魂はドイツに置いてきた。

全世界が熱狂する世界的イベントが
サッカーW杯。

なにをかくそう、僕は
バリバリのサッカー小僧だった。

イナズマイレブンの円堂守ばりに
「朝5時」起きの朝練から
ボールが見えなくなるまでの
夕方6時過ぎまで
毎日毎日丸一日ボールを蹴っていた。

僕には2人のヒーローがいる。

彼らのようなプレイがしたくって、とにかくプレイを真似して研究して、試しまくった。

そしていつかW杯に出る。
W杯で優勝する。

サッカーの競技人口の多さは世界最大。
どこの国でもサッカーは知られている。

オリンピックに匹敵する…なんて
言われているが、個人的にはオリンピック以上だと思う。

W杯も知らなかった94年。
酷暑の中のアメリカW杯。

イタリア代表こと
「アズーリ」が大好きだったぼくは
あのポニーテールの10番が1番好きだった。

彼の名はロベルト・バッジョ。
ここでいう必要もないほど伝説的なプレイヤー。

教員たちがお昼休みに
悲鳴を上げた画面の中で
彼はpkを明後日の方向に蹴り上げた。

誰も彼もが「まさか彼が!!」
と口を揃えて言う。

うなだれる彼の背中の10番の数字が全てを物語っていた。

その後の戦犯扱いは、それはそれは目を覆いたくなるものがある。

彼は何度もピンチのアズーリを救い、時にはトリッキー、時々ズルいプレイヤーだった。

ヒョロヒョロなカラダではあったのだけど、もって余るほどのテクニックがある。

なにより、ボールを持った時に
なにかしてくれるんだ、という期待感を持たせてくれる。勝っている時はより引き離し、負けている時はとにかく頼みの綱。

なにかしてくれる。
なんとかしてくれる。

この両方をバッジョは持っている。

彼を知った時W杯。
それに出たい。と強く願った。
彼のようになりたいと、少年誌のヒーローに憧れる主人公みたいに、心に突き刺さった。

サッカーが人気にもなりクラスの男の子たちは
みんなサッカーサッカー。

そしてみんなでW杯に出たいねぇ〜
なんて言い合っていたけど、子供ながら本気だった。マジでW杯に出られると信じて疑わず、必死で練習しまくっていた。

ぼくは残念ながら腰を痛めてしまい
プレイを続けることはできなくなったが
サッカーへの情熱はいかんせん高い。

高校ではサッカー部がないので
先生を説得してサッカー部を作り

卒業後は
当時監督だった先生と一緒に
サッカーのチームを立ち上げた。

先生業は激務なので
数回試合をしただけで無くなってしまったが
サッカーができた幸せは今でも忘れない。

少しずつ身体も老いてきて
存分にプレイ出来なくなっていたが
サッカーへの想いは
「ウイニングイレブン」というコナミから発売されていたサッカーゲームへと移っていた。

使用チームはもちろんアズーリ。
バッジョはいたのかいないのか忘れたけど
毎晩毎晩アズーリをインターナショナルマッチで優勝させていた。

だんだんと友達も巻き込み
毎週土曜日はうちでW杯が開催。

広くもない部屋に男8人が密集し
てんやわんやでサッカーについて毎晩、毎週、
語り尽くした。

卑怯なプレイには取っ組み合いのケンカになったりしていたが、みんなW杯に出たかった少年たちだったから、それも致し方ない。

みんなもいい大人になり
それぞれの生活が始まっていたのだけど

ドイツW杯には
お互い連絡しあい、ケータイで日本代表について話す。

ジーコ監督には正直不安でもあったのだけど
ここまできたら信じるしかないよね、とみんなの意見は一致。

結果は、みなさんが知っている通り。

そこでもう1人のヒーローが
試合終了と共に倒れこんだ。

中田英寿。
日本サッカーでは異形ともいえるプレイスタイルで世界を駆け抜けた。

日本のプレイヤーはいかんせんもどかしい。
相手に合わせすぎるから、いつも開幕30分は強い。でも全力すぎて、後半もたない。

圧倒的にゲームプランが組み立てられない。
なにより、勝ちたいのか、やり過ごしたいのか、よくわからない。

勝ちたい!という割には意志が見えない。

日本人は、「必死」という言葉を嘲笑うかのような風潮がある。必死だね(笑)みたいな。

中田もどちらかと言えばそちらのタイプで
クールさがウリのニヒルなプレイヤーだと思う。

でも彼には明確な意志がある。

勝つ。

ただそれだけ。
時には味方のいないところにパスを送ることでも有名だったスタンドプレイヤー(1人よがり)とも言われたが、味方に届かないこそすれ、相手側からすれば非常にヒヤヒヤするパスなのだ。

