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街明かり-もう一度 ⑦-

 二時間後、ようやく光が起きてきた。
「ごめん、眠ってしまった」
「ううん、お腹すいたでしょ?」
「うん、もらおうかな」
と言ってビールと食事を出した。
「さっき、話したいことって何だったんだ?」
「ああ、それが作家デビューしてみないかって言われてて」
と言うとさっとこちらに顔を合わせた。
「本当か!」
「ええ、どうしたのよ。そんなに」
「す、すごいじゃないか! どうしてもっと早く言わないんだよ」
「だって、貴方、忙しそうだったじゃない」
「良かったじゃないか! それでどうなるんだ?」
「どうなるって・・・・・・今、ゲラが出る手前だから」
「そうか、じゃあ、印刷会社に来てるな」
「まあ、でもペンネームも入っていないし、何も入ってないから」
「うん・・・・・・ペンネーム、本名にするの?」
「貴方にも迷惑がかかるような気がして、決めかねてるわ」
「俺は別に何も迷惑なんて。でもお前が決めると良いよ。おめでとう。応援してる」
「ありがとう」
と言う光は嬉しそうだった。
 それからの夏生は忙しかった。再校が出てくれば、宣材写真を取り、カバーの写真やイラストに赤字を入れたり、コラムも締め切り間際までかかってしまった。それでも夏生は、楽しくやっていた。
 もう光が不倫をしていようが、いまいがどうでも良くなってきていた。今日も夏生宛の荷物がたくさん届いている中に、一つ、光宛の封筒が入っていた。
宛名は、「藤堂建設事務所」という建設事務所の名前があり、その下に「牧野楓」とあった。
「牧野楓・・・・・・」
 夏生は一瞬でその名前が少し前に、光とあの居酒屋で楽しそうに飲んでいた女の子だと気付いた。建設事務所ということは、印刷所を大きくするのかと思っていたが、それなら家に届くはずがない。
 不動産でも買って離婚でもしようと言う魂胆なのかもしれない。夏生も作家という道を選んだら、売れても売れなくても、もう一度社会に出るという事になる。だから今、見切りを付けて出て行こうと言うことなのかもしれない。
 夏生はこの間の光の笑顔がよぎる。加藤君の思いを蹴って光と一緒にいる決意をしたのにこの妄想が当たっていたら辛くてたまらなくなった。
 そんなこんなで、夏生の小説は校正も佳境に入り、帯とカバーも出来上がってきた。「時の頃」という題名で、光の印刷会社に迷惑がかかるのを避けて、著者名は旧姓の「吉岡」を使うことにした。
 指定した通りの色に花のイラストがちりばめられていて、きれいに仕上がっていた。装丁などを手がけてくれたデザイナーさんに感謝を言いたくなって、手紙を書くことにした。
 打ち合わせもかねて、久しぶりに加藤君に会った。いつもと変わらない爽やかな笑顔は四十歳目前とは思えない。
「夏生、メールばっかりも申し訳ない」
「全然よ。忙しいって良いことじゃない」
「じゃあ、あのカフェで良いかな?」
「うん」
と行ってカフェに入る。いつものようにスマートに紅茶とカフェラテを頼む。
「修正箇所ももうあまりないし、カバーも良い感じだよな」
「うん! カバーは完璧だった。本当に感謝してるわ」
「良いんだよ。俺がイラスト描いた訳じゃないし」
「嬉しくなってね、イラストレーターさんにお手紙をしたためたわ」
と言って夏生はカバーの色校と一緒に手渡した。
「おお、すごいな。渡しておくよ。そうだ、もし良かったらパーティーを開きたいと思っててさ。」
「パーティー?」
「そう、出版記念」
「えっ・・・・・・」
「いや、編集長がどうしてもって。うちの出版社の内々のことだから」
「分かった」
「良かった。じゃあ、編集長にも伝えておくよ」
と言って加藤君は紅茶を飲む。夏生もつられてカフェラテを飲んだ。
「俺さ、結婚しようと思ってるんだ」
「えっ!」
思わず飲んだカフェラテを吹きそうになるのを抑える。
「おめでとう。良かったわね」
「うん、夏生も知ってる」
「誰? まさか加世子?」
と言うと加藤君は飲んでいた紅茶でむせた。
「違う違う! ほら、夏生が来社してくれた日、お茶を運んできたバイトの」
「ああ、あの子!」
 夏生は少ししか顔を見ることが出来なかったが、彼女と結婚するという。
「良い子そうだったわ」
「うん、歳が離れてるんだけどね。俺は良いと思ってる」
「そうか、うん、お似合いよ」
