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自分の好きなことがわからないというコンプレックス

ロンドンは初夏を迎えて今週は短いヒートウェーブが続くそうだ。ジャケット一枚羽織って外を歩いてもジリジリと暑い。

「自分の好きなことをして生きよう」

「年収だけを追求しても幸せになれない」

とはここ数年でNewspicksや自己啓発本を始めとし耳からナメクジが這い出てくるほど聞き潰したフレーズである。

何を今更そんなことという話かもしれない。

けれど自分にとってはこれは在学時代からの長年のコンプレックスであるため、考えを整理するという意味でも書いておきたい。



おそらくこの「好きなことを仕事にしよう」ブームが訪れたのが4〜5年ほど前。当時アブダビにて大学3年生だった自分は、自分と自分の周りの大学生の生き方、キャリアに対する価値観の違いに違和感と焦りを感じていた

大学一年目で物理学、文学の単位を落とし、既にドロップアウト寸前だった自分としては、まず取り敢えず、両親が安心するようなそこそこの企業に就職するために、及第点の成績を取って卒業することが精一杯だった。もちろん本当に何に興味があるのだろう、学んでワクワクする授業はなんだろうなど特に考えたこともなく大学3年目まで過ごした。

しかし、どうも周りの人間は少し考え方が違ったようだ。

周りの多くの人間は、自分の興味のある分野を大学で学び、それを軸にしてキャリアを組み立てる、年収よりも自分の興味のある分野で、または自分にとってパーソナルな社会課題を解決するために、働くもしくは進学するという考えを持つ人が大多数だった。

例えば、ものを作るのが好きなのでメカニカルエンジニアとして電動車椅子を開発するスタートアップでインターンをした友人、数学オタクでマシンラーニングを脳のニューラルネットワーク解明に適用する研究をするために博士を取りに行く友人、コンテンポラリーダンスに魅了され自らカリグラフィを始めた友人、などなど挙げたらキリがない。

もちろん生涯を捧げるであろう学問分野を大学一年目でピンポイントで決まっていた人は少数派だったように思える。

しかし大学のリベラル・アーツ教育、一年目はリスクフリーで(一年目の成績は卒業成績に換算されないため)興味がありそうな分野の授業を思う存分履修することで、自分の純粋に興味を持てる学問を見つけるんだというモチベーションで学んでいた人が大多数であった。

キャリア選択において顕著だったのは、大企業就職を目指す人は3割ほどで、残りはスタートアップや自ら起業、またはマスターやPhDに進むという道を選んだ人だったように思える。

人のキャリアに対する価値観は、

  1. 「年収やステータス、名誉や出世から出るアドレナリンが人生における一番の栄養」という人

  2. 「自分が興味があり好きなことや社会課題解決を生業とすることを絶対に妥協できない」という人

  3. 「それなりの給料をもらってそれなりに満足する生活が手に入ればよい」という人

に主に分別できると思う。

自分自身は1の価値観の人間だと大学2年生くらいまでは思っていた。しかし周りの環境のせいか、「自分の好きなことをして生きよう」キャンペーンの波に呑まれたせいか、在学中に段々と価値観が2にシフトしていったように思う。

大学4年になる頃には、「何に興味があるんですか?」「なんで経済学専攻にしたんですか?」といった後輩や同期からの質問には胸が締め付けられるような気持ちになり、自分の興味がわからないことがコンプレックスになっていった。

また、元々自分が1の価値観の人間だと自分で思うなら、その価値観でも妥協して生きれば良いではないか、と言われたらそれはまっとうな意見だと思う。大学卒業したくらいの時期は正直自分が1なのか2なのかのラインはかなり曖昧だったと思う。

けれど働いてみてから2年、年収が700万のラインを超えたくらいの時期に、自分の年収と幸福感の比例関係を考えてみると、正直500万だろうが700万だろうが生活においての満足感はさほど自分にとっては変わらないことに気がついた。

シグナリングという意味でのブランド品やフレンチレストランでの外食にも興味はないし、平日はほとんどオフィスにいて、週末は一日は家で一日中寝て、一日は友達と会うという生活をしていると、本当に200万の過分所得の意味はそこまでない。

自分が食に興味もなく、家もそこそこの狭いアパートで満足できる貧乏性というのもあるが、果たして

「そこそこ興味はあっても没頭するほどではない仕事を、良い給料をもらいながらこの先20年、30年と続ける」のと、
「没頭できる分野で熱意を持って研究、仕事を今の半分の給料でやる」
のではどちらが幸せなのか

生活水準への妥協ラインがどこかにもよるが、自分の場合は後者の方が魅力的な選択肢に思えた。

何よりも好きな興味のあることを日常にしている時の充実感と多幸感は半端じゃないのは大学4年目にやっと興味のある分野を履修し始めて気がついた。

幸いにも就活の一環でいわゆる自己分析をする中で自分の中の興味、パッションは大学4年生までにかなり特定できた。しかし1年生の時からそれらを自覚して歩んできた周りとの差は歴然であった。

今更どうこう考えても仕方ないことではあるとは分かってはいるが、自分の興味に大学の最後の最後になるまで向き合おうとしなかったことは、自分の中での悔恨の念として心の深いところに刺さったままである。

当たり前のことかもしれないが、もし自分が先の「年収やステータス、名誉や出世から出るアドレナリンが人生における一番の栄養」や「それなりの給料をもらってそれなりに満足する生活が手に入ればよい」に当てはまらないと思うのなら、出来るだけ早い段階から自分の内面に目を向けて、進みたい分野について考えてみることをおすすめする。

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