見出し画像

家族と孤独について(2021.12.30)

朝、器にご飯をよそってお茶を入れると、子ども達がそれを大事そうに抱えて運んでいる。こぼしたり、つまみ食いしたり。まぁ多少は許してくれるだろう。そう思って、この仕事は子ども達に任せることにした。

11月の終わりに母が亡くなった。昨年末に脳梗塞を患ってから、病院や施設を転々としながらリハビリを続けていた。半身不随と失語という重度の障害を受け入れ、意思疎通も少しずつできるようになって、これからの暮らし方を模索していたところ、心臓発作で逝ってしまった。何ともあっけなかった。

果たして、この1年間、僕らが母にしてきたことは正しかったのか。母は幸せを感じることができたのか。ただ苦んだだけではなかったのか。ずっと考えているけれど、今はまだよく分からない。

母だけでなく、僕らも苦しかった。両親を看ることになった僕と、コロナと育児のために看ることが叶わなかった妹。お互いに相手の立場や苦しさは理解している。けれど、親の命と今の生活という天秤にかけられないものをめぐって、心を殺して譲ったり、相手に気持ちをぶつけざるを得なくなって、お互いがボロボロになった。これ以上関わることが難しくなって、妹とは距離を置くことになった。

ある日、かつての家族が出てくる夢を見た。僕と妹はまだ幼い子どもで、父も母も若く、賑やかに食卓を囲んでいた。一家団欒。目が覚めた時、それは遠い昔というよりも、何百光年先に今も存在する風景のように思った。

母の遺品を整理する中で僕の母子手帳を見つけた。出生前の夫婦のことや出生後の家族のことが丁寧な文字で綴られていた。初めて知ることも多かった。その記録は、僕が2歳の時(つまり、父が交通事故で障害を負った日)から途絶え、以降は白紙のページとなっていたけれど、その後の事は僕もよく知っている。母は周囲の反対を押し切って、4人の家族を守ることを決めた。それから30年以上に渡って父の介護に身を投じ、その傍らで2人の子を育てあげた。その闘いは人知れず、孤独なものだったと思う。

この1年間に意味を見出すとすれば、母が抱えていた孤独に僕と妹がほんの少しだけ近づけたことだと思う。本当に大事なことは言葉にできないし、他人から理解されなくても構わない。大切な人にだけ伝わって、その人を守っていけさえすれば、それだけでいい。そうと思えるようになった。孤独は一見寂しいことだれど、少しは前よりも強く生きられるのかもしれない。きっと。たぶん。

今日も長男と次男は母の祭壇にご飯とお茶を運んでくれる。母の好きな野花も摘んでは花瓶にさしてくれる。ありがとう。四十九日を終えたら、ちっちゃな仏壇を一緒に作れたらいい。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?