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午前3時の熱 最終話 情熱

 冬の風が、私を包む。いつものように買い物を済ませて部屋に戻る。
 私は横山と会ったあれからの事も、充に別れを切り出すこれからの事を色々考えた。
 充に見つからないように自分の荷物はすべて実家に送った。ポケットで携帯が鳴る。充かと思ったが、ディスプレイには母の名前だった。
「もしもし」
「嘉菜、荷物が届いたけど、どうかしたの?」
「ちょっとね、預かっててくれない?」
「うん、それは良いんだけど何かあったの?」
「全然大丈夫よ。お母さんも元気?」
「元気よ。お父さんもね」
「良かった」
「嘉菜も近々帰ってきなさい。久しぶりに会いたいしね」
「うん、引っ越ししたら荷物を取りに行くわ」
と言って電話を切った。母の声はいつものように優しかった。
 結局、答えは一つだ。
 今日は充が帰ってくる日だ。
「お帰りなさい」
「ただいま! やっと帰れたよ」
「お疲れ様」
「嘉菜、会いたかったぁ」
と私を抱き締める。久しぶりに充の香りを吸い込む。
「私も会いたかったよ」
「明日は一日休みだ。嘉菜、一緒にいよう!」
「うん、一緒にいる」
と言ってキスをする。そのままベッドに入る。優しく愛撫してセックスした。
「充、愛してる。私、ずっと応援してるわ。貴方は輝き続けて、私の光になって……」
と言って私は充を抱き締めた。
 次の日もずっと充といた。微弱な熱で、目が覚めた夜中。まだ時計の針は夜中の3時を指している。私は隣で眠る充の顔を見た。充は私を抱き締めて離さなかったが、充の腕をどけて、起こさないように荷物をまとめた。
最後に充の額にキスをして手紙を認め、テーブルに置く。玄関で振り返り、まだ眠っている充に微笑んだ。
「愛してる。大好き」

 早朝の商店街は、まだシャッターが閉まったままで、冷たい風が私の体を吹き抜ける。
一番端にある充の祖母のお店の玄関が開く。
「おはようございます」
「あんた、こんな早くどうしたの?」
「おばあさん、ごめんなさい。私……」
とおばあさんの顔を見ると、私は涙が止まらなくなった。
「さぁ、入って」
とおばあさんに促されて部屋に入る。
 私は泣きながらあの日からの事と、別れを決意した経緯と、まだ充を愛しているし、これからも応援している事を話した。
「私、充を愛しているから、手を引こうと思ったんです。これから、充がどんどん売れていく上で、私は充のためにこれくらいの事しか出来ないから」
「嘉菜ちゃん、あんた……そんなに充を愛してくれているなんて。本当にありがとう。でもあんたが居なくなったら、充は駄目になってしまうよ」
「いいえ、充は今、ファンに支えられてここまで来ているんです。だからまた充が私を必要とするなら、おばあさんがこの電話番号にかけてください」
と新しくした携帯の番号を祖母に渡した。
私はお礼を言って、駄菓子屋を後にする。
「分かった。嘉菜ちゃんも元気でね。たまに遊びにいらっしゃい。あんたとの約束を守るからね」
と言って手を握ってくれた。私は軽く会釈をして旅立つ。ゆっくりあの公園を横切り、電車に乗った。