と二人で微笑んだ。
 一ヶ月後、夏生の本の製本され、見本が届いた。夏生は手に取ると、丁寧に封を開ける。
「素敵なカバー、素敵な文字に囲まれて、あなたは幸せね」
と本に問いかける。
 するとけたたましいインターフォンが何度も鳴る。慌ててモニターを見ると、汗だくの光が立っていた。
「夏生、俺だよ」
「い、今開けますね」
とドアを開けると、大きなバラの花束が目の前に現れる。
「ど、どうしたの? この花束」
「出版、おめでとう」
「あ、ありがとう」
「俺、ずっと言えなくて、何も聞けなかった。夏生の本、印刷所に来るたびに、チェックして」
と赤い顔をして息を切らしながら話す。
「そんな・・・・・・」
「俺、内心は嬉しかったんだ。夏生には自由な事させてやれなかったから」
と言いながら光は夏生を抱きしめた。
 夏生は光の腕の中で久しぶりに光の匂いがする。昔と変わらない若い匂いがした。
「ありがとう。なんだか私も嬉しい」
「うん、お祝いをしよう」
と行って取り出したのは、ビールだった。二人でちゃちゃっとつまみなどを用意して、乾杯をした。
「言ってくれたら原稿の見せたのに」
と言うと、照れ笑いをしながら「恥ずかしくってさ」と言ってビールを呑んだ。
 つまみもなくなった頃、話は出版記念パーティーの話になった。
「出版元の編集長がどうしても開きたいって内々だけだから旦那さんもどうだって言うの」
「そうだな。いつもお世話になっているし、出席するか」
「良いの?」
「良いよ。それより、その後って忙しくなるの?」
「うん・・・・・・売れればね。サイン会とか」
「へえ、じゃあ、少し落ち着いたら一緒に行きたい場所がある」
「どこへ行くの?」
「お楽しみにしてほしい」
と鼻歌でも歌いそうなほど浮かれていた。こんな光は見たことがなかった。
 出版記念パーティーは、出版社の会議室を開放して行われた。光は会社から花を用意してくれていた。馴染みの顔から、知らない顔まで勢揃いしてくれた。
「吉岡先生、おめでとうございます」
「ありがとうございます。先生なんて気恥ずかしいですよ」
「いいえ、先生ですから」
とみんなが祝ってくれた。
 加藤君が近寄ってきて光に挨拶をした。
「このたびは、お花を頂戴しましてありがとうございます。奥様をお借りして申し訳ございませんでした」
「いいえ、素敵な本を作って下さってありがとうございました。そしていつもお世話になっております」
と言って頭を下げる。何もなかったような光景に夏生自身もホッと胸をなで下ろした。
 すると飲み物を持ってきてくれた女の子が恥ずかしそうに夏生と光に会釈をした。
「貴女、この間、お茶を持ってきてくれた」
「あ、はい・・・・・・東山春と申します」
「そう、ここの編集部?」
「いいえ、私、バイトで雑務をしてます」
と恥ずかしそうに言う彼女を見て、夏生は遠い日の自分を思い出した。
「東山さん、編集部に入りたいの?」
「えっ・・・・・・はい・・・・・・」
「分かった、ちょっと待って」
と言って夏生は加藤君を呼んだ。
「加藤君、ちょっと相談が」
「次の原稿ですか? 先生」
と少し酔っているようだ。
「違うわ。ちゃんと紹介してよ。東山さん」
「ああ、春ちゃんね」
と照れくさそうに並ぶ。
「もしかして、言ってた子ってこの子?」
「そうなんだ。春ちゃんと付き合ってて、今度結婚するんだ」
「おめでとう。でもその前に、東山さんの気持ち、分かってる?」
「気持ち?」
と首をかしげた。夏生は大きなため息を吐くと、首を振った。
「貴方は第二の私を作るつもり?」
「えっ? 第二の夏生?」
「そうよ、私がどれだけこの会社で辛い思いをしたか覚えてないの?」
「編集部に行きたいって願いを出してたってやつだろ?」
「そう、貴方、結婚する話の前にちゃんと東山さんの話を聞いた?」
「いや・・・・・・ちょっと忙しくて」
「駄目よ、部下の話は聞いてあげないと。今度から私の仕事は東山さんと一緒にしてくれない?」
「急にそんな・・・・・・編集長に確認しないと」
「確認してあげるわ。もう怖くない」
と言って夏生は編集長に駆け寄り、話を付けた。
「東山さん、今度から貴女は私の編集者よ。それにちゃんと幸せも手に入れてね」
と微笑む。
「あ、ありがとうございます」
東山さんは笑顔でお辞儀をした。

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