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お腹の中のお小さい方関連の備忘録 2

 2と書いたはいいが、この回は正直に申し上げて出生前診断編なので1.5くらいである。
 内容としては進んでいないので注意。

◎スクリーニングにも色々あるけど

「出生前診断を受けたい」
 その前に。そう思うに至ったきっかけを書く。

 今から20年近く前のことだ。当時30歳のいとこが初めての子供、男の子を出産した。妊娠期間中ずっと医者からは何にも言われていなかったのに生まれた瞬間その子がダウン症と宣告されて、それはもう本人もすさまじく取り乱したのは当然として、親戚一同勢ぞろいしていた母方の実家が報告を受けたとたんにお通夜状態になり大変なことになった。私にとっても非常に忘れがたい記憶である。

 しかもそれはそれとして、2歳、3歳と過ぎてみれば知的障害は最重度であることが明らかになり、彼女は続けていた仕事を辞めざるを得なくなって生活が一変してしまった。彼女の夫がたいそう高給取りではなかったら、そして彼女の体が他の人より丈夫で頭のキレも人より良くなかったならば、きっとあの夫婦は離婚になってしまっていただろう。それを容易に想像させるほどには、ダウン症の男の子を20年ほど前のクソみたいな田舎で育てるのは生易しい話ではなかった。
 そんな彼女も2人目の時は羊水検査をしていたし、戻れるなら1人目の時も出生前診断をしたかったと語っていた。

 人一倍手のかかる子を、20年、30年と面倒を見る。乏しいだろう収入で。
 それは私にとってもしんどい話であったし拒否反応も出る想像だったのだが、実はダウン症に強い否定を示したのは私ではなく旦那さんの方だった。長く続く終わりの見えない苦しみは辛い、と旦那さんは言ったし、それもそうだと同意した。 私個人は13トリソミーなどの長く生きられない先天性疾患のほうがより拒否感があった。すぐ死ぬ子を育てるのは辛い。苦しめたくない。自分の心を守りたい気持ちもあったから、そうなれば結論はすぐに出た。
 染色体に異常があれば、妊娠の継続を諦める。話し合いはすんなりとまとまった。

 だから最初はちょっと遠出してNIPT*を受けようか、なんて言っていたのだ。残念ながら夏のとんでもないコロナ禍とつわりによるメンタルへのダメージが大きすぎてその話は流れてしまったが、しかし何も受けずに妊娠期間を過ごすのにはあまりにも心配事が多すぎた。
(NIPT:新型出生前診断。陰性的中率が99%だったかで信頼性が高いが10~20万円くらいの費用がかかる上に受けられる施設が限られているとかカウンセリングが必要とか、そもそも正規の施設で受けるためにはちょっと面倒な条件があるとか、近年無認可施設での検査が問題になってきているとか、ちょっと色々ある。長くなるので詳しくは各自調べてほしい)

 そもそも私の血縁には染色体異常でなくとも高機能自閉症やらすさまじい食物アレルギーやら知的障害の子供たちが散見されるのだ。予測できないトラブルには都度都度対処していくしかないが、わかっていて避けられる病気は避けたいというのが本音だった。

 ので、クアトロテストを受ける、ということにした。
 いわゆる折衷案というやつである。虫歯の時に痛いのは嫌だが歯医者にもかかりたくない、そんなときに人は正露丸を歯に詰め込む。クアトロテストというのも、本質的にはそういうものに近いと思う。

 クアトロテストというのは母体中の4種類の成分を分析して先天性の異常の可能性を確立で算出する、スクリーニング検査というものだ。先述したNIPTもスクリーニング検査ではあるのだが、信頼性という意味ではちょっとこちらの方が落ちる。具体的に言うとカットオフ値というものがあって、それより高い確率が出るとスクリーニング陽性、ということになるのだけれど、たとえ1/14の確率でダウン症だという高い確率が出たとしても、裏を返せばそれだと1/13はダウン症ではない、といった感じだ。 逆もまたしかりで、インターネットの海を探してみれば1/800の確率と出ていたのに、トリソミーを持つお子さんを出産した女性だって存在する。 つまりこの検査は結果を聞いた人間のメンタルによってどう受け取るかがきっぱりと別れるものになる。あくまでも確率は確率で、1を引き当てればもうそれはどうしようもないのだ。

 我々は事前に話し合っておいて、これはあくまでも羊水検査という確定診断を受けるための前段階となるスクリーニングであり、カットオフ値よりも高確率であれば確定診断に進む、そうでなければ見守る、という方針を明確にしていたので、変に動揺することはなく粛々と遺伝カウンセリングの日を待った。