実家は何も変わらない雰囲気で、母が出てきた。
「お帰り、嘉菜」
「ただいま、急に帰ってきてごめんね」
「良いのよ、ゆっくりしなさい」
「うん……」
私は有給をあまり取っていなかったので、一週間ほど実家にいることが出来た。
 私の実家は、東京の外れにある。山に溢れ、東京都とは言えないような田舎で埼玉に行く方が近かった。勤めている病院には一時間半もかかる。
食事を取りぼんやりとこたつに入る。すると、母がお茶をくんでくれた。
「ありがとう」
「ミカン食べる?」
「うん……どうして帰ってきた理由を聞かないの?」
「あんたは私に似て、向こう見ずで頑固だから」
と言うと、テレビに目をやると充たちのバンドが出演していた。
「このバンド、売れたね」
「お母さんは知らないけど、頑張ったんだろうね」
「うん、頑張ったんだよ。声が出なくなったあの時も、フェスに出たあの時も」
「あんた、このバンド好きなの?」
「知らないけど前にテレビで言ってた」
とごまかすと、母は何かを悟ったように微笑んだ。
「ふぅん」
慌てて口にミカンを含んで私は口を塞ぐ。充は出会ったときのまま、たまに寝癖が付いているような猫みたいな癖っ毛が大好きだった。何も変わらない充が輝かしく見えて、嬉しく感じた。

