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街明かりー純愛 ①ー

 銀座の街はいつもキラキラしている。歩行者天国で道路の真ん中を歩いても、誰にも怒られることはない。
 だけど、私は歩くことが出来ない。こんなキラキラした街は私には似合っていないのかもしれない。
 そう思いながら、レジカウンターからぼんやりと外を見つめていた。
「おはよう」
と声を掛けてきたのは、店長の笠森昭夫だった。私は、びくりと身体を震わせ、「お、おはようございます」と大きな声で挨拶をした。
「今日も明るくて良いな。柿本さんは」
と笑う。笑うと目がとろりとして、いかにもという優男だ。
これで何人もの女性を誘惑してジュエリーを買ってもらったんだろう。
 開店前はいつも朝礼が行われ、掃除、ジュエリーケースの拭き掃除。ジュエリーの検品作業が行われる。そして、シャッターが開いていく。
 平日の昼間にもかかわらず、ブランド物のバッグや宝石、衣服を身にまとったいかにもお金持ちらしきマダムが横行していく。田舎では見られない光景だ。いや、ブランド物を持っている人はいるが、見せびらかすように持ち歩いてはおらず、うちの母もそうだが、納戸の中で埃をかぶり、いつかの時のために家宝のように眠っている。
「そういえば、柿本さんは青森だっけ?」
と二つ年上の吉田瑞恵さんが声を掛けてきた。
「ええ、そうです」
「今年は帰るの?」
「いえ、休みもそう長くはありませんから、帰らないでおこうかと」
「そう、ならうちにいらっしゃいよ」
「えっ?」
「うちも一人暮らしで、実家には戻らないつもりだからね。鍋でも一緒にどう?」
「良いんですか!」
「うん、もちろん。そうだ、他にも誰か誘おうかな。メンバー決まったら教えるね」
と優しく言ってくれた。
 頼りになり、いつも私を見守ってくれるそんな吉田さんを尊敬している。
 私が青森の実家を出たのは、この春だ。まだ雪が残っていて、寒さに震えながら電車を持った。
「東京でうまくいかんかったら、戻ってこいよ」
と見送りに祖母と母が駅まできてくれた。
「東京のブティックで働いてうらやましい」
と内定をもらったとき、高校の同級生からは口々に歓喜が湧いた。
 昔から目立つ方ではなかったが、ずっと働きたいと思っていた店が東京にしかない事を知り、親の反対を押し切って、就職活動をした。
「どうしてもジュエリーショップで働きたい!」
と両親に行った時、父は地元のデパートで働けばいいと意見を突っぱねた。
 だから、見送りには父はきてくれなかった。
「東京は冷たい人が多いし、怖いこともあるから、よう気をつけるんだよ」
と祖母は近くの神社で買ってくれたお守りを渡す。
「ありがとう。頑張る」
「無理しないで、ちゃんと食べるのよ。米や野菜は送るから」
と言う母の目には涙が溜まっていたのを今でも鮮明に覚えている。
 店のドアが開き、お客さんが入ってきた。
「いらっしゃいませ」
と威勢良く皆が頭を下げる。
「今日は注文をしていたネックレスを取りに来たんだけどね。それに似合うリングもほしいの」
「かしこまりました」
「あら、昭夫君、今日も元気そうね」
「はい、おかげさまで」
と三十代ぐらいの奥様の手を引くように笠森さんは接客をする。まるでホストのようだ。
「今日は一段とおきれいで」
「やだわ。貴方は口がうまいんだから」
と言ってマダムが注文をしていたネックレスを取り出し、その隣にマダムが好きそうな指輪をいくつか並べる。
 笠森さんはお客様、一人一人の好みを全て把握している。このネックレスに合うリングを探しているとお客様は言っているが、結局、自分の好みに合う物を探しているのだ。それを把握せず、ただただネックレスに合う物を出すと、お客様はへそを曲げてたちまち買わなくなってしまう。
