見出し画像

「自己欺瞞」と、「箱」から出ること

今日は、「自己欺瞞」の話です。
「自分の小さな『箱』から脱出する方法」という本を読みました。もう20年近く前の本ですよね。
読んだことある気がしてたんですけど、初読でした。

主人公のビジネスマンは、妻、息子、会社の部下との関係に問題を抱えていて、それらの問題は、すべて「相手が悪い」せいだと思っていました。
それを上司が、「箱」という比喩を用いて優しく諭していきます。

「相手が悪い」「自分は悪くない」と「箱」にこもっていると、相手の欠点を実際以上に大きく捉え、自分の事情を実際以上に正当化することになる。自分がそのように「箱」に入っていると、相手が「悪い」ことをすればするほど自分の正当性を主張できるので都合が良い。つまり、相手の悪さに苦しんでいるはずが、自分でますます相手の悪さを助長することを望むことになる。
この「箱」から出るには、そもそもなぜ自分が「箱」に入ってしまったかに気づく必要がある。なぜ箱に入ってしまうかというと、それは、相手に対峙したときに純粋に自分が「この人にこうしてあげるのが良い」と思った初めの感情を、何らかの事情で打ち消して、自分で自分の気持ちを裏切る「自己欺瞞」を生じたからである。自己欺瞞を生じると、あとは自分を正当化するしかないので、相手を非難し、自分は悪くないと言い張り、それを見た相手も態度を硬化させ…という、悪循環に入る。

自己欺瞞に気づき、「もしかして、自分のほうに問題があるんじゃないか?」と考えることが、「箱」から抜け出す方法。そして、箱の外に出たフラットな精神状態で、本当にその人にしてあげたいと思っていたことをしてあげるのが、箱の外にいる状態を維持する方法。

そういう、内容です。
難しいですね。

この本に書かれている、主人公と息子の関係が、自分と一番上の子の関係にあてはまると感じたので、どきーっとなりました。
noteでも、一番上の子のグチを何回か書いてますね。
かわいいんだけど、色々手を焼く面があって、「いっつもこの子がもめごとを起こす」みたいな気持ちが自分のどこかにある。

それを見抜かれたようで、どきっとしたんです。
自分でも確かに、一番上が何か言い始めると「また何か突飛もないことなんじゃないか」、なにか行動し始めると「どうしたどうした?!」って、もう何か問題起こす前提で色眼鏡をかけて見ちゃってることは気づいてます。

自分は箱に入った状態でこの子を見てる。箱から出たい。
私の「自己欺瞞」は、なんだろう。
考えていたら、思い当たりました。

子供と私の関係に、夫と私の関係を混ぜてるんだ。

子供がグダグダしはじめたら、私の初めのほんの一瞬の感情としては、「なんでグダグダしてるんだろう。どういう気持ちなんだろう。言語化するのを手伝ってあげるのがいいな」というのが浮かびます。
でも私、夫が子供に怒るのを見るのが、トラウマレベルで大嫌いなんです。カウンセリングでも「ちょっと病的」と指摘されましたが、育った家庭の環境もあり、「家庭に波風が立つこと」「子供が傷つくこと」にすごく恐怖を感じるんです。
だから一瞬で、怒る場面を見たくないために、「早く、速く、グダグダをやめてほしい!」という感情が湧き上がってきて、初めの思いをかき消します。これで、自分の感情を裏切ったことになる。あとは正当化です。「私は悪くない。何回も優しく促した。」「この子が悪い。」と、なります。

本当は、夫に、「もうちょっと待ってあげよう。気持ちの言語化を練習するのが大事だと思う」って言って、それで子供には根気強く、「愛してること」「気持ちを言葉で表してほしいこと」を伝えて、返事を待つのがいいんだと思います。
子供に怒ってるんじゃなくて、夫にうまく言えない自分、カウンセリングまで受けたけどまだまだな夫婦関係、に、嫌になってるんです。

自分の本当の気持ちに、正直にね!
一連の考察を書きなぐった手帳に、最後に書きました。
今度その場面になったら、うまく対処できるかなあ。
私は、箱から出られるだろうか。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?