死について考える。
あなたは自分の死とどれほど真剣に向き合った事があるでしょうか。死とは全ての人間に平等に訪れるもの。でも、それを経験した事がある人は世界中に誰も居ません。とても不思議な現象です。もっとすべての人が死に対してより身近に寄り添って行く必要があると思うのです。とても意味がある事だと私は思います。特に考えて欲しいと思うワードが自殺です。
▼自殺
自殺者数が世界一多いと言われている我が国で死に対して考える事はとても大事です。多くの人が死にたいと思う理由はおそらく今が苦しすぎて、苦しみから解放されたいということなのでしょう。死ぬことでどうなるかわからないけれど、とにかく苦しい今この場所から消え去りたい、楽になりたいということなのでしょう。
世間は自殺志願者を一線画す傾向があると私は思いますが、そういった方に気軽に寄り添ってあげられる社会であってほしいと思います。かといって、死ぬことが悪い事なのかと聞かれると何も言えません。
生きていて欲しいなんて言葉は所詮他人のエゴなのかとも思いますし、とても難しい問題だとも思います。それでも、自殺志願者の全員が本当に死にたいと思っているのかとはどうしても思えないのです。
本当は生きてやりたい事はあるけど、どうしようもないから。どうしていいかわからないから。そういう人たちの手を引っ張ってあげられる社会が良いなと思います。それでも、社会を変えるなんて事はそう簡単ではないと分かってるので、まずは一人一人がそういった心持ちで居る事が大切なんじゃないかと思います。
▼私が死にたいと思ってた時期
学生時代もたくさん死にたいと思った事は沢山ありましたが、最も死にたいと思ったのは市役所で働いていた時期です。今の仕事をリタイアしてしまったら人生が終わると頭に刻み込んでいたせいかもしれません。
仕事の事で余裕がなくなっていくにつれて、自分が何の為に働いているのかいくら考えてもわからなくて、職場では上司に怒られ、家では母親に怒られの毎日でした。自分の気持ちを言葉にしても誰にも理解されず、自分で自分の事を追い込むようになり、自分はこの世に必要な人間ではないのではないかと本気で思っていました。
この気持ちは今でも本当の意味で拭えてはいません。相談できるような友達も恋人もいないので、余計にそう思いました。
▼死と向き合う
普通の生活を送っていくうえで、死と向き合う事はなかなか少ないと思います。まだ先の事であると無意識の内に遠ざけてしまっているから。自分の身近にそういった出来事がないとなかなか意識しないのではないかと思います。でも、明日突然、自分が事故や病に見舞われるかもしれません。人間はいつだって死と隣り合わせにあるものです。
以前にTwitterであいき(@aiki_again)さんからいただいたリプライです。やはりどこかで皆の他人事になっている現状はおかしいと23歳にしてそう思えるようになりました。死ぬとはどういう事なのか。そんなことを考えるようになりました。
休職期間中にはこんな本を読みました。当時私自身が病みまくっていて、楽に死にたいと思っていた時期がありました。そんな時に本屋で見つけた一冊です。表紙の「人に迷惑をかける前に死に方とその時期くらい自分で選びたい」この言葉が凄く刺さりました。
本の中身は著者自身が経験した太平洋戦争、母親の介護の苦労など死にまつわるエピソードが書き記されていましたが、私にはどれも経験のない事ばかりでした。それでも、死に対する重さを読み取る事は出来ました。とても頭の良い人だと思うと同時に、若い頃から死が身近にあった方という事もあり、死に対する考えをとても深めているとも思いました。
身近な存在で言えば、両親はおそらく私たちよりも早く死が訪れるでしょう。そういった時にどんな行動をしてあげられるか。個人の意思を尊重してあげられように振舞う事ができるか。そんなことにも繋がると思います。
▼まとめ
とてもデリケートな問題であるが故に、簡単にこうした方が良いなんて口にすることはしたくないですが、色んな人に死について考えるきっかけを与えたくて今回はこの記事を書きました。他人の気持ちを完璧に理解するなんてことは無理です。それでも、頭を動かして考え続けて欲しい。死と向き合う事こそ豊かな人生を過ごすうえでとても重要なファクターだと考えます。
記事を読んで何か感じて貰えたらお願いします。