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『透き間』無事、終演いたしました。

前にnoteを書いたのが、この作品の台本のセリフをひとことも書いていない時期だったことに驚く。それからあっという間に数ヶ月が経ち、そして昨日、公演が終了した。

2021年度は新作を3本作った。それに挑むと決まった去年の今頃、このことをまともに直視したらきっと最後までこのハードルだらけの道を走り抜けられないと思ったので、フワッとさせた。私は何かと、フワッとさせるのが得意だ。物事をフワッとさせると意外と前に進むことができる。結構お勧めの技だ。しかし今回ばかりは飛んでも飛んでも、ハードルは続いていた。高すぎるハードルに、何度もこけた。走り抜けることが大事だと思ったので、その度に立ち上がったが、徐々に体が疲弊していくのを実感した。でもそれを直視すると起き上がれないと思ったのでまたフワッとさせた。もう心も体も綿菓子みたいだった。

しかしとうとう、ようやく、なんとか、最後から5つ目ぐらいのハードル高目を飛び越えた!あと4つぐらい残っているのは、もちろん、精算である。とりあえず今は、疲れているのでフワッとさせておく。でも、飛んだ!ああ、飛んだ・・・・。疲れた・・・・。

一応、誤解なきようにいっておくと、「へそで、嗅ぐ」は2020年に公演が中止になった代わりにリーディングをしていて完全な新作ではないし「PLEASE PLEASE EVERYONE」は新作と言えばそうだが、私が数年にわたって取り組んできた自分の子供たちが通う保育所の問題が原案になっているので、これもまるきり新作とは言えない。

「透き間」もまた、2019年から徐々に取り組んできて、2回のWORK IN PROGRESSを経ているので、ゼロからではない、ということがあって、なんとか無事、この過酷な公演ラッシュを走り抜けられたんだと思う。新作ばかりなら無理だった。

さて今回、演劇を続けて上演してみて、痛感したんだけど、私の作る作品を二十数年前から見続けてくださっている方がちらほらおられる。そしてその方々が、徐々に変わっていく私の作品に対して、徐々に感想を変えて言ってくださっているということがわかって、もう、それが嬉しくて、たまらなかった。

例えば高野しのぶさんが初めて私の作品をご覧になったのは、20年前の東京芸術劇場での上演だった。その時にトークで手を挙げて質問してくださって、それがきちんとした批評精神に基づいた発言で、私はショックを受けながらもそれを真っ直ぐ受け止めた。そして20年ぶりにまた、東京芸術劇場で再会し、真っ直ぐに感想を述べてくださった。そして演劇を上演してくれてありがとう、観客でよかった、とおっしゃってくださった。高野さんなりの文脈はたくさんあって、私もそれは承知しているが、それとは別に、ここでこうやって20年ぶりにお会いできたことが、私にとっては奇跡だった。

それ以外にも、とにかく続けて観てくださる方がおられること、その間、社会の状況は刻々と変化しているのだが、人と人とのつながりというものは、変わらず、また、変わりつつも、確かにそこにあるのだ、と思えて、それがとても、私を励ました。つながりというのは、相手のために頑張るという意味ではなくて、それぞれが表現し、それに呼応してまたそれぞれが表現し、という意味でのつながりである。

それが私の疲れを、心地よいものにしている。

そんな心地よさの中で「透き間」を観ながら、私はこれをどうやって作ったかを後から色々、思い出していた。思い出したというのはすごく不思議な表現だ。だって私が、私たちが作ったものなのに。でも、作っている時はなぜそれをそのように作るのか、説明がつかない。ただ、そうしたいからそうするに基づく。

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でも観ていると思い出す。舞台に光り、踊っているその手や足は、私の祖父のそれであり、私のご近所のおばあちゃんの、死んでバラバラになったお父さんのそれだった。舞台の下でクスクス笑うのは、木や風車を人間で表すのは、生まれてまだ数年しか経っていない私の子供たちの、生活発表会の姿。死者とタンゴを踊るのは私を含む作家全てのことだし、男たちに絡みとられて前へ進もうとするあの女は、一体何を表すのだろう・・・・私の作るものの全ては、身近な何かから始まっている。決して、高尚な何かではない、あるいは、私にとってはご近所さんや子供が、高尚なのである。

だから私は、この作品が誰にどうであってもどうでもいい。

同時にこれをもとに、何かを感じ、文章を書いてくださることは、この上なく嬉しい。

この創作が始まった、それこそコソボから帰ったばかりの頃、まさか世界で、また戦争が始まるとは思ってもいなかった。現代で、今更戦争のことを題材に演劇を作るなんて・・・とまで思っていた。でも今の自分のありようが、私の両親、そしてその両親の経験した戦争から来ているものだと、創作の中でわかった時に、これは必然だったと確信した。そして戦争が、起きてしまった。そんな偶然はいらなかった。

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私たちは、何ができるだろう、とよく問われる。何もしないための理由は、いくらでも見つけられる、やりたいではない、やるのだ、と。でも、私たちは実は、何もしていないわけではない。いつも、すまし顔で、マイナスをゼロに戻している。何もしていないように見えるが、息をしている、生きている。

そこに目を向けることが、これから、必要になってくるとおもう。

舞台写真撮影:三浦雨林(東京公演)

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