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言葉の花束ーアキの詩集No.2

1.「喉風邪に柚子の砂糖漬け」

喉の痛みにしみるね
ゆずの味が

甘くてほろ苦い
ゆずの砂糖漬け

頬張ると
冬の香りが
口いっぱいに広がる

たまにはいいね
食後のデザート

夕食の締めにいいね
ゆずの砂糖漬け

ゆずの栄養が
風邪菌を退治してくれたのか

大分喉の痛みが
和らいできたよ

お陰様で
早く治りそうだよ

冬の味覚に
感謝だね


2.「確実な一歩」

私は
「今日は何を成し遂げたか」
「何に気づけたか」を
一日の最後に振り返るようにしている

私は
1分1秒たりとも
時間を無駄にしたくない

なぜなら
時間は有限だからだ

人間はいつか死ぬ
死ぬまでの時間は
刻一刻と迫っている

それを忘れて
無限に人生が続くかのような
錯覚を起こして

ただいたずらに過ごすなんて
私には耐えられない
損にしか思えない

確かにゆとりを持つことは
必要だけれど

1日1日
こつこつと何かを残していきたい

そして少しずつ
自分のなりたいもの
叶えたいものに向かって

前進していきたい
そう思ってしまう

1日1歩でもいいから
確実に何かに向かって
歩んでいくこと

それが
私の望み

3.「独りぼっちの少年と少女」

誰も
僕を気にする人なんていない

そう思っているのは
賑わいのあるとあるゲーセンで
一人ゲームをする少年

少年はゲームをクリアし
何気なくユーホーキャッチャーに向かった

すると
そこには自分と同い年くらいの少女が
ユーホーキャッチャーの中を
じっとのぞいていた

少女は自分に気付くと
「あれ取って」と言って
中のぬいぐるみを指さした

「自分でやりなよ」
「だってお金ないし、やったことないから」

少年ははじめ断ろうとした
しかし
一人でいる少女が自分と重なり
放っておけなくなった

慣れた手つきでぬいぐるみを取ってやると
少女は嬉しそうに微笑んだ
「ありがとう」

少年はそれを見て少し照れた
誰かに喜ばれた経験がなかったからだ

家に帰っても
誰も自分を気にかける人がいない

両親は出来のいい弟を溺愛し
自分に関心を示さない

今日だって自分の食事を作ってもらえず
「コンビニで買ってきなさい」とお金を渡された

いつものことだ
その度に渡された金で
ゲーセンで遊ぶのが日常

「君、お腹が空いてるでしょ?
うちに来ればお菓子があるよ
来ない?」

突拍子もない少女の言葉に思わず
お腹が鳴る

「うん」
二人は少女の家へと向かった

少女の家は普通の一軒家で
裏口からそっと中に入った

ダイニングから
おじいさんと小さな男の子の
笑い声が聞こえる

ドアの隙間からその光景が見えた
二人で楽しそうにラーメンを食べている

少年はふと疑問に思った
「お前の分はないの?」
「ないよ」

少女は当然のように言い放った
その様子を見て
この少女に対する同情というよりも
生きる強さに共感するものを感じた

案内されたのは
奥まった部屋の押し入れだった
そこに沢山お菓子があった

お腹の空いた少年は
夢中でお菓子を頬張った
少女も一緒に食べている

そのときだった
「誰だ!?」
突然、おじいさんが部屋の扉を開けた

「坊主、こんなところで何をしている」
当然、起こった形相で少年を見ている

弁解を求めて少女の方を振り向く
しかし
なぜか、少女の姿がない

「あれ?確かに女の子が僕を
ここに連れてきたのに・・・」
「何を言っているんだ?」

少年はおじいさんに
こっぴどく叱られた
自宅まで連行され
両親が平謝りでおじいさんに謝罪した

その数日後だった
ニュースで
その少女の家が全焼したという報道があった

おじいさんと男の子は無事だった
しかし不審な点があった

なんと
焼け跡から子供と思われる
別の死体が出てきたのだ

それは
行方不明になっていた
そのおじいさんの孫娘だった

その少女は死後
数ヶ月経過していた

後から聞いた話では
