見出し画像

お腹の中のお小さい方関連の備忘録 その1

 一応妊娠期間が(予定日に対して)折り返しを迎えたので、ここらで一度これまでの振り返りをしたためてみようと思い、こんな記事を作成している。
 あくまで備忘録なのでまとまりがそんなにないこと、あっちこっち話題が飛ぶこと、私見が混ざることをご了承いただきたい。
 それとめちゃくちゃ長くなったので記事は分割して投稿する予定である。自分でもここまで書くとは思わなかった。

1. お小さい方がいらっしゃるまで(~6週前後)

  さて、実は私、今年の春で結婚してから3年目になる。
 そんな3年目の私は当時絶妙に焦っていた。
 子供がなかなかできないのである。
 できれば子供はそんなに待たずにできたらいいねと思っていた。私はそこまで子供に関して熱望していたわけではなかったのだが、旦那さん(この呼称はモンハンにおけるハンターさんに呼びかけるアイルー的なニュアンスなのでご了承いただきたい)はもう付き合っていた時から子供が欲しいみたいなことをよく言っていたし、長男だし、実際義実家側にはまだ孫的なサムシングが誰も存在していなかったこともあって、なるほどこれはと田舎出身者特有のセンサーで早々に子供が出来たほうが八方丸くなることを悟ったわけである。
 まあ周囲の皆様が優しかったので面と向かって急かされることはなかったわけだが、それでも3年目となると私にだって思うところも出てくる。
 昨年の末頃に色々あって検査薬は陽性になったりしたのだが、7週ごろに初期の流産で残念なことになってしまった。なんだかんだタイミングなど試しながら半年くらい格闘しての話だったので、それはもう夫婦そろって凹みに凹んだ。
 ちなみにこの時の我々の年齢はすでに三十路を超えている。正直言って後がないとまではいかないが、複数の子を持ちたいと考えるならギリギリ限界くらいの年齢である、と思っている。
 そういう落胆と、あと純粋に進行流産の症状が身体的に結構がっつりきつかったので、1~2か月くらいは引きずった。
 5日くらい出血からの腹痛で脂汗出まくりの夜眠れないほどの痛みが云々、みたいな感じだのだが、当然のように人生で味わったどの生理の痛みよりもきつかった。年末年始がすべて無になるとかいう結構な修羅場だった。卵巣嚢腫を患って通常より重い生理痛に苦しんだ経験がある私ですら、この痛みはちょっと想定外だぞっという痛みだった。 初期ですらそうなのだから、後期流産や中期中絶なんてもっときついだろうなあ、と思ったのはよく覚えている。

 しかし転んでもただでは起きない。風疹の抗体値が夫婦そろってほぼ虚無だったのを血液検査で知ることができていたので、これなら万全じゃいとばかりに二人で助成金をもらいつつMRワクチンを接種した。流産はきつかったが、不幸中の幸いとはこういうことを言うのだ、と思った。
 で、なんだかんだあってまた頑張ることにした。 旦那さんがAmazonで買って自主的に見てくれたTENGAルーペではちょっとびっくりするくらいの数のオタマジャクシが大変に元気よく跳ねまわっていたので、まあ多分問題ないんだろうなあとか、卵巣嚢腫を取った後とはいえ卵巣は両方あるはずだし、痛み止めを時々入れれば28日周期で欠かさずやってくる月のものを思えばまあ多分問題ないんだろうなあとか、そういうぼんやりしたことを考えながら頑張っていた。
 1年経って結果が出ないようなら検査でもするかなと2人で話し合ってはいたが、残念な結果とはいえ授かったこともあるし希望がないわけではないぞと言いつつも見事に定期的にやってくる生理に難しい顔をしたりなんだりの日々を数か月繰り返して、やっぱりどうなんだこれと私が不安になり始めたころにそれはやってきた。
 生理の遅れである。
 私は基本早まることはあれど、遅れるということはほぼない。4日遅れたらもうこれは疑いも濃厚と見てよいだろう。容疑者は(胎内に)いる。
 というわけで妊娠検査薬の説明書の通りに予定日から1週間待って検査した。これも2回目なので慣れたものだ。結果は待たずとも速攻で出た。