 以前、研修中に言われたことを思い出す。
 そんなことを考えていると、マダムはこちらをチラリと見て微笑む。
「あの子、新人さん?」
「はい、この春の入社です」
「そう、何だかあどけなくて」
とクスッと笑う。私も微笑み返した。
「僕も、最初はやっていけるのか? と思ったんです。でも、彼女、明るくて丁寧なんです」
「へえ、貴方が人を褒めるなんて珍しいわね」
「やだな。清原様の事、悪く言ったことはありませんよ」
「そう? やなおばさんって思ってない?」
「思っておりません。清原様にご来店頂けるのを僕はいつも楽しみにしております」
と指輪を指に通しながら、上目遣いで話すと、マダムは頬を赤く染めて、まんざらでもない顔をした。
 多分、一つしか買う予定ではなかったのだろうが、マダムはネックレスと一緒に指輪を二個買った。レジを担当するようになり、包装もうまくなってきた。
 私にクレジットカードを渡しながら、まじまじと顔を見つめて、
「新人さん、貴方も笠森さんにだまされないようにね」
「は、はあ。ありがとうございます」
と私が言うと軽くウインクをして帰って行った。
 東京では雪が降らないのか、暖かな日差しが照りつけている。青森はもう十一月にもなると雪がしんしんと降り、夜になると真っ暗闇の中の白銀の世界が覆う。
 バブル崩壊後にもかかわらず、銀座の街は優雅に時間が流れており、別の次元にきているのではないかと思った。就職活動中は、ちょうどバブルが崩壊した直後で、私も40社以上受けて、ようやくこのジュエリーショップに採用をもらうことが出来たのだ。あの時、親戚の叔母の家で、肩身の狭い生活をしたことを昨日の事のように覚えている。
 入社式を控えた二週間前に引っ越しをしてきて、親の言いつけは、叔母の家にお金が貯まるまで厄介になることだった。だが、あの肩身の狭さは尋常じゃなく、お金が貯まるまでに吸い取られてしまうような気がして、私は寮生活をすることにした。
 寮はありがたいことにアパートのような造りになっていて、一人暮らしにしては勿体ないほどの広さがあった。狭いがキッチンやユニットバスも完備されていて、女性にありがたいシステムだった。
ただ、男子寮、女子寮と別れていないため、隣には別の店舗の男性社員も住んでいる。だが、皆が優しくて何かと助けてくれる。もしかすると、田舎者でゴミ出しや都会のルールを全く知らないと思われていたからなのかもしれないが、野菜などが届いたと言うと何かと一緒に集まって鍋などをする中になった。
 この頃の高卒初任給はたった十三万円。寮の家賃は三万円。食費と光熱費、それからが図代。洋服代。溜まらないのは分かっていたが、とりあえず支払い二万円ずつは貯金をすることにした。
 そういえば、同じ地元から東京に出てきたのは、私と二、三人大学進学のために上京したという噂は聞いたが、他学科であったり、クラスの異なる人たちで、私のいたクラスからは誰一人県外に出た人はいなかった。
 田舎だからなのか、家業を継いだり、地元の大学を目指して教師になったり、公務員になったり、地元企業に勤めるのが一般的で、後は出稼ぎの人もいただろうが、東京までというのはなかなかいなかった。
 仕事を終え、掃除をして帰ろうとしたときだった。笠森さんが声を掛けてきた。
「おお、お疲れ様」
「お疲れ様です」
「最後まで片付けありがとう」
「いえ、まだまだ新人なんで」
と笑う。
「あっ、腹減ってない? 俺はペコペコなんだけど」
「えっ? ああ……減ってますね」
と言うと急にお腹が鳴る。それを聞いてクスッと笠森さんは笑った。
「よし! 今日は俺のおごり。なんか食って帰ろう」
「えっ! 良いんですか?」
「もちろん。良いよ」
と言って戸締まりをした。