おじいさんの娘
少女の母親は未婚で彼女を出産

結婚後、少女の弟を出産してすぐに
別の男ができて蒸発
姉弟は祖父に引き取られた

未婚のうちに生まれた孫娘の存在が
世間体を気にする祖父にとって疎ましくあり

おじいさんは
日常的にネグレクト、虐待を少女に
繰り返していたそうだ

あの家事が
少女の怨念により起きたものかは
分からない

ただ
少年も一人で
あの少女も一人だった

独りぼっち同士が出会い
お互いに惹かれた

少なくともあの時間は
二人は孤独ではなかった

初めてできた友達は
少年の心を助けてくれた

と同時に
少年に助けを求めていたのかもしれない

「あれ取って」
そう言って声をかけてきた
少女のあどけない表情が
少年は忘れられなかった


4.「いばら」

自己憐憫や

過去や他人を恨み憎んで
怒ることにこだわり続ける心が

いばらとなって
私の歩みを止めようとする

だから私は
己の意志を剣として
いばらを断ち切り
振り払って

傷だらけになりながらも
進み続けるのだ


5.「うつ状態の対処法」

気分が沈んでいて
誰かに気を遣うことが
難しいとき

無理して笑わない
無理して気を遣わない
無理して役に立とうとしない

色んな無理を
制限してみる

それを申し訳なく思うだけでいい

自分に配慮してくれる人がいれば
それに気付いて
「ありがとう」を言葉にするだけで十分

自分勝手になりすぎず
他人も自分も責めないこと

良くなろうとしなくていい
それ以上悪くならないよう
維持できればいい

今は待つこと

その休息は
いつか心が晴れて
頭がすっきり動いて

いつもの自分に戻るための
必要な準備だから


6.「偉い人や凄い人を目標にしてもいい」

偉くならなくてもいい
凄いことが出来なくてもいい
とはよく言うけれど

別に
偉い人や凄い人になることを
目標にして頑張ることはいいと思う

平凡な人生がいけないことはない
限界を見定めて
できる限りのベストを尽くすのが無難だろう

ただ
全ての可能性を諦め自分に否定的になり
逃げ道として普通に逃げるのは
何かが違うと思う

自分の内に秘められた素質を探ってみてよ
それを活かせば広がる可能性が
あるかもしれない

人は偉くなるため
凄くなるために生きているわけじゃ無い

けれど
そういった人に少しでも近づくため
何かを極めて研鑽することは必要じゃないか?

考え方のレッテルを剥がして
視野を広げてみよう
固定観念をぶち壊そう

自分は何者かを
どうなりたいかを問い続けよう

そして
色んな人物をモデルにし
なりたい自分をイメージしよう

それに向かって何かを極め
努力し続ければ
なりたい自分へと近づいていくよ

たとえ100%そうはならなかったとしても
何もせず悶々と過ごす人生よりも
悔いは残らないと思うよ


7.「クリスマス・イヴの過ごし方」

今日はクリスマス・イヴ
あなたはどうやって過ごす?

恋人とか家族とか
大切な人と過ごす
そういう人が多いだろうか

中には
余所に出かけて祝う人達や
パーティーを開いて
盛大にお祝いをする人達もいるだろう

だけど私は
ケーキを買うくらいで
自宅でいつもと変わらない日々を
家族と過ごす

イベントを行ったり
参加するのが億劫なのもあるけれど

平穏な日々を
当たり前のように
こうして送れること

いつも通りの日常が
自分に与えられている
それだけで十分幸せだから

別に何か特別なことを
する必要なんて無い

クリスマス・イヴで
祝うことがあるとしたら

当たり前の日常を毎日
今日まで送ることができたこと
それに感謝することぐらいかな


8.「家族の形」

世の中
色んな家族の形があって
どれが正しいとかはないのだろうけれど

私の家族は一言で言うと
今のところ安定はしているが
バランスが非常に悪い

でも
どこの家族も同じなのかな?

我が家のバランスが悪いのは
誰のせい?

ワーカーホリックの母親?
ニートの引きこもり兄?
認知症で問題行動だらけの祖母?