 とはいえここで素直に喜べるほど私は早漏丸ではない。前回は喜び勇んで5週後半くらいの心算で近所のクリニックにかかったら、「まだ見えないから来週来てね、子宮外妊娠だといけないしね」みたいな感じのことを言われてハチャメチャに悶々とさせられたのだ。
 なので私は7週くらいまで待とうと考え、虎視眈々とその時を伺っていた。
 しかし無理だった。5週後半か6週前半くらいだったか、何でか知らんが尋常じゃないほどに卵巣が痛くてまともに歩けなくなるほどになり、すわ子宮外妊娠かと戦々恐々としながら職場に遅刻か休むかになる連絡を入れつつクリニックに駆け込んだ結果私を迎えたのは「ああ、ありますねえ」というのんびりとした声だった。
 前回は1週待ってなおもらえたのがゴマ粒みたいな影が映っただけのエコーで、正直小さくねえか?と思ったものだが、今回もらえたエコーではしっかり長細い10mm程度の何かが鎮座していらっしゃったので、おお、と思わず感嘆してしまった。つたない知識で初期流産は枯死卵とか弱い受精卵が淘汰されて云々ということを何となく眺めていたものだから、今度は大きめだし元気に行ってくれるといいな、これで駄目だったらマジでもう子供は諦めてもいいかなとまで脳裏に過ったりなどもした。
 なお卵巣はちょっと腫れていた。そういうこともあるらしい。
 この時点では受精卵が子宮の中にあることで安堵はしたものの、前回のこともあって心拍確認までは全く安心などというものは出来る気がせず、気が気ではなかったというか必要以上に感情移入しないようにしようと必死になって考えていた。

2.つわりが猛威を振るう頃(~9週)

 2週間後に来てくださいねという定型文を受け、それからは普通に仕事をしたり時々トイレで大をしようと腹筋に力を込めるとやんわりと出血したりしながらも、何とか大したトラブルもなく数日を過ごしたりしていた。
 ところがその数日の後に突然、私は察してしまうのである。
 ‥‥‥あっこれつわりでは?
 ご飯の臭いがどうとか食べ物がどうとかではなく、最初に気付いたのは柔軟剤と衣料用の洗剤の臭いで吐き気をきたした時だった。
 そこからはもう一気呵成というありさまだった。生ごみの臭い、冷蔵庫の臭い、調理中の臭い、焼き魚の臭い、お惣菜の臭い、シャンプーの臭い、仕事帰りの旦那さんの臭い。吐きはしないがそれはもうしょっちゅう嘔吐いていた。
 仕事から帰ってきた旦那さんに申し訳ないがというのは心苦しかったし、風呂上りにもう大丈夫かと寄って行ったら頭に残ったシャンプーの臭いで死にそうになったり、あの頃は結構大変だった。 が、大変だったというのはあくまでも私主観のものであって、義母に言わせれば「食べられないものが少ない、吐かない!なんて軽いつわりなの?」ということであるらしい。確かにモツとニンニクとニラとネギと油が多い肉を避ければ食べにくいものは少なかった。
 私の場合は食後1時間後くらいに徐々に発生してくる吐き気のみで七転八倒するタイプだったので、脱水にもならず体力の損耗も少なく乗り越えることが出来たのは幸いだったように思う。
 あと今振り返って思えばサプリメントの摂取もある程度有効だった気はしている。私はもともと貧血気味なのでネイチャーメイドの鉄分と、カルシウム・マグネシウム・亜鉛のセットと葉酸を飲んでいたが、そこに旦那さんがどこで調べてきたかビタミンB6を加えてきた。
 本当に効いたかはわからないが、結果的に私は辛いものは辛かったとはいえ全期通算一度も吐いていない。吐かないつわりは軽いつわりでございますと言われてしまえば、これはもう何とも言えない。
 そんなこんなで妊娠7週を迎え、2週間ぶりの通院にクリニックへ。「心臓動いてますよ」 えっマジ?このピーナッツみたいなのが?大きくない?2週間でこんな大きくなるもんなんです?あっ健康な受精卵だともしかしてこんなもんなんです?ええ?
 そんな風に派手に動揺していたら心臓が動いているのを指して教えてくれた。本当にもにょもにょ動いていた。結構速いペースだった。「次も2週間後で」 あ、ありがとうございまーす。 そんな感じで会計をして帰宅。
 毎回思うけどこの自費診療期間の医療費、キッツい。本当に地味にキッツい。なんとかならんのか。
 心拍確認ということで正直私はずいぶんほっとしていた。前回はここまで行かなかったからだ。
 とはいえ次の診察までにそれが止まってしまう可能性だってある。まだまだ油断はできない、というのが正直なところだろう。諸手を上げて喜ぶ心境にはなれない私、やっぱりビビっている
 途中、こんなにつわりがきついのにこのお小さい方が腹の中で死んでたらどうすればいいんだ、虚無じゃないかと思うことがあった日も当然あったし、やっぱり今だって突然腹の中でお小さい方が静かに心臓を止めているかもしれない可能性を思うとあたりまえのように怖い。
 見えない恐怖というのは多分、形を変えながら生まれるまで続くんだろう、などと漠然と考えてみたりしている。

