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個性があるから影響しあえる。長年の知人との関係が続くわけ。

つい最近、30年来の知人と会う機会があった。

性格も年齢も、立場も家族の内訳も、考え方も何もかも違うのだけど何故か時々会って、それぞれに言いたいことを話すだけ。
以前はお互い忙しかったので年に1回、最近は年に2、3回かしら。

共通の知人もいないから、誰に気を使うことなく、好き勝手に自分の言いたいことが話せるのかも知れない。

あとどちらが正しい、間違っているの話はしないの。
マダム♡千壽は「そういう考え方もあるのか」と勉強になると思っているわ。

そして先日は、歳を重ねるほど、自分や周りのことが分かるようになってきたという話題になったの。
もちろん、それは考えさせられる出来事や機会があるからなのだけど…

マダム♡千壽もつい最近、お仕事を通して同じような体験をしたばかりだったからタイミングの良い話題に驚いたわ。
それと同時に、アラ還ってそういうお年頃なのかも知れないと思ったのね。

自分がどれだけ自分のことを分かっていなかったのか…
そしてどれだけ他人のことも見えていなかったのか…
どれだけ分かったつもりでいて、分かっていなかったのか…

それが少しずつ、分かり始めるとどんどん沼にハマっていく。
これはまだまだ全然分かっていないという沼に…

50代で見え始めて
60代で分かり始めて
70代でもっと気がついて
80代ではどうなるのかしら?

これまで周りが悪い
こうするしかなかったとか
そんなふうにしか考えられなかった出来事が…

いや私も悪い
もっと他にやり方があったはず
自分が分かっていなかった
自分が見えていなかった
態度が悪かった
相手をそうさせていた

そんなことに気がつき始めると、もう芋蔓式にどんどん出てくるわけ…
反省して、落ち込みもするのだけど、どこか気持ちがスッキリしてきて、過去に折り合いをつけられるようになってくるから不思議。

そうすると前を見てどう生きるかが大事になってくる。
(私たちは残り時間をどう過ごしたいのかが大事なのよね)

知人も話していたけれど…
「歳を取れば取るほどに、分かってきた気がするけれど、ということはまだまだ分かっていないということだし、これからも考えていかなければならないんだよね。」

ほんとその通りだわ。

あといつも結構心配性で、先を明るく考えるより、悪いことをどう避けるかを考えるような性格だった知人から、こんな言葉が出たのには驚きました。

「これまで出来ないと思っていたこと、思うこと願うこと夢見ることすらダメだと思っていたことを、もしかして思っても良いかなと考えるようになった。」

そこからお互い、こんなことしてみたいね。
…なんてたわいもないことを喋ったりしたわ。

知人とは、立場も人間関係も、家族も家族との関わり方も、全く正反対くらい違うのだけど…
違いすぎるから、反発も抵抗も何もなくて…
違いすぎるから、適度な距離を持って話ができて…
違いすぎるから、冷静にかつ面白がって話を聞くことができて…

個々に大切な個性があるから、それを尊重しあえるから、お互い良い影響があるのかも知れない。
そうやって近すぎず、遠すぎない、程よい距離が、長年の知人という関係を育むのかも知れない。

なんだか、友達という距離ではないのだけど…
だからちょうど良いのは、この歳だからなのかな。


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