小学校と小学生
高知県は毎年のように、学校が休校・廃校になる。人口減少は昨日も書いたとおり、深刻だ。
今年も精華小、咸陽小、幡陽小など、県西部を中心に廃校する学校があった。なんだか小学校の字面がカッコいいと思うのは私だけ?
私の通っていた小学校は、住宅地の真ん中に建っており、地名プラス小学校の平凡な名前だった。
その頃は児童数が増えて、1学年5クラスあった。教室が足りず、プレハブ校舎まで建っていた。児童数は千人を超えていた。
当然休み時間のグラウンドは子どもでごった返す。何をして遊んでいたかあんまり記憶にないけど、掃除の時間に「耕作ごっこ」と称し、雑草を畑のように抜いては並べて遊んでいたのは覚えている(おいおい)。
教室の中ではお絵描きや工作。授業中にも持ち込み、教科書をついたてにして遊びに夢中になっていた。ろくに授業を聞かなかった割に成績が良かったのは、七不思議である。
それにしても、いつから子どもの声が耳に障るようになったんだろう。すっかりあの頃自分が嫌いだった大人になってしまった。
子どもというものは奇声奇行をするもんだ。皆そうやって大人になったんじゃないか。それが寛容されない社会なんて、息苦しいだけだ。
何のために大学で子ども文化を学んだのか。若かったあの頃はまだ夢にあふれていた。くたびれた中年になるなんて思いもしなかった。
小学校帰りの子どもたちを見て思う。君たちはいずれ、私みたいな大人になる。今の世界を十分楽しんでおけ、と。
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