おそらく
原因は多数あって
複雑に絡んでいる

誰かを責任追及したら
きりがない

そんなことをして時間を無駄に削るより
どうしたら家庭のバランスが良くなるか
客観的に考えてみよう

そのためにも
家族一人一人とコミュニケーションを取り
関係を築いて
気持ちや考えを探るのは必須だ

そうやってみて
当人達の考え方の歪みはあるが
それぞれの価値観や長所もあると分かった

腹を割って話し関わらないと
見えてこない部分もある

そして
見えてきたものから
どうしていけばいいか
判断出来てくる

我が家の場合
「愛情による情緒的な関わり」が
上手く作用していないと思えた

兄も祖母も愛情に飢え
また愛情を人に還すことが出来ていない

母は愛情による関わりよりも
仕事、趣味を優先している

私の家族の形が
愛と愛を循環させる
「愛の形」を取ることが出来るならば

みんな幸せになれるのにと思う

当人達が
愛の重要性に気付いて動けるように
私も愛をもって接したい

そして
愛の形に家族の形がなれるように
働きかけたい


9.「2種類の学び方」

ヒトから学ぶ方法には
2種類ある

1つは
他人の
自分より劣るところや
不足している点を見て
「悪いこと」を学ぶ方法

この方法はとてもポピュラーであり
よく使われている

また
「あるもの」よりも「ないもの」の方が
目に映りやすいから
この方法は簡便だ

ただ多用しすぎると
「自分は誰よりも優れている」と勘違いし
自尊心だけが肥大化し
他人から学ぶよりも批判することに熱中する

そこで大事なのが
もう1つの学び方だ

それは
他人の
自分よりも優れているところや
自分には持っていない利点などを見て
「良いこと」を学ぶ方法だ

この方法をとることで
自尊心の肥大化や
他者への批判を抑制できる

そして
素直になって尊敬の念を持って
他者から学ぶことが出来る

ただこれも多用しすぎると
「自分は駄目だ」と自責に陥る

だからこそ
両者の学び方を
バランス良く併用することが重要だ


10.「教え、学び、育て合う関係」

自分と関わる全てのヒトと自分は
お互いに教え合い
学び合い
育て合う関係だ

他者がいて
関わり合うことで
得られる経験があり

そこから生きていくのに必要な
知識と知恵を得る

それは
自分と関わってくれた誰かがいるから
出来ること

その人達に
学ぶきっかけを与えてくれたことに
感謝すべきだ

たとえその相手が
嫌いな人や憎い人であっても

その関わりから気付かされることや
経験できた苦労があり
今の自分を育んでくれたなら
感謝すべきだ

また
教え合い学び合う関係に
上下関係や優劣は存在しない

お互いが教師で生徒であることを
自覚していれば
自分は誰よりも偉いと
自負することはないはずだ


11.「批判は本能、受容は理性」

誰かを認めて
褒めることよりも

偏見の目で見て
けなしたり
批判するほうが楽なのはなぜだろう?

おそらく批判というものは
害と見なした相手を攻撃し
身を守るための本能ではないだろうか?

つまり批判は
保身と攻撃性を備えた
本能行動だと私は考える

また
人間は正しいことを追及し
それを遵守、追従する本能がある

だから
常識やマナーなどの正しさの規則が生まれ
他者への思いやりなど道徳的行為が尊ばれ
少なくとも日本は安全で住みやすい国だ

ただ問題なのは
その正しさの追及の仕方が
「これはいけないことだ」
「してはいけない」など
禁止や制限にあるような
ネガティブアプローチが取られやすいことだ

何が問題なのかというと
その規範から反れたものを排除しようと
批判的な働きが作用しやすくなるからだ

その代表例が
「いじめ」
「仲間はずれ」である

自分とは違うものを嫌悪し
排他的になるのは本能である
だから仕方ないのだろうか?