それもこれも「勝つ」ためだ。

日本のプレイヤーから
こんなにも熱いものをもった人が現れるなんて。

少し脱線するが、僕は海外の人とサッカーをしたことがある。誰一人知らない、日本で働いている人たちだ。

ソロ練していた時、一緒にやろうと声をかけられた。国もバラバラ。トルコ、アルゼンチン、ブラジル、あとチリ。

どこもかしこもサッカーが強い国だ。さぞかし上手い人たちかと期待したが、

まともにドリブルもできない。
ボールを蹴るのも一苦労。
そのテクニックの低さはとにかくビビった。

期待を裏切られた感じだったけど
僕はボールに触っていないことに気がついた。

どこかで「誘われたのだからボールくらいくれるでしょ」とたかをくくっていたんだと思う。

でも一向に来ない。
今フリーだからよこせと言っても来ない。
完全にアウェー。
まだ日本だから安心感はあるのだけど、コレが海外だったら…と思うと海外でプレイすることの重さがはじめてわかった。

彼らはコトバを大切にする。
そしてコトバ以上に「お前はなにが出来る」を見ている。なにかが出来るぞって見せた時、彼らは心を開き、暑っ苦しいまでによってくる。

ちなみに僕はシュート力が強くて、彼らはそこに惹かれたらしい。

ヤブレカブレで打ったシュートを打ってから、彼らから信じられないくらいパスがまわってきた。

でもパスが回る以上にカルチャーショックだったのは「勝つ」という意志の強さだ。

意志なんてものは少しばかり弱いかもしれない。
もうサッカーでは負けが許されないことがDNAに組み込まれているのではないかと感じる。試合中はもうドロに塗れようがケガしようが砂埃まみれだろうが、お構いなし。

一般の人でこのレベルなのだ。だから彼らが見るプロへの目線も必然的に厳しくなる。

それはプロですら、一般の人々の厳しい目線に晒されているのだ。

だから負けは許されない。
時には過激すぎる行動を起こすファンもいるのだけど。

半分、「命」がかかっている。
彼らプロにとってサッカーをするということは
命ガケなのだ。

そこで中田英寿。
彼は試合に負けたあと
フィールドで倒れた。

なにも知らないぼくらは
なにかケガしたのかと言い合っていたのだけど…。

彼は引退を決意した。
華々しいキャリアを手放した。

年齢的にもまだまだやれるはずなのに。

記者会見でなんと言っていたのか忘れたが、自分の勝ちたい意志と周りとの歩調が合わなかったように感じる。

全力で戦っていたのは、中田だけだった。

どの選手も「次に繋げられれば…」と
口を揃えていう。

協会にそう言えと
言われていたかのように
みんな同じ事を言う。

僕はサッカーが大好きだ。
だからあえて当時思った事を言おう。


W杯で力を出し切らないで
どこで出し切るんだ!

腑抜けた事をいうのなら
僕を代表に入れろ!!
次っていつなんだ!次があるのか!
W杯に出たかったぼくらの夢を
あなたたちが背負っている事を忘れるな!


それからサッカーは追わなくなった。なにかがバチんと切れてしまったのだ。

くしくもバッジョもその年に引退。(確か)最後に両手を耳において大歓声の中スタジアムをあとにしたバッジョ。

ウイイレでもレジェンド入り(オールスター枠みたいなもの)して、一つの時代が終わったことを実感した瞬間。

中田の方は…。
少なくとも、「お疲れ様!ありがとう!」という歓迎モードではなかったように思う。

わけわからんね、というのが世論の風潮だった。

サッカーは1人でするものではない。
全員で戦い勝つものだ。

一向に勝てない日本。原因はハッキリしている。

中田が倒れたあの時から

僕のサッカー魂は成仏することなく
ドイツでさまよっている。

サポートいただけるなんて奇跡が起きるのかは存じ上げていませんでしたが、その奇跡がまさかまさかに起きました!これからありがたくゲームのオトモ代(コーヒーとかお茶)いただけると大変喜びます。サポート設定ってあなどれないぜ…。