 この頃の仕事はといえば、一応上司には妊娠を報告してあったのだが、前回のこともあるのでしばらく黙っていてほしいという意向をがっちり汲んで、その上で私を大変にフォローしてくれた。
 具体的には私を特別に人員に空きが出てしまった裏方の応援に回した。つまり、つわりの影響が出にくく休みやすい場所に配置してくれたのだ。優しい。ありがとう2児の子持ちマザー。
 ちなみに後日お礼を言ったところ、応援の方に私を多めに回していたのは単にシフトの都合上動かしやすかったかららしい。笑える。でもありがたかったのは事実である。

 あわただしく日々は過ぎてそこからまた2週間、今度はそこまで緊張せず内診、そして‥‥‥
「元気ですねえ」
 人の形をしているものがそこにあった。 なにこれ、小さい!人形みたい!ひとのかたち!ええ?!
 心臓は動いていた。大変に速いBPMを刻みながら、ご機嫌に規則正しく動き続けていた。大きさも週数通り、母子手帳をもらうための書類を用意してもらうことになった。
 予定日は令和4年、4月4日。
 とんだゾロ目である。縁起が悪くて一周回って縁起がいい。
 この段になってようやく、私の胸に素直な喜びが去来したように思う。ああこのお小さい方、9週の壁を越えたんだ。じゃあしばらくは大丈夫かな。死ななかったんだ。よかったなあ。
 なんというか、ひたすらしみじみとしてしまった。
 次からは分娩したい病院が初回妊婦検診をうちで受けた妊婦しか診ないぞっという大きい病院だったものだから、クリニックを卒業して紹介状をもらった。さばさばしていたがいい先生だった。
 その日、その足で市役所に母子手帳をもらいに行った。いろんな冊子があるが実はまだ全部目を通していない。いけない妊婦である。
 役所のお姉さんは大変優しく、私が遠方の田舎から嫁いできたことを知ると驚いていた。まあそうだろう、女が一人嫁ぐために地方から地方へ、350kmの距離をやってくるとはなかなか誰も思うまい。
 なお翌日母子手帳カバーなども調子に乗って探したが置いてあったものがみんな高かったのでやめた。何だ革表紙って。市役所のくれたビニールカバーでも十分である。
 なお、ここから1週間したあたりでつわりは軽くなり、12週までぐらいには嘘みたいにすうっと消え去っている。最後のほうまで生ごみと冷蔵庫の臭いには苦労させられたが、モツも肉もネギもニラももりもりと食えるようになった。
 地獄のようなつわりを経験した義母からはやっぱり軽いほうだと言われたし、実の親にもそりゃ軽いわよかったわねえと言われた。重い人ってどんな辛さを味わっているんだ。怖い。(なお後日職場に妊娠したことをフルオープンにしてから同僚の皆様方に聞いたところによれば、6か月までつわりがきつくて吐いていただの、吐きはしなかったけどカップ麺のスープしか飲めなかっただの、寝込んで脱水になり入院しただの壮絶な経験が複数寄せられた。怖い)

3.妊婦検診、そして出生前診断へ(~15週)

