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豊里友行展 パッチワークオキナワ50

11月20日まで画廊沖縄で行われている豊里友行展〜パッチワークオキナワ50を見てきました。

その感想です。

モノクロームにこだわり、沖縄と基地を軸に写真集で作品を作り続けてきた豊里の新たな1歩にチャレンジした展示でした。

 沖縄と基地は、戦後の沖縄のアイデンティティーを構成するものである。基地の現状を現場写真を通して社会に知らせるというのは大切なことであり、それを継続している彼の活動には、畏敬の念を拭えないし、今後も続けていってもらいたいと願う。

 沖縄の基地の関わりを表現する方法として、基地問題の現場とその周辺にレンズを向けてとっていく方法がある。さらに周辺の係りの歴史を取ることによって、沖縄と基地をめぐる実相が見えてくる。東松照明が、半世紀近く前に「フェンスの向こうからアメリカがにじみ出ている」と言う言葉を使った。東松照明はそのにじみ出てくるものにレンズを向けてシャッターを切った。今回の豊里の展示「パッチワークオキナワ50」には、東松照明がいった「にじみ出てきたもの」が写り込んでいる。東松照明が半世紀前に感じた現実は、現在の沖縄にもいまだに残っている。

 にじみ出てきたものが何かを言葉で言うのは難しい。どの言葉も的を得ているようで、言葉足らずになる。しかし、戦後80年近く経った今でも、そのにじみ出てきているものは、色を変え貌を変え、今でも沖縄の中に漂い続けている。そして半世紀前と何も変わっていない。この現状に呆れ果て、枯れたような怒りを覚える。

 一方で、にじみ出てきたものを忌み嫌い、拒絶し、怒りを向けると同時に、それを取り込み生活の中に、時には笑いに変え共存して生きてきた。沖縄の人々の逞しさ、したたかさ、それが写真の中で垣間見ることができる。

 あまりに漠然とし過ぎ、言葉でカテゴライズし説明するのは難しい。それを群写真という形で表現する。言葉では明確化するには多義的すぎ、漠然としすぎるものを、漠然とし輪郭がぼやけてはいるが、写真を見る経験をとおすことによって、多くの人が共通する感覚を共有する。この経験が共通理解を共有する事になる。これは写真の特徴である。同時に写真の持つ力である。

 それが、今回の豊里の「パッチワークオキナワ50」の中に見られた。

 沖縄のたくましさを象徴する写真の1つがピンクのタクシーの写真だろう。そこにはアメリカ的なピンクと沖縄を象徴するシーサーがユーモアの中に共存している。これは沖縄が基地と向かいあっている姿に重なっている。それと同時に、米兵が手を差し出してストップしてるような写真が並んでる様は、どこか沖縄と基地の関係、現実の今と重なるように見える。

頭から押さえつけられるような状況の中でも、たくましくユーモアを忘れないうちに範疇の姿を重ねてみました。

これまで、表現としてモノクロにこだわってきた豊里がカラーによる表現を試みることによって得た経験は、これからの彼の写真表現の中でどのように活かされていくのか楽しみである。

 フェンスの向こうからにじみ出てきてるもの半世紀たっても変わらない。それはいつまで続くのだろうか。そして、豊里はいつまでもそれを撮り続けなければならないのだろうか。


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