そうではないと
私は思いたい

批判という本能の対になるものがある
それは
「受容」である

自分とは違う他者を認め
違いを受け入れること

そこに
本当の和解と共感
平和がある

その正しさは
受容と共感からなる
ポジティブアプローチから生まれるため

批判から生まれる正しさを超えた
より多くの人に寄り添い
幸福に貢献するような
そんなレベルの高いものである

批判が本能であるのに対し
受容は理性であると言える

受容ができるようになるには
色んなヒトと関わりの中で
数多の視点、観点、価値観を認め
自分の中に吸収していこうとする姿勢が必要だ

そうして
理性的にヒトと関わることで
自分は進化していくことができるだろう


12.「彼にきゅん」

彼の声にきゅん
彼の笑う声にきゅんきゅん

彼の背中にきゅん
横顔にきゅん
彼の横を通り過ぎたときに
きゅんきゅん

彼の顔を真正面で見たとき
ずっきゅん
胸を打ち抜かれる

あぁダメ
マスクなしじゃ見られない

だって口元がにやけている
嬉しすぎるから
愛おしすぎるから

彼が誰かと話している
そっと聞き耳立てて
様子を探る

出来ればその会話の中に
自分も入りたい

そして彼と言葉を
交わしたいわ

少しでも接点を持てれば
彼に近づければ
でもどうやって?

あ、ほら
近くに来たよ

話しかけたい
でもダメだ
勇気が出ない

チャンスが到来しても
握れない自分の臆病さ
情けない

話しかけられるような雰囲気
そんなもの
当てにしてダメね

時間やチャンスは
自分で作るものだよね

じゃないと先に進めない

さぁ勇気を出して
玉砕覚悟で気持ち伝えなよ!

頑張れ自分!


13.「父のいない年末年始」

今年の年末年始は
父が家にいない

父は憩室炎が治りきらず
大腸ポリープを取り除くため
入院している

冷静沈着な父だから
入院や退院後に関して
不安なことは無いと思う

火曜日に初めて行った家族会議で
父の考えや気持ちを聞くことが出来た

私が4月から作業療法士に転職するにあたり
祖母の4月からの施設入所について
ニートで引きこもりの兄の今後についてなど
色んなことを入院前に話し合った

やはり
自分のことよりも家族のことを
気にしていた

父には
「お父さんがいない間は私たちに任せて」
そう言って会議を締めくくった

入院して2日目
ラインでは
「今日は蕎麦が出るかも」なんて
呑気なこと書いていた

父のことだから
大丈夫だとは思う

気の利いた言葉なんてかけられないし
変に気を遣いすぎても困るだろうから
いつも通りの調子でラインを返す

今年の年末年始は父がいない

だから
朝のご飯の支度もゴミ出しも
年末年始にしなければならないことも
父なしでやらなければならない

どれだけ父が家族に貢献していたか
そのありがたみを痛感する

この病は
頑張りすぎる父への
神様からの贈り物だ

少しでも休めるよう
休暇を頂いたのだ

父は家族に尽くしたい人だから
父の役割を奪うことはかえって逆効果だろう

けれど
少しでも自立したいから
色んなことを教えて欲しいな

今夜はこんなラインを送りたい
「いつも家族のために働いてくれて
ありがとう」と

その一言しか浮かばない

けれど
それだけでも
私の気持ちは十分伝わるかな?


14.「いつか私が親になったとき」

いつか私が
親になったとき

我が子にきちんと教えられる
親になりたい

教えたいことは
沢山ある

常識やマナーもそうだけれど
それ以上に教えたいことがある

それは
自分の感じること考えることや
世界の色んな不思議に触れてみることの
生きることの楽しさ

自分や他人を思いやり
大切にする術など

子供の心をきちんと育てられる親に
私はなりたい

そのためにも
子供に寄り添い
一緒に考えていこうと思う

そうして
子供と共に成長していきたい

子供に教えられること
考えさせられることは多いだろう

一緒に育て合い
学び合う関係を
将来の我が子と築きたい


15.最後に

日常生活を綴った詩、人生観について綴った詩、エッセイに近い詩

恋愛詩(職場のリハ科に勤める彼に現在進行形で片思い中です)

物語風の詩(3.「独りぼっちの少年と少女」は夢で見た話があまりにもリアルだったので文章にした詩です)

などなど

色んなジャンルが満載です。

今後もこのような形で記事を掲載していこうと思います。

最後までお付き合い下さりありがとうございます!

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