 私の通っていた病院では命の選別に関わる問題なので、クアトロテストの日はその前に夫婦同席の上で話を聞かなければならなかったのだ。
 しかし今思い返しても面白いのが、私が出生前診断を受けたいと言った時の看護師さんたちの反応である。
「えっこれうちで出来ましたっけ」
 とか、
「うーんわからないぞ」
 とか、
「待ってくださいこれ遺伝カウンセリングいるんです?えっ、必要です?本当に?」
 とか、ベテランと思われる人が3人以上バタバタと電話帳のように分厚い色んな決まりが書いてありそうなリングファイルをめくっては右往左往を繰り返していた。
 誰も受けないんだなこの検査、とはちょっと思った。
 実際のカウンセリング後の血液検査でも、採血のブースで検査用紙を受け取った専門の看護師さんたちが硬直しつつ、
「ねえこの紙見たことある?」
「ないです」
「えっ出来るの?」
「一応機械通すか‥‥‥なんか出てきた。へー、出来るんだねえ」
 
とかいう不穏な会話に終始していたのでなんかもう笑いをこらえるのが大変だったし、本当に誰も受けないんだなこの検査、と改めて思った。

 結果が出るまでの2週間は気が気ではなく、結果が出る数日前は胃痛に悩まされたりもしたのだが、結論を言うとお腹のお小さい方はスクリーニング陰性であった。
 カットオフ値である1/295よりも大幅に低い1/4900という確率が出たので、理想値といってもいいんじゃないだろうか。ということで夫婦そろってこれなら確定診断となる羊水検査まで行って流産の危険を冒す必要はないよね、という意見になり、ひとまずの修羅場は乗り越えた。

 実際のところ、私は結果が出た後も時々出生前診断について考えることがある。命の選別というけれど、私は何を選び、そして何を選ばないのだろうか、ということだ。
 私たち夫婦にはどうしても先天性の遺伝子疾患を持つ子供に対する根強い不安感がある。でも、不安感を抱く理由は二人とも違っている。
 旦那さんはそもそもこれまでの人生で障害を抱えた人間と接してきた経験が乏しい。ので、おそらくそれゆえに最もポピュラーなダウン症というものへの(言い方は悪いが)偏見があるのだと思う。
 しかし私は違う。私の場合は親戚の子もそうだったけれど、幼馴染の妹だとか、近所の放置子だとか、通学に使う電車内とか、いたるところで障害児と関わってきた経験があった。これがまた何というか難しい話で、申し訳ないけれど障害を持つ人(主に知的障害)のことを好きでなくなってしまうのには十分な経験だったのだ。
 じゃあお前は優性思想なのかと言われてしまうと唸ってしまう。私は決してそんなつもりではないのだ。発達障害だったらどうすんの、それがわかる世の中だったら中絶するのって言われれば、いやそれは違うでしょって答えることはわかっている。
 結局この辺りは答えが出ないし、正しさも何もないんじゃないかな、とは考えている。ただ夫婦で納得しあえて、自分の考えはこうなんだという事実を受け止めるのが必要なんじゃないだろうか。
 本当に難しくて、でも一度は誰もが考えたほうがいい。これはそんな話なんじゃないかな、と私は思う。

 なお旦那さんは最近複数の友人と話をした際に、クアトロテストを出生前診断のスタートにすると、クアトロテスト(~15週)からの結果見て(~16週)からの羊水検査(~17週)からの結果出て(~20週)から中絶するかどうか(~21週)までにしなければならない決断に次ぐ決断、そのジェットコースターのような過密さが本当にしんどいからやめとけと大いにぶち上げたらしい。まあわかる。男の人、そういうことは基本的に知らないから。
 だから出生前診断ならNIPTにしろ、ということで〆たそうなのだが、NIPTのスクリーニング陽性率というのは実は若い女性であると案外低いらしい。中には11週で受けて12週ごろに陽性の通知が来てパニックになり、本当は異常がないかもしれなくても確定診断を待たずに中絶する夫婦もいるそうなのだ。
 じゃあやっぱり確定診断しなくちゃ、と何とか夫婦でメンタルを持ち直して羊水検査を受けるとしても、そこからさらにお通夜のようなメンタルで15週まで、平均約1か月待たなければならないというとんでもないことが待ち受けている。これもこれでしんどい。

 なんにしたって、生半可な気持ちで出生前診断を受けると非常に辛いと思う。二人のことなんだからちゃんと二人で話し合え。安易に受けてしまったとしたらその後で、発生した生命を長らえさせるか、終わらせるかを決めるとかいう重大な親の責任が待っているかもしれない。
 というか30過ぎで妊娠したいと思ったところで普通に私らみたいに半年とかかかることが多いんだから、そのへんもしっかり考えた方がいい。したいと望んですぐできるんなら苦労しないし、どうして子供が欲しいのかとか、そういう根本的なところの話から必要な場合もある。

 なお出生前診断で知的障害を伴うASDは発見できないし、心臓の病気とか難聴とか目の病気とか、そういうのも見つけることはできない。
 発達障害がそのうち見つけられるようになったらどうなるのだろう。
 10年後、またきっと新しい常識が出てきて私達はそのたびに考え方をアップデートしていかなければならない。
 少なくとも多くの親と子が納得できて、不幸ではないと感じられるような選択がその時にできればいいと思う。


→3に続く

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