見出し画像

【さいこうちく】テイク&ギブがあなたを救う!?

【さいこうちく】・・・再構築のこと。価値観のアップデートをすることで人間社会でいきるすべての人が最高地区(心安らかな場所)を見つけれるように猫的観点を綴るのおと。

ギブ&テイクという言葉を聞いたことがない人はいないと思う。
この言葉に呪われている人がいるのであれば一読していただきたい所存である。

かくいう私も、実はこの言葉に呪われていた時期があった。
それはもう「テイク」に執着し「わたしのギブを返せ!いますぐ返せ!そっこく返せ!」とテイク警察の権化のごときありさまで、このまぁるい肉球でさえも心を落ち着けることが出来なかった。

そして思考も変わり「ギブアンドギブ最高〜」と偽りながら生活をしていたこともあるがそれも本質ではないことに気がついた。そこで今回それらを新しくアップデートしようと思う。

何を隠そう、
テイクアンドギブである。


この記事ではギブアンドテイクにおける執着心をいかに取り払うかを諸君と考えていきたい。
そしてこれが諸君の価値観をさいこうちくし、メンタルも一緒にさいこうちくにいざなうことができれば幸いである。


ギブアンドテイクの問題点[WHAT]


記事のタイトルを理解できればもうこの記事を読む必要はないであろう。
呪いの問題点は、ギブによるテイクを期待してしまうことである。

何かをしてあげた [ギブ]
だから
お返ししてほしい [テイク]


この論理構造を踏襲する危険性は、ギブが目的ではなくテイクが目的になりそのうえでギブを実行してしまう点にある。

ギブアンドテイクという言葉を発明した人の真意は定かではないが、恐らく「与えることは与えられることである」というような「ギブ」にフォーカスを当てているだけで、それは「貨幣経済におけるサービスの交換」に近い今の認識と随分かけ離れていたのではないだろうか。


もし、「ギブに対するテイクへの執着」に呪われている人がいるのであれば、「お金を支払えば同程度の価値サービスを受けれる」という貨幣経済の等価交換的価値観をギブアンドテイクにも当てはめているかもしれない。

「あなたのギブ」はサービスでそれにお金を払おうとする行為が「相手のギブ」ではないだろうか。対価としてテイクをいただけるほどの価値あるギブであろうか。それは主観的なギブになってしまってはいないだろうか。


この考え方は前述したとおり私も呪いにかけられていたので諸君らの気持ちは大変理解できることをまずは伝えておきたい。

そのうえでいつからギブアンドテイクを意識するようになったのか。考えてみたいと思う。


いつから?[WHEN]


恐らく子供の時は意識的な「ギブ」をすることは少なく、「テイク」にまみれていたと思う。家族というコミュニティを超え、幼稚園や学校に入ると自分と同じように「テイク」にまみれた人間に遭遇する。お互いのモノに対する所有欲は落ち着くこともなくケンカが絶えない。5歳児くらいまでは「ちょーだい」という言葉と「ありがとう」という言葉で「ギブ」っぽい行動をすることもあるが、それはやらされているギブであろう。

そこで互いの主張が終着駅を迎えない生活に一筋の光を与える魔法が「ギブ」である。どちらかがギブという名の諦めを選択することで、一方が主張を通すことができるようになる。

しかしこのギブは一時的な停車駅であり、代わりになるものを与えてもらわなければ心の平穏が訪れることはないだろう。本当の終着駅は「ギブ」と同程度の「テイク」ができたときに訪れる。

私のギブアンドテイクの始まりに関する仮説はこのように幼少期からであると考える。


しかし、諸君もご存じのとおり人間はやさしさに満ち溢れている。



それを証明するのが「無意識のギブ」である。


これは本人が意識していないところで起こるギブのことだが、人の価値観はそれぞれであり無意識的なそれはギブされた人にとって意味をもたらすことがある。そして、ギブをする本人はテイクを求めることはない。

幼いころの何気ない「ギブ」に隠された価値が可視化されるのは「ありがとう」という形の残らない感謝の言葉であり、それで完結する。




呪いから逃れるための解決策[HOW]


「無意識のギブ」と呼称したが、諸君は日常的にこのギブを感じることはあるだろうか?それらを「当たり前」という価値観で包みタンスにかくしているのであれば、いますぐ無意識ギブBank(銀行)に預けて貯ギブ残高を確認してほしい。楽天ポイントを凌ぐ速さで溜まっている&いくことであろう。


テイクを目的とし、ギブが手段化する。
あるいは
テイクを目的にしていないが、たまにはテイクがないと….。


と思っている諸君。
さて、どうやって呪いから逃れようか。



断言しよう。
簡単である。



テイク&ギブに論理順序を変更しよう。


(だれも気付いてないようなので伝えておくが貯ギブされているというのは比喩であり、残高が無いからギブしない。というのは些か野暮であり文明社会を生き抜く貴君にとっては不名誉極まりないので聞かなかったことにしておく。)


日頃のテイクを感じているから、ギブをする。


どうだろう、この発想に変えるだけでテイクへの執着を減らせないだろうか?


もちろん、貨幣経済的なサービスの交換のように等価交換でギブ&テイクを行うことは否定しない。その場合は交渉のうえ互いに納得すれば何ら問題はないであろう。


ただ、相手があずかり知らぬところで「私はギブしている」という視点にたつことは「テイク」を意図的に誘発するための脅しになっている可能性があるので注意しておいてほしい。

ギブとは相手をハッピーにする・感謝の気持ちを表すことを目的とした手段であり、テイクを求めるためにやっているわけではないのだ。

あくまでテイクに執着するのであれば仕事へ昇華させ、対価として金銭をもらうほうがよい。

上記の論理順序に変更し、かつ「無意識のギブ」に対する感知センサーが正常に作動しているか、これは忘れずにチェックし続けてほしい。

「当たり前」という風呂敷で隠された諸君の純粋なセンサーは今もまだそこに立派に存在している。私にはわかる。


私を信じてまずは風呂敷を取って貯ギブ残高を確認してほしい。
そして残高が溜まりやすいようにセンサーも磨いていってほしい。
貯めていただいた方を意識するとよりよい。


当たり前のことが当たり前に存在することがどれだけ幸せことなのか気づくことが何よりも大事である。

そこに気づくことができれば感謝の心が生まれ、テイクを求めないギブが出来るようになる。


当たり前の幸せを再認識し、貯ギブ残高を満たすことができればそれ自身が諸君らの幸せのバロメーターにもなりえると思ってやまない。




さいごに。


「無意識のギブ」とそれに対する「感謝のギブ」。この当事者間の素晴らしい精神を己の利益のために文化へと昇華させ、ギブアンドテイクという価値観を押し付けては呪いをかけてきた人たちがいるということも付け加えておく。


文化の本質とは時代ごとに変わるものであり、文化という名のもと「当たり前」の世界を作っては私たちを連れ去っていく。これを機会に色んな文化を再考してみてほしい。


見方を変え「感謝」の心を忘れなければ、おのずと「無意識のギブ」を感じ「感謝のギブ」を与えるというテイクアンドギブが出来るようになると信じている。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?