ある朝に起こった特別な出来事について


6月のよく晴れた朝のこと。子どもを保育園に送った後で、自宅の最寄駅のホームで電車を待っていた。電車接近のアナウンスが流れ、スマホを閉じたその時、ホーム上で隣に立っていた女性が、ふらっと前方によろけて、そのまま空中で前転するようにして線路に転落した。一瞬だった。

転落した女性は仰向けに、レール上に横たわる状態になった。気を失っているようで身動きしていなかった。電車は音を立てながら入線し、こちらに迫ってきていた。

恐ろしいことだけど、その時は何かを考える時間もなかった。僕はその瞬間に線路に飛び降りて、その女性を抱きかかえていた。そして線路脇に退避しようとしたところ、電車は急ブレーキをかけ、僕らの数メートル手前で止まった。「あぁ、死なずに済んだんだ…」と分かった瞬間、力が抜け、女性の重みを両肩にぐっと感じた。

その後、居合わせた他の方とともに女性を駅舎まで運んだ。女性は意識を取り戻したけれど、大事をとろうと救急車で運ばれていった。僕の方は、鉄道会社、警察、消防それぞれから事情を聴取された後、30分遅れで職場に出勤した。けれど、まるで仕事が手につかなかった。

もし転落があと数秒遅かったら―
もし電車の運転士のブレーキが遅れていたら―
みんなダメだったかもしれない。想像は勝手に想像が頭によぎり、しばらくの間は生きた心地がしなかった。

そう。助かったのは私と女性だけではなかった。その女性は妊娠されていて、お腹の中に赤ちゃんがいた。だから、救急搬送された後は、母子の無事をただただ祈るばかりだった。後日、鉄道会社から「母子ともに別状なかった」との連絡があった時にはほっとした。正直、心からほっとした。

この出来事を家族に話すと、子ども達は嬉々としながら「僕も人を助ける!」と大きな声で言った。妻は「生きてくれていて良かった。」と小さな声で言った。それらを聞いて、何とも言えない気持ちになった。その時の僕は状況判断もできず、自分の家族を顧みることもできなかった。恐らく、同じ状況であれば誰しも何も考えずに線路に飛び降りてしまうのではないか。それは不可抗力でしかないのだと思う。

この経験から何を学べばいいのか、いまも分からない。でもきっと意味があるのではないか。それが見えてくるまで、じっくりと考えたいと思う。

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