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電力システム改革で何が良くなったの?

安定した電力供給に対する使命感が高い電力会社の人間ほどこのように感じるのではないかと思う。かくいう私にもそのようなことをつぶやく人間が近くにいる。

何が良くなったのかのか。語弊を恐れずに言えば「何も良くなっていない」のではないかと思う。

そりゃそうじゃないか。

人間が活動する上で必要な電力というのは統計的に十分なデータが取れていて、最低限必要な分はベースロード電源ということでずっと回しておくのが効率がいいし、夏場の昼間とか特に電力需要が高いところでは出力を変動させられる電源に任せばいい。その前提を変えなければ、長期で資金回収できるように計画的に設備に投資し、国民から平等にお金を徴収する。

性善説に立てば、分業社会においてこのやり方が最も効率的だ。

だが電力市場における前提が変わった。今までと同じように電力という商品を見ることができなくなってしまった。

どんな前提かと言えば

①原発事故後、電力会社の信用は地に落ちた。今までどおり彼らに任せておけなくなった。国民は自己防衛の為に知識をつけ始めた。

②電力は誰でも作り出せる時代になった。その結果規制が無くなり、無数の電力会社が誕生した。一家庭レベルの発電所が建ち、電力をビジネスと捉える者によって大規模な発電所もでき始めた。発電所を建設・運営を計画的に行うことができなくなった。

脱炭素の流れが加速した。ベースロード電源であってもCO2を排出している電源は使いづらくなった。

こんなところだろうか。文字通りの改革が国民の意識レベルで起こっていることを実感する。

でもそれで割を食っているのは安定供給を担う電力会社なのではないかと思う。

「誰も君らのことは信用してないから一旦今までのやり方を壊すよ。それでもなんとかうまくやってね、停電は許しません」

これが国民の総意だろう。過渡期において割を食う者は一定数必ずいる。でも当事者である彼らからすれば「今までで何も悪くなかったのに、電力システム改革で何が良くなったの?」と思うことだろう。

その結果としての現在の電力市場を「複雑怪奇だ!」と断ずるつもりはない。これからは個々人が電力を管理する時代。制度が多少複雑になるのは仕方がない。そして国民の総意と電力の安定供給を共に実現させるために、国は制度を介してうまく我々を誘導してもらわなければならない。

要は金が動く世界であり、これからはよりビジネス色の強い世界になるだろう。儲かるやつと損するやつがはっきり分かれる世界になる。

平等が叫ばれている時代にある意味逆行しているのかもしれない。

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