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同居猫の写真はあまり無い

同居猫は、いつも私に怯えていた。
いや、“私に”だと自分で書いて自分で傷付いたので、“人間に”としておこうかな。

同居猫は、いつも人間に怯えていた。

通いだった頃、朝晩必ずやって来ては窓を開ける前からニャゥーニャゥーーーーーンとごはんの催促をしていた猫とは思えないほど、ベッドの角に顔を隠して、私はここにいませんよとでも言うかのように静かにやり過ごしている。
たまに目が合えば、耳をぺたんと倒し黒目をまんまるにした、絵に描いたような怯えた顔で私を見ていた。

家に入れて最初はケージ生活をしてもらっていて、本当はその間に多少仲良くなるつもりだった。
でも、3ヶ月たっても猫は昨日初めてここに連れられてきましたとでも言いたげな態度で、耳を倒して黒目をまんまるにしていた。

ならばと思い、ケージを開けてみた。
同じく触れない猫と暮している獣医さんに、触られたくない時・怖い時には自分からケージに戻っていくので、基本家をフリーにしていると聞いていたからだ。
じゃあ部屋に出してみて、問題があったらケージにいる時にもう一度扉を閉めさせてもらう事にした。

その日以来、猫は一度もケージに戻らず押し入れの前・部屋の角をキャンプ地としている。誤算だった。鬼滅の刃全巻を入れた紙袋の陰で、ケージにいる時に同様に私を拒んでいる。

その姿があまりにもかわいそうで、私は猫の写真を撮れずにいる。

不憫だ、かわいそう、酷い事をしている、保護なんて所詮人間のエゴでしかない。
毎日そういう考えに囚われてしまう。
でも、それはそれとして、そんな顔もかわいーーーーーーー!!!!!!!!!と思ってしまうが…。

それでもこんなに怯えているのにスマホを向けるのはあまりにも…と思ってしまい、写真が無い。

その代わりに、見守りカメラでの映像がたくさんある。
見守りカメラなら近くで爪とぎもしてくれるし、無防備にウロウロしているところも見られる。
とくに最近は、部屋の隅から出てきてカメラの前にある爪とぎの上でボーーーとしている時間が増えたので、見放題である。

思えば私は、猫の顔・姿をまだちゃんと覚えていない。見せてもらえてない。
部分部分ではわかる。
耳は大きくない、顔は丸い、体はもちもちしていてしっぽはまっすぐ、耳のカットは小さく左耳、それから目にシミのようなものがある。

この目には、外でごはんを待ってる姿をたまたま近くで見られた時に気付いた。
これも保護を躊躇わせる原因のひとつだった。

猫の目のシミ、黒猫…と検索すると、病名が出てきた。
もし本当にその病気なら、いずれ重症化するかもしれない、そうなったら目を摘出しなければならないかも。命を落とす可能性だってある。

白血病で猫を亡くした私には、重すぎる可能性だった。
あの時だって、私がもっと早く病院に連れて行けば助かったかもしれない。判断を誤ったのかもしれない。違う病院に行けばあるいは…。
後悔は、5年以上たった今でも尽きない。
時間はたっても、次何かあった時に迅速で、正しい判断ができる自信がない。
何度猫と過ごせば、完璧な世話をできるようになるんだろうなあ。そもそも、そんな日は来るんだろうか?

私は、猫2歳くらいだろうと思っていた。
2年くらい前の夜、家の近くでキジトラと黒子猫が5匹くらい遊んでいるのを見たことがあるから。
家にごはんを食べに来る時も、何度か別の黒猫を連れて来たことがあるし、兄弟なんだろう、あの時の子たちなんだろうと。
(ちなみに猫は、自分のごはんを少し残して連れて来た猫に分けてあげていた。やさしい…と感動したものだ)

でも、獣医さんに診てもらったところ、もう少し年上らしい。歯が少し伸びていた。そしてあの小さくてあまりにもかわいい前歯が、ところどころ欠けていた。
5歳の可能性も…?と尋ねると、獣医さんは、そうですね…と応えてくれた。

5歳。5歳か〜…4歳と思っておこうかな…。

野良猫が人に懐くためにかかる時間は、猫が外で生きていた時間とイコールと考えるといいと見た。
なので、2年かー余裕!と思って猫を捕まえた私には、5年は急に長く感じる。
実際には私に慣れてくれるまでにかかる時間が5年でも10年でも構わないのだけど、なんとなく2年と思っていたほうが気持ちが楽になる…気がする。

そんな猫が、部屋には慣れてきている。
ずっと所在無げに床に放置されていたけりぐるみで、私が寝ている間に遊んでいる姿を観測できた。
ごはんを持っていった時、リラックスして横たわったまま、私を見ている日もある。

だから、猫は人間に怯えていた。
でも今は少しだけ、私に慣れてくれた気がする。

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