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管理職は男と女のどちらでもできるのが当たり前な事を理解すること

アメリカで3月は女性史月間-Women's History Monthである。私の今いる会社では毎月何とか月間とロビーに掲示している。今月は女性史月間で、会社内での女性リーダーたちと歴史上の功績を讃えたと言われた女性たちをを掲示モニターに説明付きスライドで映し出している。「男女平等の権利を」だと理解している。男女平等が日本よりはるかに進んでいるアメリカでも、男女平等について学び続けているのだなと思った。

アメリカの会社で働いていて、私が一番気に入っている点は男女平等であること。会社の受付、庶務や秘書といえば昔はアメリカでも女性が多かったらしい。今は髭の生えた男性が受付に座っていても珍しい事ではないし、男性が庶務係でコピー用紙の発注や郵便の取り扱いをしても通常の光景である。

私は日本では地元密着型の金融機関で働き、アメリカでは日本企業に現地社員として就職した。その後アメリカの大学を卒業後、アメリカの会社に専門職の新卒未経験として就職した。そこで実感した事は、アメリカの会社は男女の役割が分かれていない。仕事のポジション次第で仕事内容が違うが、性別、年齢、国籍、それと変な英語のアクセント持ちでも、暗黙の性別による役割分担はなし。それこそジョブ型採用なので、そのポジションの役割の仕事をするのだ。

日本の会社では女性だからと常にアシスタント的な仕事を求められていた。金融機関で窓口顧客対応でバタバタしているのに、外回りから戻ってきた男性の渉外担当がタバコを吸っていても、応接室にお茶を出すのは手の空いている男性ではなく、窓口業務中の女子の仕事。アメリカの現地社員ではアナリスト的な仕事についていた。それでも私の上司にあたる日本人駐在社員が、女性が持ってきてくれたコーヒーがいいという理由だけで頼まれた。それはもうはっきりと私に「女性の持ってきてくれた…」って言ってた。一応直属上司の依頼なので、私の仕事を中断してコーヒーを入れて会議室へ持っていった。

新卒未経験で入ったアメリカの会社である程度経験を積んだ頃、管理職であるチームマネージャーのポジションに応募できるという機会を与えられた。まず最初に思ったことは、私に管理職なんて無理だ、だって女だし、私より年上の男性チームメンバーが何人もいるし。それと同時に思ったことは、社内に女性のチームリーダーはたくさんいる、その当時の会社のCEOは女性だ、それなのに、なんで私が出来ないなんて思ったんだろう。そして混乱した。よし、管理職に挑戦してみよう。そこの考えに至るのに2〜3日かかった。そこで社内の元上司や既にチームマネージャーに昇進済みの同僚たちに相談した。私にとって初めての管理職だし、チームマネージャーの仕事が務まるのだろうか。私は仕事の飲み込みが早いし、人にやる気を起こさせるのは得意だし、何より仕事のスピードが早い。君なら大丈夫だ、新しいポジションはきっと楽しめると思う。そんな事を聞かされて、だんだんその気になってきた私は、他の候補者の誰より私が一番うまくやれるんじゃないかって思い始めた。万が一、チームマネージャーの仕事が私に合わなかったら、元のポジションに戻して貰えばいいのだし、物は試しと応募した。

数回の社内面接後、管理職としてのチームマネージャーのポジションにつくことになった。やってみたら意外といい感じにチームを運営できたと思う。女だからできないのではなく、私だからこそできる事をやろうと、チーム内のコミュニケーションに力を入れた。チームメイト対マネージャーの私、一対一だけでなく、横同士のつながりを持たせ、チームワークでお互いに教え助けあおうという環境を作った。チームの誰にでも助けを求め、お互いに教えて話し合えるのは私の仕事を楽にしただけではなく、チームの雰囲気が良くなり業績が上がった。なんだ、私って管理職であるリーダーの仕事ができるんだ。管理職は男と女のどちらでもできるのが当たり前な事をわかっていたつもりだったけど、いざ自分で就くまで本当に理解していなかったかもしれない。身を持って体験した。

何で私は、管理職ができないって頑なに信じ込んでいたのだろう、挑戦したこともなかったのに。その思い込みは私の育ちによるものだろう。私の日本にいる家族に仕事の話をした時に言われるのは、女なんだからそんなに一生懸命働かなくていいのよ。私が忙しすぎる仕事でストレスを抱えていると、可哀想で不憫に思うらしい。だから私の家族に仕事関係の話をするのはやめた。考え方が変わったのは私の方で家族は昔から変わっていない。私の家族にとって、女性に一番大事なのは愛嬌で、周りから大事にされる事が幸せという価値観なのだ。それはそれで大事な事だと思う。私なりに付け加えるなら、愛嬌は女性限定ではなく男女ともに愛嬌のある魅力的な人であることが大事だとは思う。だが私のことを思って、心配してくれている日本の家族にそういう事は一切言わない。

「女性は女性らしく」と育った人なら、女性だからと自分に制限をかけないで、自分の可能性を試してみるのは勇気がいるし難しいことだ。新しいことに挑戦したからといって、初めから完璧にできなくてもいいのだし、そんなに心配しないで取り合えず飛び込んでみる。もしその挑戦が合わないなってわかったら、方向転換をすればいいのだ。万が一うまくいかなくても、人生が終わるわけではなのだから。機会があればやってみたら意外と自分にあってるという新たな発見があるなんて事が多いのではないか。その変化は目に見えて変わるほどではないけど、今そうして挑戦していく人たちや、男女平等が当たり前で自分より若い女性が自分の上司になるのが通常のことであると感じる人たちがどんどん増えていき、社会も少しづつ変わっていくのではないだろうか。


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