火曜日の憂鬱

月曜日は憂鬱。
うそ。本当は日曜日から憂鬱。
明日から始まる1週間。
行きたくもない会社に行って、会いたくない上司のご機嫌を取り、口の臭い先輩に嫌味を言われながら、嫌々仕事をするのだと思うと嫌気がさしてしまう。

でもそれ以上に、わたしにとって憂鬱なのは火曜日だと思う。土日で培ったエネルギーは月曜日に全部使い尽くし、火曜日には微塵も残っていない。そんな中でする仕事は本当に最悪。

「いやいやいやっ!!!」と心の中で駄々をこねる自分を隠して仕事に行き、全てのことにちょっとだけイライラしながら、でもそれを周囲に悟られないように、無難に時を過ごす。だけど嫌だから効率は一向に上がらない。ホルモンバランスの影響もあるのか、特段イライラしてしまい、「早く帰りたい」という思いを抱えながらも、でも明日も仕事があると思うと、楽しみにしている帰宅だって一時凌ぎにしかならないことが悲しくなる。

そんな日は、だいたい1人で飲みに行く。
1人でどこでもいけるのは、学生時代の独りぼっちの名残だけれど、こんな日ばかりは「1人でなんでもできる自分でよかった」と過去の自分を讃えざるを得ない。

あぁ、いつからこんな大人になっちゃったんだろう。もっと楽しい仕事について、もっと大好きな人に囲まれて、きらきら笑って過ごしたいのに。だから大学に行ったのに。だから勉強を頑張ったのに。

そんなことを思いながら、運ばれてきた焼き鳥を大好きなグレープフルーツサワーで流し込む。

わたしがこれまで頑張ってきた理由って、なんだったんだろう。わたしが今、頑張っている理由はなんなんだろう。

そんなことを考えながら、ふと思い出す。
「学生の頃は、偉かったな。」と。
どんなに辛いことがあっても、おうちでご飯が待っていて、平気な顔で食べなくちゃいけない。
それは十分に守られているように見えて、嫌なことがあった日に美味しいものを食べたり、お酒を飲んだりして、誤魔化す方法やお金の余裕も残されていなかった。

それって結構、苦しいことじゃない?

そりゃあ毎日、布団で泣いていたわけだ、と思う。家にも、学校にも、どこにも逃げ場がなくて、隠れて泣いてばかりだったわたし。そんな過去の自分を振り返って、

「本当によく頑張ったな」と思う。

あの頃に比べて、今のわたしは何十倍もしあわせだろう。

そう思うと同時に、少し酔いが回ってきたのか、今日の仕事が嫌だったことなんてどうでも良くなった。わたしはどうやら今、しあわせらしい。

だからもし、今、辛い思いをしている学生さんがいたら伝えたい。その辛さは永遠じゃない。確かに生きるのは辛くて、大変で、泣きたくなるような毎日で、残念だけれどそれは大人になってもある程度は変わらないかもしれない。でもね、大人になると、自分でなんでも選ぶようになる。そうすると少しずつ逃げ場ができる。そうして少しだけ、今より辛さは緩和される。

それは売れたロックバンドの曲が世を恨むものから世の美しさを謳うものに変わっていく様子にも現れている気がする。

わたしは思う。
あの頃、死にたいと願って止まなかったわたしに

「よくがんばったね」と。

よく死なずに、諦めずに、絶望の中を歩いてきたね、と。

あなたが頑張ってくれたから、わたしは今、焼き鳥を食べ、追加でキムチと揚げなすを注文し、好きなだけグレープフルーツサワーを飲む幸せにたどり着いた。頑張ってくれて本当にありがとう。

わたしは死ぬことを決して止めたりしない。
それがどれだけ残酷かがわかるから。
生きることがどれだけ辛くてしんどいことかわかるから。

だけど、画面の前のあなたにも、知って欲しいと心から思ってる。今日の嫌なことを思いながら、焼き鳥をグレープフルーツサワーで流し込み、「あぁ、自分ってやっぱしあわせなのかも」って思う瞬間のしあわせを。

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