 銀座の街を二人で歩いたのは初めてだった。前に案内してもらったときは、吉田さんも一緒だった。指導係として吉田さんが着いてくれたからだ。
 銀座一丁目駅のすぐ側の和食のお店に着いた。こじんまりしていて、カウンターが並ぶ店内には大将と従業員二人が働いている。
「いらっしゃいませ。どうも、いつもありがとうございます」
と奥から着物姿の綺麗な女将さんが出てきて、席を用意してくれた。
「こんばんは」
「どうも、この間はお花を届けて下さって」
「いえ、大将にはお世話になっております」
と頭を下げた。
「今日は、後輩を連れてきたんです」
「ありがとうございます。可愛らしい方ですね」
と微笑んだ。私も併せて微笑み、頭を下げた。
「ここはね、僕が新人の頃に社長に連れてきてもらったんだ」
「しゃ、社長にですか! すごいですね」
「昔からの知り合いなんだ」
「そうでしたか」
と言っている間に料理が出てきた。見たこともないような綺麗なお皿に前菜がのっている。
 私はどれを見ても物珍しく、どんな味がするのか、匂いも良い匂いしかしなかった。
「美味しそう」
「良かった。そういえば、柿本さんは青森の実家をだったよね」
「そうです」
「そうか、青森、一度行ってみたかった。なまはげとかいるんだっけ?」
「それは祭りの時ぐらいで。ほとんど出ません」
「そう、残念だな。でも祭りの時に行けばいいわけか」
と微笑む。
「ほら、温かいうちに食べよう」
と言って箸を付ける。
「頂きます!」
と明るく私は言って食べた。初めての味が口いっぱいに拡がる。でも美味しくて、ほっぺたが落ちると言うが、こういうことかと認識する。
「美味しい! こんなに美味しい料理食べたのは初めてです」
と思わず青森弁が出そうになる。
「はは、それは良かった。柿本さんは明るくて良いよ。心配していたんだ。田舎から出てきて、不安じゃなかったかなって」
「いえ、皆さん優しくして下さるので、平気です。それに、憧れのジュエリーショップで働けるのは嬉しいですし」
とありきたりな事を言ってしまった。本当は心細い部分もあるし、実家にいた方が良かったのではないかと時々思うこともある。
ただ、自分のわがままで上京してきている分、文句など言えなかった。
「そうか、柿本さんは強い人だね」
と言ってくいっとビールを飲む。
 一通り料理を食べ終わり、食後のデザートが出てきた。アイスクリームにサクランボが乗っている。これは自分も食べたことがあるからホッとする。
「そういえば、柿本さんは寮暮らしだっけ?
「はい、そうです」
「僕も昔、住んでたな」
「あの寮にですか?」
「うん、僕が入社したときに寮を完備するってなったからね。第一号」
「そうだったんですね」
「送るよ」
と言って店を出た。
 笠森さんは、身長がすらっと高くて、スマートな人だった。十歳離れているだけあって、大人びていて、優しくて、声を荒げたりすることはなかった。だからと言って、新人や社員の指導を疎かにすることはなく、言い聞かせるように伝えてくれる。信頼できる店長だ。
寮の近くまで来ると、笠森さんは見守るように私を階段まで誘導してくれた。
「仕事もプライベートも大変だと思う。何かあったら、すぐに相談するように」
と言って不意に私に近寄って頭をポンポンと撫でる。
 私は心臓が飛び出るかと思うほど高鳴り、今までに感じた事のない感情がわき上がってくるのが自分でも分かった。
「は、はい。ごちそうさまでした。ありがとうございます」
と頭よりも口が先に出て、慌てて頭を下げた。
「ゆっくり休んで、明日からもよろしくね」
と言うと笠森さんは手をあげて駅に向かって帰って行った。
 この時、初めて分かった。
ー私は笠森さんが好きだー

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