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父と母の障害、それから子育てのこと(2021.2.27)

昨年末に母が脳梗塞を患った。命の危険は免れたとはいえ、後遺症の右半身麻痺・高次脳機能障害で、介護度は最も重たい「要介護5」と判定された。今も意思疎通が難しく、3か月間の病院でのリハビリを終えた後も重たい後遺症は残る見込みだ。

母が倒れる5日前、母からLINEで「お父さんを父親として見て、接してほしい。」とメッセージがあった。私の父は35年前の交通事故で重たい障害を持った人で、母からそう言われたのは初めてではなく、昔から繰り返し言われ続けてきたことだった。確かに、小さい頃から私は障害をもった父のことが苦手だったし、家庭環境が人と違うことを周りに隠して生きてきた。思春期には父親はいないものと考えたこともあった。それから大人になって、私としては父と普通に接しているつもりだったけれど、それだけでは足りないくらい、母は強い思いを持っていたんだと思う。

母からのLINEにどう返答しようかと決めかねているうちに、事が起こってしまった。母のスマホには「既読」の文字だけが残っている。

私にとって、母の元気な姿をもう見られないことも、会話を交わすことができないこともつらいことだ。けれど、一番つらいのは、私の子ども達の記憶の中から健常者としての母の姿が消え、障害者として上書きされてしまうことだ。母が元気なうちは、孫と豊かな時間を過ごしてほしかったし、これから子ども達が母を「何もできない人」「普通と違った気持ち悪い人」として振舞うとすれば、きっと私は子ども達を許すことができないだろう、そう思う。

あぁ、そうか。それこそが母が私に感じていた父への思いだったんだ。病院の帰り道、ぼんやりと信号待ちをしていた時、そのことに気がつき、愕然とした。

これから、私達家族は子育てと両親(ついでに祖母)の介護を併行する。どうしたら子ども達が障害をもったおじいちゃん・おばあちゃんを受け入れられるんだろう。お互いが楽しく、豊かと思える時間や空間をどうつくったらいいんだろう。とても難しいけれど、ありがたいことに、そのヒントは学生時代に、社会人になっても沢山もらってきた。母が患った失語症(話せない、読めない、書けない、聞けない)のコミュニケーションも読み解いていけば、きっと面白い世界だと思えるんだろう。だから、状況がどんな無理ゲーであっても、私達家族は悲観しない。大丈夫。これからも私達は楽しく、豊かに生きていくんだ。

(2021.2.27)


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