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街明かり-もう一度- ③

 求人を出すのは久しぶりだと言う奥さんにどこに出すかを聞いたら、光が住んでいた児童福祉施設に出す予定と話した。いつもながら休憩時間になると、従業員にお茶を出すようにしている。最近では、みんなも慣れてきたのか、夏生に優しく接してくれるようになった。
「皆さん、お茶が入りました」
「ありがとうございます」
と言ってみんなで座り囲む、そのテーブルは本当の家族のように和やかだった。
 それから十年ほど経った。社長や奥さんは引退をして、従業員も人数こそ変動はないが、それなりに印刷会社としてオフィスビルを設けるまでになった。
 光は社長に夏生は体調を崩したこともあり、今は会社経営から離れている。結局、光との間に子供はできなかった。
 一時期、光と話し合いになったことがある。
「ねえ、私たち子供は作らないの?」
「俺は怖いんだ。もし、自分が父親になって子供に暴力を振るってしまったらって考えたら」
と言ったこともあった。
 子供を作る努力はしたが、夏生と光の間には結局、子供はできなかった。
 その頃には光と夏生の関係は少し冷え切っていた。子供もできず、仕事に没頭する光を夏生は少し不審がっていた。
―もしかするとこの結婚はただ不安だったから結婚しただけで、自分を愛してなんていなかったんじゃないか。―
そう思うようになるとたまらなく腹立たしくなる。子供ができないのと、子供がほしくないは比例しているのかもしれない。それに従業員をとても大切にしている光は、果たして夏生のことを大切にしているのだろうか。
 帰ってきても「お帰り」と言っても「うん」と言うだけで何か疲れを感じさせる光に嫌気がさしていた。そんなこところ、久しぶりに会社で唯一仲の良かった斉藤加世子が連絡を取ってきた。
「もしもし、丸山でございます」
「夏生! 元気?」
「あら、加世子?」
「そう、苗字丸山になったんだよね。なんか新鮮」
「あら、そう? どうかしたの?」
「ううん、どう今度お茶でもしない?」
「良いわよ。私は専業主婦で暇してるし」
「じゃあ、今度の土曜日のランチ一緒にどう?」
「全然いいわよ。場所は?
「久しぶりに銀座とか」
「いいわね。私も久しぶりに銀座に行きたいし」
と言って日にちは決まった。
 久しぶりに銀座に出るため、前に持っていた洋服を取り出す。着ようと思って派手だからと着なかったワンピース。
「ちょっと派手かな?」
とつぶやいてみたが、着ると決めてファスナーを閉じた。
 銀座の駅に出ると、三越がそびえ立っていた。久しぶり過ぎてテンションが上がってるのが自分でも分かった。
 加世子を待っていると、「ヨッ」と懐かしい声が聞こえた。夏生が振り返ると、出版社で同期だった加藤君が立っていた。
「加藤君、久しぶり。お買い物?」
「違う、加世子が久しぶりにお前に会うっていうから」
「そう、全然変わらないわね」
「お前も奥さんやってるようには見えないな」
と笑った。加藤君はいつもこうだ。私と同期で同じように編集者になりたくてこの出版社に入社をした。研修後、加藤君は希望していた編集部へ、私と加世子は校正営業事務を同時に行う部署に配属になった。加藤君は他の編集者とは違い、夏生たちにも普通に声を掛けてくれていた。
 慌てた様子で駈けてくる加世子はいつも通りの遅刻だ。
「遅れてごめん! 加藤君、夏生」
「遅いぞ。加世子、いつも遅刻だよ」
「もう、仕方ないじゃない」
とふくれっ面だ。こういう所は加世子も変わらない。変わった所は、髪型ぐらいだ。
「髪切ったの?」
「そう、男にふられちゃってね」
「あのイケメン?
