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デスクの整理整頓と仕事のできる人の確率について

会社のデスクが散らかっている人は仕事ができない。

生前の父がよくいっていた言葉だ。自分が働くようになってそれを実感している。

子供の頃、休日に父の会社へ連れて行ってもらった事がある。事務所全体の全員の机の上は何も置いてなかった。私物も何もない灰色の事務机がずらっと並んでいて、10センチくらいの電話のコードが机と机の隙間から飛び出しているだけである。帰宅時には各自が電話をコードから抜いて電話本体を引き出しに収納して帰るのである。机の上にはコードだけが飛び出していて、ファイルもなければペン一つ置いてない12台以上の事務机が並んでいる光景は無機質でシュールであった。父がその事務所の所長をしていたため、片付けは皆が父の方針に従ったということらしい。電話本体をコードから抜いて引き出しにしまうなんてコントのようだと思ったし、電話ぐらい机の上に置いていても良いのではないか、父はやりすぎではないのかとも子供心にながら思っていた。

私が少し大きくなってから知った事だが、父が毎朝一番早く出社して皆の出社前に全員の机の拭き掃除をしていた。机を拭くためには何もない状態が掃除がしやすく効率がいい。事務所の皆はそれをわかっていたのもあって電話を収納していたのだ。留守電機能があった時代ではなかったし、事務所に人がいなければ電話に出る人がいないのだから、帰宅時に電話のコードを抜いても仕事に支障は無かったのである。

私は日本では地元密着型の金融機関で窓口業務をしていた。全職員のデスクは窓口から常にお客様に見られているとあって、無駄なものは一切なく常に整理整頓されていたものだ。その頃は父の言っていた、会社のデスクが散らかっている人は仕事ができないという事がいまいちピンと来なかった。なぜなら会社の全員の机の上が常にきちんと片付いていたし、その当時の私には仕事のできるできない人の差がよくわからなかったからだ。

父の言葉をよく思い出すようになったのは、アメリカの会社で働くようになってからだ。

社内では物が山積みになっている机を見かける事がある。よく見ると積んであるのは書類やバインダーだけではなく、ポテトチップの大袋の口が空いたまま食べかけで放置されていたり、ランチで使ったであろう紙皿とプラスティックのフォークが乾いた状態で山積みの紙の上に放置されていたり、ファーストフードのカップに入ったドリンクがストロー付きで中身は入ったまま何日も放置されていたりする。そういう人は100%仕事が遅くて、仕事の質も悪い。

その逆で机の上に今現在必要なもの以外は何も置いてなくて、常に綺麗な状態の人は質のよい仕事が早くできる人が多い。これはデスクが散らかっている人の100%は仕事が遅いのに比べて、片付いている人の100%が仕事ができるというわけではないが高確率でよく仕事ができる人が多い。そういう意味では父の言葉は正しかった。

整理整頓をするということは、必要な時に必要なものを素早く取り出す事ができるということだ。そして整理整頓ができるということは自分の仕事の管理ができるという事である。机の上が物で溢れている人に書類の提出を頼むと、その人はまず探すことから始まる。そしてなかなか見つからない。私から見れば毎回探している時間が無駄であるが、探している本人にしてみれば仕事とはそういうものだと思っているのか片付ける気配は一切ない。

最近になって父の事務所全体で電話本体を引き出しにしまっていて、電話のコードだけが飛び出していた光景を思い出す。現在の私の会社の机の上には、備え付けモニターと電話とワイヤレスキーボードとマウスだけである。帰宅時に机の上をさっと片付けるのだが、どこまで片付けるのかたまに一瞬迷う。マウスは毎日収納する。モニターは机に固定されているため移動できない。電話は留守電機能がついているのとパソコンとのネット回線を繋げているので線を抜くことはできない。そして時々キーボードを収納したい気持ちに駆られるのだ。これさえ片付ければ机の上には何もなくなるという理由からである。

ここまでくると、片付けることによって自分が仕事のできる人に見られたいのか、単に机の上を空っぽにして周りの人に辞めたんじゃないかと驚かせたいのか、自分でどうしたいのかわからなくなってくる。

いつも少し迷った挙句、毎回キーボードを出しっぱなしにして帰る。なんとなく片付け損なったような気分で心残りがある。もし父が今の私の会社の机を見たらキーボードを片付けろ、電話は仕舞えないのかと思うであろうと想像するとちょっと面白い。

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