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外側の世界に依存しない喜び

私はいつも「無思考=無心の状態の中に安らぎがある」とか、「集中しようと努力する意志を手放せば解放感がある」とか書いている。
こういった安らぎや解放感は、ともすると、「特別な何か」のように感じられるかもしれない。
「特殊な精神状態に入ったときにだけ現れる神秘的な現象なのではないか?」と思う人もいるだろう。

だが、実際にはそれは「とても当たり前の感覚」だ。
「特別なもの」というより「不変のもの」であり、「私たちの本質」と言ってもいい。
「常にここに在るもの」であり、だからこそ「見失われがちなもの」でもある。

それを感じるためにどこか遠くに旅に出る必要はない。
ただ、自分の内側に入ればいい。
そうすれば、安らぎはそこにある。

問題は、私たちが自分の内側に入る方法を忘れてしまっていることだ。
そもそも、私たちがこの世に生まれ落ちた時は誰もが内側に留まっていた。
「私たちの本質=安らぎ」と私たちは分離しておらず、まだ一体化していた。

でも、遅かれ早かれ、赤ん坊は外側の世界に興味を持ち始める。
たとえば、オモチャに興味を示し始め、それで遊ぶことで喜びを得ようとするようになるだろう。
なぜなら、内側にある安らぎよりも、オモチャで遊ぶことによって得られる楽しさのほうが刺激的に感じられるからだ。

私たちが内側の安らぎを忘れてしまう原因はここにある。
私たちの本質は安らぎであり、それは確かに私たちを満たしてくれるものではあるのだが、決して「刺激物」ではないのだ。

たとえば、ずっと観たかった映画を観た時の楽しさとか、美味しいご馳走を食べた時の喜びとか、誰かから褒められた時の嬉しさとか、そういった刺激の強い感情を味わう時のような高揚感が、内側の安らぎにはない。
内側に留まる時、穏やかなで安らかな感覚に満たされるが、それは決して「強く訴えかけてくる感情」ではないのだ(というか、正確にはそれは「感情の一種」でさえない)。

それゆえ、内側の安らぎは人の興味を強くは惹きつけない。
誰もが成長の過程で内側のことを忘れていき、外側の世界に刺激の強い感情を求めるようになるのはそのためだ。

そして、多くの人がより楽しい体験をしようとしてお金や時間を使い、特別な人間として認められるために努力するようになっていく。
なぜなら、ワクワクするような体験をすれば楽しいし、誰かに認められれば嬉しいからだ。

だが、これらの喜びは必ず「外側の世界の状況」に依存することになる。
要は、ワクワクするような何かがなければ楽しめないし、誰からも認めてもらえなければ悲しいわけだ。
「外側の世界の状況」如何によって、感情が左右されてしまうとも言える。

だからこそ、多くの人は外側の世界を操作しようとするようになる。
もっと楽しく生きられるように、嬉しい出来事が起こるように、外側の世界を変えようと奮闘するようになるのだ。

実のところ、この奮闘が内側に緊張を作り出し、ますます私たちは内側の安らぎから遠ざかってしまうことになる。
実際、絶えず現実を変えようと努力し、その結果に一喜一憂している人に、安らぐ余裕などあるだろうか?

外側の世界を経由して喜びを得ようとする限り、「世界はこうであってほしい」という理想を抱かずにはいられない。
そして、そうやって理想に取りつかれている限り、本当の意味での安らぎは訪れないのだ。

先にも書いたが、赤ん坊の頃は誰もが内側に留まって生きていた。
だが、遅かれ早かれ、赤ん坊は外側の世界がもたらす「刺激」に魅了されてしまう。
内側の安らぎよりも、外側の世界がもたらす刺激的な物事のほうが魅力的に感じられるからだ。

そして、人はだんだん自身の本質である安らぎを忘れていく。
内側は見向きもされなくなり、誰もが外側の世界を操作することに夢中になっていく。
世界を自分の思い通りに変えようと奮闘するようになるのだ。

だが、実際には、自分の思い通りにいくことなど稀だ。
それゆえ、ほとんどの人が理想の通りにならない現実を前に苦しみを感じることになる。
そして、その苦しみをなくすために、ますます現実を変えようとしてどこまでも努力し続けるか、「現実は変えられない」と悲観して無気力になってしまうか、だいたいどちらかの道をたどることになる。

内側の安らぎを再発見することは、こういった状況を変える助けになるだろう。
なぜなら、内側の安らぎは「外側の世界に依存しない喜び」だからだ。
それは、なぜか内側にいつもある。
それを味わうために、楽しいことを体験する必要はないし、嬉しい出来事が起こる必要もない。
つまり、内側の安らぎを感じるために、現実を変える必要は少しもないのだ。

いかなる理想も抱くことなく、ありのままの自分に満足し、今ここにある「何でもなさ」の中に落ち着くこと。

それは、外側の世界を理想通りに変えることに執着する人にとっては難しいことかもしれない。
でも、常に理想の通りに生きられる人はどこにもいないし、遅かれ早かれ、死が全ての理想を流し去ってしまう。
だとしたら、内側に目を向けることも大事なことなのではないかと私は思う。