 一週間は本当に早く過ぎる。私は新しいマンションで新しい生活を始めた。充と住んでいた部屋よりは小さく、病院に近い場所にした。
 春の風が私を誘う。昼休みにぼんやりとテラスに座っていると、後ろから声がする。
「どうだね、一年経ったが」
「お疲れ様です。教授」
「うん、この間の論文、本当に良かったよ。学会に送っておいた」
「本当ですか?」
「あぁ、もちろんだ。所で、君、最近休みを取っていないんじゃないか?」
「そうでしたか? 私は何も感じなくて」
「無理はいかんぞ。休めるときは休みなさい」
「はい」
と話す。
 私は仕事に勤しんだ。それ以外に私の気持ちを紛らわすものはなかった。
 もう夏も終わり、青々と繁っていた木も綺麗に色が変わる。仕事を終え、帰ろうとしたときだった。携帯が鳴る。
「もしもし」
「嘉菜ちゃんかい?」
「おばあさん!」
「あぁ、元気してたかい?」
「はい、おばあさんもお元気でしたか?」
「あぁ、元気だよ。今日なんだけどね、来れないかい?」
「充に何かあったんですか?」
「そんな事はないんだが……」
私に緊張が走る。
「解りました。お伺いします」
と言って私は走り出した。久しぶりに向かうこの商店街は、充のように変わらない。駄菓子屋に着くと、祖母が迎えてくれた。
「すまないね。来てもらってね」
「いえ、どうかされましたか?」
「これを嘉菜ちゃんにってね」
「えっ?」
白い封筒を手渡した。
「充が、嘉菜ちゃんに渡してほしいって」
封筒を開けると、チケットが入っていた。
「充が……私に?」
「あんたに支えられてここまで来れたから、絶対に渡してほしいって」
私は涙が溢れだした。武道館でのライヴチケットだった。
「ありがとうございます。ありがとう」
と私は泣きながらお礼を言った。
 ライヴ当日、私は恥ずかしそうに会場に向かう。早く来すぎたのだろうか。お客さんは疎らだが、物販に群がっていた。Tシャツも前よりしっかりした生地に、デザインもお洒落だ。
「やっぱり良いよね! シングル聴いた?」
「うん、あれでも彼女にじゃない?」
「えぇ~充って彼女いるのかなぁ?」
「いるでしょ? きれい目男子だしさ」
「えぇ~嫌だなぁ」
「うちら付き合えないし、いたって良いやぁ」
とファンたちは話している。私は会場入りまで、お茶でもしようと歩き出した。すると、聞き覚えのある声が後ろからした。
「嘉菜ちゃん?」
振り替えると、そこには未来がいた。少し痩せたように思った。
「未来さん、お久しぶり」
「嘉菜ちゃん、会いたかった!」
「私も、会いたかった」
「少し痩せた?」
「えっ? 未来さんも、痩せたように思った」
「うん、時間あるからお茶でもしない?」
「えぇ、そうしましょう」
と言ってカフェに入る。
「嘉菜ちゃん、充と別れたの?」
「えぇ、私のところに事務所のマネージャーが来られて……」
「急に居なくなったって聞いてね。私のところにもマネージャーが来たよ。私は半年以上粘ったけど、結局喧嘩が耐えなくなって、別れたの」
「そうだったの。私は喧嘩はしなかったけど、充に黙って出たの」
「そうだったんだ。佳子はあの後、子供ができたらしくて、正也と結婚したわ」
と話す。
「充、貴女がいなくなってからかなり落ち込んでたわ」
「でもあの時、私にはあの方法しか残ってなかったわ」
「そうよね、私たちには別れる他なかったわ」
と話した。外を見ると、同じTシャツを着た人たちが続々と武道館に向かっている。私はそれを見て呟いた。
「あの日、横山さんが言ったことも正しかっただろうし、私たちの選択も間違いじゃなかった。このファンの量が教えてくれてるわ」
「そうよね」
と微笑んだ。私たちはカフェを出て、武道館に向かう。
 会場に入ると、チケットを見て係りの人が別入り口に誘導した。中に入ると、ステージが目の前に見える関係者スペースだ。辺りを見渡す未来を横目に、昔の事を思い出して含み笑いをした。未来は私を肘でこつく。
「どうして笑うの?」
「初めて充のライヴを観に行ったとき、小さいライブハウスで、仏頂面の受付の子が店長を呼んで、関係者席で観たの。そこにはタバコを片手に観てた女がいて」
と二人で笑った。
「こことは大違い。ね、嘉菜ちゃん」
「あの頃が懐かしい。だけど、こんなにファンに恵まれた。充たちは大丈夫」
すると、暗幕が上がる。同時に拍手が巻き起こる。真っ暗な中にギターの音が鳴り響く。歓声が湧く。
「充!」
と叫び声が一声に起こる。一気にステージが明るくなり演奏が始まる。
いつもと変わらない演奏スタイル。
私は涙が自然と溢れだす。あっという間に最後の曲になった。
「最後の曲は……」
と充はこちらに目を向けた。私は手すりに掴まる手に力を入れた。
「ある人に送る曲です。ここまで来れたのは、あの人がいてくれたからで、その人から僕は色んなものをもらいました。聴いてください」
充はしっかりと私を見つめ、私に向かって歌ってくれていた。私は頷いた。
「充、愛してるよ。今でもずっと愛してる。貴方が辛いときは、ずっと傍にいるつもりだった」
 ライヴが終わり、私たちは会場を後にしようと立ち上がると、スーツを着た見覚えのある姿が見えた。
「天見さん、この度は来ていただいてありがとうございました」
と深々と頭を下げた。
「いえ、その節は……」
「あの時の事は、とても悔やんでいました。充と貴女に酷いことをしたと後悔しています」
「今さら!」
と怒る未来を制止して頷いた。
「横山さん、今日の武道館ライヴを観て、私たちは正しい決断だったと思います」
と言った。
「嘉菜ちゃん、どうしてよ!」
「私たちが、一緒にいてここまでは来れなかったかも知れない」
「そ、それは……」
「私は安心しました。こんなにお客さんに囲まれて幸せそうでした」
と頭を下げた。
「充が、充が最後に歌った最後の新曲は、貴女たちに捧げた曲なんです。絶対に聴かせたいって」
「良い曲でした。本当に良い曲でした。充に伝えてください」
「はい、必ず。充たちに会っていかれますか?」 
「いえ、私はこちらで失礼します。これを充に渡してください」
と紙袋を渡した。
帰り道、未来と物販で新曲のCDを買った。
「さっきの差し入れは?」
「あれは、私と充の想い出のコロッケ」
「まだ、充の事を……」
「うん、私は充の一番のファンでいたいの。たとえお互いに別の人と一緒になっても」
「そっか、私もそうする。」
と空を見上げた。空は真っ暗の中に一つ星が輝いていて、私たちを照らしているようだった。

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