 その後、コロナワクチン接種の絡みもあり、私は紹介状を持って11週に大病院を受診することにした。ここはNICUがある病院であるがゆえに厳戒体制であり、マジでコロナ対策が死ぬほど厳しい。
 お産に挑む際も入院費が高かったり、診察のたびにめっちゃ待たされたりという弊害はあったりするのだが、しかし何があっても24時間助産師と医師が待機しているのでかかりつけの者は電話を掛けて自らの状態を気軽に確認できる利点があり、もう何をおいても安全という観点からすればこの病院を避ける選択肢はないのであった。あと正直家から車で10分なのも大きなアドバンテージであった。
 しかしここでいざ初回の妊婦検診と意気込んでいた私、早々に出鼻をくじかれることになる。
 なんとこの病院、初回妊婦検診は12週からと決まっているらしく、その日はハチャメチャに待たされた挙句に普通に婦人科での内診となってしまったのだ。なんてこったい、自費診療再び。
 しかしそれはそれとしてそこそこ鮮明なエコーと心電図的なものをもらえたので結果的には良しとする。心臓が動いているのは知っていたが、心電図がきれいに出ているのを見ると異常がなさそうなのでよかったよかったという感じであった。
 ただ何となくうなじのむくみ、いわゆるNTと言われるものが問題あるんだかないんだか何の指摘もないので気にはなったのだが、指摘がないということは大丈夫なのかな、と思うことにした。 あとワクチンに関してもいろいろ相談したりできたし、不安の解消という点では非常に良かった。

 そこから2週間後の初回妊婦検診の間に実は住んでいる家でいろんなことがあったりして一時期義実家に避難したりなどしていて、精神的にはそこそこ修羅場になったりした。みんな気を使ってくれたので肉体的には楽だったし、ご飯はおいしかったけれども、それでも生活リズムが変わったりしてこちらとしてもそれなりに気を使う。ただ今後の同居の可能性を考えれば悪くない経験だった。一度も喧嘩せずに済んだし。
 というかここで一番大事なことは義母の作るごはんがおいしいにもほどがあったことだ。栄養バランスをしっかりと考えたおいしいおかずの数々には大変に助けられた。便秘と下痢を繰り返して死んでいた腸内環境が奇跡のV字回復を遂げたほどだ。これは避難が終了して帰って来てからも私の食生活に明確な影響を与えてくれている。具体的には野菜の摂取量が死ぬほど増えた。
 それにしても義実家ガチャって結構大事だと思う。私は珍しくめっちゃ私に優しくてメシウマで大変に気の回る義母とかいうSSRを引き当ててそのありがたみを享受しているが、実家から離れてしまって誰にも身内に頼れない嫁という立場だとだとほんとうに義母には頼らざるを得ないから。これはガチのマジで。余裕なんてないけれど、やっぱり結婚前には義実家をちゃんと見ておかないとダメだと思う。
 旦那さんが料理上手で社会においては人の話をよく聞きフットワーク軽く動くのも義母の頑張りのたまものであろう。俺は父を反面教師にしただけだと旦那さんはいうが、顔立ちと言い中身といいその辺完全に旦那さんは義母さん似である。
 そんなこんなでワクチンを打ったりしつつあわただしく日々が過ぎ、13週。毎回毎回生きているかどうか心配で仕方がない。
 今回はエコーで見ている間中、小さいくせに足をぴょこぴょこ動かしていて大変に落ち着きがなかった。11週の時もずっともぞもぞしていたけれど、こんなに派手に動くものなのかというくらい足の関節がしっかりと稼働していた。
 この落ち着きのなさはおそらく私の方に似たのに違いないなどと帰宅後に旦那さんに言われてしまったが、それは言いがかりであると思われる。多分。

 で、その日。私は一つ、マタニティクラスの代わりに説明を一生懸命してくれていた助産師に提案をした。
 出生前診断を受けたい。
 これまでの経過で特に指摘する事項もなかった程度には順調であったためだろう、医師も看護師もちょっと驚いていた。年齢的にも高齢出産にはぎりぎり差し掛かっておらず、今までの経過でも特に指摘されることもない。
「何故そう思います?」
 問われて、私は用意していた答えを述べた。
「私の血縁者にダウン症の方がいます」
 それ以外にもまあいろんな理由はあるとはいえ建前としての最大の理由はそこであった。


→2に続く

 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?