は晴天だった


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甲板に無造作に置かれた古いテーブル


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金のフレームの窓から中のランプが見える


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甲板から古い木のドアを一歩入ると豪華な螺旋階段 八角形の窓


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甲板の喫煙スペース


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社交室の閉ざされた出入り口


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白と水色 絨毯は赤のマリンカラー 

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無性にのぼりたくなる階段 通行禁止

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低い天井に配管が走る細い通路 両側が古いお手洗い


古いバスルーム

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独特な窓の形


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入ることのできない古い客室

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アールデコの喫煙室

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当時使われていた銀の食器が展示されていた

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順路のサインに使われている船の模型


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地下動力室 古いコンパクトカメラで撮ったらおかしな日付が入った

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ここも通行止め


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デッキから眺める横浜


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上の方の船長室の近くにあった機械室


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ひと気のないデッキ 当時あちこちにあった灰皿

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緑色の床


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美しく輝くタラップ


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