【本】『翻訳と文学』(池澤夏樹、坪井秀人、林圭介、佐藤美希、内山明子、邵丹、管啓次郎、佐藤=ロスベアグ・ナナ/みすず書房)
こんにちは、『猫の泉 読書会』主宰の「みわみわ」です。
今日は、『翻訳と文学』をご紹介します。
内容は、こんな感じです。豪華でしょう?
・編纂・翻訳・創作――文芸論の序説のためのメモ 池澤夏樹
・ジャポニスム/モダニズムの交差点としての〈和歌歌曲〉──和歌翻訳そしてストラヴィンスキー、山田耕筰らの音楽創作 坪井秀人
・五つの「ぼく」たち――村上春樹文学を世界文学に変える『図書館奇譚』 林圭介
・「世界文学全集」の西洋と非西洋 佐藤美希
・『新青年』の文学的展開――森下雨村と「探偵小説」の翻訳 内山明子
・Welcome to the Monkey House――日本におけるカート・ヴォネガット文学の受容 邵丹
・証しの空文――鳩沢佐美夫と翻訳 佐藤=ロスべアグ・ナナ
・詩、集合性、翻訳についてのノート 管啓次郎
目次を眺めながら、内容がどれも面白そうだというのと、こういうことも研究対象になるんだなという不思議な気持ちになりました。
日本文学! 世界文学! というような区切りで暮らしていると、こういう視点で研究課題を見つけられないと感じていたからです。
河出書房新社の池澤夏樹さんの世界文学全集に、石牟礼道子が入っているのですが、それを知った時に友人が、「世界文学全集なのになんで!? 日本の作品が入っているの!?」って言っていたのを思い出します。
すかさず、わたしは「だって、日本だって世界の一部なんだから、アリでしょう。石牟礼道子は日本代表なんだよ」って言い返したのですが、相手は不思議そうな顔のままでした。
話を戻しまして、今日はこの本の、カート・ヴォネガットの章のところについて感想をまとめます。
〇Welcome to the Monkey House――日本におけるカート・ヴォネガット文学の受容 邵丹
カート・ヴォネガットの日本での受容は、SFという輸入うジャンルの定着と発展に連動するだけでなく、サブカルチャーと目されるSFの文学的地位向上をも可能にした。
…ということを説明するために、60年代、70年代、80年代の時代の日本の状況を解説しています。
日本SF界の歴史をざっくりたどっていて、とても面白かったです。
もともと、わたしは伊藤典夫の翻訳作品が、なんだかすごく面白い…とか、そんなことを手探りでたどってい読者でした。カート・ヴォネガットやレイ・ブラッドベリの作品などです。
そしてわりと上の世代が、なぜかSFというくくりで、なぜか大会を開いていたらしい、それって何をしていたのだろう? …とうっすら不思議に思っていた側でした。
この本で、そういった不思議がひととおり解説されていて、長年の謎が解けて、ありがたかったです。
気になったことをまとめます。
〇日本SFでは事実上、アマチュアがプロに先行していた
〇翻訳者・伊藤典夫
1942年生まれの伊藤典夫は、中学生の頃にはもう駐留軍二世の手放したSFペーパーバックや雑誌を読み始めていた。
1962年に神保町の行きつけの古本屋で伊藤は<F&SF>誌の前年10月号の巻頭でヴォネガットの短編「ハリスン・バージロン」を見つけ、一読しただけでSF専門誌に載せられたこの作品の文学的に気づき、ヴォネガットを自分の「ごひいき」の作家の一人だとカウントするようになった。
〇月刊文芸雑誌『海』(中央公論社)
1969年創刊。既存の大手出版社の文芸誌との差別化を図るために「日本を外側から見るまなざし」を意図的に導入した(渡辺 2005、140)。
つまり、『海』の誌上は、従来の文化領域のヒエラルキーを無効にした新たな表現の「場」となっていた。
『海』1975年1月号にて「カート・ヴォネガット・ジュニア特集」では、ヴォネガットに関する池澤夏樹の総論が掲載された。
〇ヴォネガット論を通して、池澤夏樹の「SF」に対する認識の変化
・1975年1月号『海』での池澤:
SFを有効な修辞技法のひとつだとみなす文学者の立場
・1979年3月の池澤:
文学として何等かの思想の器となるためにはジャンルとしての成熟が必要だ。(中略)ヴォネガットはSFという分野の作品に文学としての市民権を導入した。それは特筆すべき偉業だ
〇80年代の知
・思想界において、マルクス=レーニン主義やヘーゲルのドイツ観念論に代表される旧来の重い知識が凋落
・構造主義、ポスト構造主義を標榜するニューアカデミズムの人気
・小林秀雄の死去(1983年3月1日)で文芸評論界のヒエラルキーが揺らぐ
・島田雅彦『優しいサヨクのための嬉遊曲』→明るく痩せ細ったサヨク
〇1978年のサンリオSF文庫
・70年代後半、スターウォーズブーム。
・ヴォネガットはSF作家から文学界に受け入れられる。
・早川文庫SFは、再刊がほとんどで、70年代の新しいSFが翻訳されなかった。
・山野浩一編集顧問のサンリオSF文庫は、それまでの海外SFの翻訳の3つの空白を埋めた。
1.ヨーロッパのSFの翻訳
2.「科学=サイエンス」小説の翻訳
3.フェミニズムSFの翻訳
この時代の翻訳SFは、山野の導きのものでアメリカSFの圧倒的な影響から脱し、世界文学へと様変わりしたのである。
〇まとめ
以上、この本の、この章を読むだけでも、日本SFの歴史や、ヴォネガットがSF作家から世界文学へ変わって行った経緯や、『海』という雑誌のことなど、知ることができました。
なにより、こんな風に仮説を立てて、それを証明するために時代を説明してゆくことが面白いなと興味がわきました。
■本日の一冊:『翻訳と文学』(池澤夏樹、坪井秀人、林圭介、佐藤美希、内山明子、邵丹、管啓次郎、佐藤=ロスベアグ・ナナ/みすず書房)