「はあ、イケメンなんて良くないのよ。今後は顔じゃなくて心を見る。」
「いっつもそうじゃない」
「まあまあ、二人とも食事、何処にする?」
「ああ、じゃあ、三越の上のイタリアンとかどう?」
「いいじゃない。そうしましょ」
と三人は入社のと機のようにはしゃいで三越に入った。
 イタリアンレストランは、前と一つも変わらず落ち着いた雰囲気だ。
「久しぶりにきたから緊張するわ」
「そうね、夏生ったら急に結婚決めちゃうんだもん」
「だって私には未来なんてなかったんだもの」
「未来?」
「そうよ、あそこにいて編集部にいけないって分かったとき、もう辞めようって決めてたの」
「そうだったんだ・・・・・・俺は夏生の文章好きだったんだけどな」
という加藤は少し照れていた。
「加藤君は夏生のこと、好きだったもんね」
「やだ、加世子、嘘つかないでよ。加藤君は総務の洋子ちゃんと付き合ってたじゃない」
「あんたが急に辞めるって言うからでしょ?」
と加世子がムキになっているところを加藤君が制止した。
「はいはい、二人とも俺の話で盛り上がらないの。本人を前にして」
「あ、ごめん」
「俺はお前の文章が好きだったわけで・・・・・・嫁さんになったお前をみても何も思わないよ」
と言った。夏生野中に少しさみしい気持ちが沸き起こってきた。実は夏生も加藤君のことを好きだった。淡い気持ちの中で、同期という壁がどうも乗り越えられず、告白をしなかった。
 食事も終わり、三越をぐるぐると回って、カフェに入った所だった。
「ごめん、夏生、加藤君。家から帰ってくるように言われちゃって」
「あら、残念。また連絡してね。今日は誘ってくれてありがとう」
「ううん、二人はゆっくりしていって。じゃあね」
と言って店を出てしまった。
「加藤君は大丈夫なの? 時間」
「うん、俺は何もないからね」
「そう、なら良かった」
と言ってコーヒーに口をつけた。
「変わらないな。カフェラテが好きなんだ」
「ええ、貴方も紅茶なのね」
「うん、コーヒーはまだ無理だな」
「仕事はどうなの?」
「うん、まあまあさ。景気が悪いからね。本だって売れやしないさ」
「そうなの。彼女とは一緒にならないの?」
「別れたんだ。いや、むしろ付き合ってなかったっていうのが正しいかもしれないな」
 夏生は自分の心が少し動揺しているのが分かった。だが、それを隠すのに必死だ。
「そう、噂だったのね」
「まあね、あっ、夏生にお願いがあってさ」
「何?」
「専業主婦って言ってただろ?」
「うん、まあね」
「暇じゃないのは分かってるんだけど、バイト頼まれてもらえないかな」
「バイト?」
「そう、三百文字程度の新刊の紹介コラムを書いてもらいたくてさ」
と言った。
「ちょっと待って。私、無理よ」
「そうか、やっぱり忙しいか」
「いいえ、そういうわけじゃないわ。家で日がな一日何もしていないのは確かよ。だから時間には余裕があるの。だけど、コラムなんて編集者でもないのに無理よ」
「そんなことない。夏生なら書けるよ。俺が見てきた中でライターとして書ける人だと思ってる」
「私で本当に良いの? 社内の人、何も言わない?」
「俺が夏生が良いと思ったからそうした。どうだろう?」
と優しいがとても真の通った瞳でこちらを見つめる。やはり、編集者としてやっていくには、心の強さが必要なんだと感じる。
「わ、分かったわ。やってみる。でも書いてみて駄目だと思ったら、書き直してね。それから、ライターも雇い直して」
「分かった。でも、書けると俺が見越したら続けてほしい」
と言う加藤君を見て、夏生はこくりと頷いた。
「今日はありがとう」
「ううん、こちらこそ、請け負ってくれて」
「いいえ、新刊読めるのは嬉しいし、暇してたからね」
「よく言うよ。良い奥さんしてるんだろ?」
「そんなこともないのよ。子供はいらないって言われて、結局頑張ってはみたけれど、生まれなかったし」
「そうか、まあ、いろいろある中で新しい事をしてみたら変わるかもしれない」
「それもそうね、ありがとう」
「ううん、多分、コラム原稿について、また会って話したいから連絡していいかな?」
「うん、主人にも相談してみるわ」
と言って別れた。加藤君はいつまでも反対車両に乗る夏生に手を振っていた。あのときの淡い気持ちが再燃しそうになる。
 家に帰ると、まだ光は帰ってきていなかった。今まで印刷所の経理をやっていたが、ここ五年ほどは従業員を雇えるほどになっていて、体調を崩してからはもう会社経営に携わる事も無くなった。
 夕飯を作り、光を待っているうちにパソコンを開いてみた。最近ではネットしか見なくなっていた。
 久しぶりにデータ保存していたフォルダを開いてみた。
「これ、学生時代に書いてた小説」
と懐かしく思った。あのときの甘酸っぱい青春の匂いがしてきそうで夏生は高揚感を覚える。
「昔は作家になりたいなんて夢も見たっけ?」
と独り言を言いながら微笑んでいると、チャイムが鳴り、光が帰ってきた。
 光は今日も疲れた表情だった。
「お帰りなさい」
「うん、ただいま」
お風呂にするか夕食にするか聞くと夕食にすると言う。ビールと枝豆を出すと、無言で食べ出した。
「今日ね、昔の同僚と久しぶりに会ったの」
「そう、どうだった?」
「みんな元気そうだったわ」
「そうか、良かったな」
「うん、それでコラムをお願いできないかって言われたの」
「コラム?」
「うん、その会社の小冊子みたいな物なんだけど、新刊の紹介をね」
「そうか、請け負うの?」
「うん、やってみようかなって思ってる。駄目かしら?」
「ううん、でも身体に負担にならない?」
「大丈夫よ。家で新刊を読んで書くだけだから」
「そう、じゃあ、やってみると良いよ」
と素っ気なく返してきた。
「分かったわ。仕事、大変そうね」
「うん・・・・・・まあ経営は大変だ」
と言ったまま枝豆を口に入れた。

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