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『へそで、嗅ぐ』とその諸々①

昨日無事、『へそで、嗅ぐ』が終演いたしました。近大稀に見るパンデミックの中、劇場にお越しくださいました皆様には深く御礼申し上げます。また、このコロナ禍のなか、キャスト・スタッフ、劇場の皆様には最後まで前向きに寄り添っていただき、感謝してもしきれません。本当にありがとうございました。そして東京まで共に来てくれた家族にも、改めて感謝しています。

感染者が爆増し、周囲で演劇公演が次々と中止になる中、なんとか上演にこぎつけたのはラッキーとしか言いようがありません。何か一つ違っていたら中止でしたし、それらは全く、運によるものでした。


代役のこと

『へそで、嗅ぐ』最初に予定していた大阪・東京2都市ツアーは、2020年に開催される予定でした。しかしご存知の通り2020年4月に新型コロナウィルス感染症が拡大し始めた頃で、稽古できず、公演をリーディングに切り替え、東京公演は中止となりました。

翌年の2021年に、やっとのことで稽古にいたり、大阪での公演は開催できましたが、ちょうどその頃東京の感染者数が爆増し、再び東京公演が中止となりました。この時はさすがに辛く、あの時の悔しいという感情を今でもありありと思い浮かべることができます。

そして今回。3度目の正直。これが中止になったら、今のこの形での『へそで、嗅ぐ』は2度と上演できないかもしれない、という不安が常にありました。このキャストだったからこそ立ち上がった世界なのに、月日が流れれば皆、歳を重ね、環境も変わっていきます。このメンバーでは上演できなくなってしまうかもしれない。そうなる前になんとしても上演したい、という思いが日増しに強くなり、正直いうと、毎日怯えながら稽古しておりました。そして直前のPCR検査で全員が陰性と出て、ようやくホッとしたのも束の間、主演の豊島さんが体調不良となられてしまいました。

実は事前にスタッフ・キャストには、もし誰か体調不良者が出た場合は代役等でカバーし、上演を行うことを告げておりました。それが団体としての持続可能な選択のように思ったからです。でもそれは、このメンバーでどうしても上演したいという考えとぶつかっていることを、ずっと見ないふりして稽古しておりました。そしていざ、豊島さんの出演が叶わない、となったときに、改めてその矛盾と向き合うこととなったのです。

結論としては、別の俳優が演じるのではなく、これまで共に稽古してきた演出である私が出演するという選択を決断しました。台本を書いた、全ての稽古に参加した私であれば、この作品が何を求めているのか、豊島さんが何をしていたのか、この身体が覚えています。私は視覚からの情報を得るのがわりと得意で、そこに筋が通っていなくても目で見たことをそのまま再現することに長けています。また耳は、言葉を意味ではなく音楽として聞き取るようにできているので、数十回の稽古によって、セリフのリズムがほぼ全て、暗記できておりました。

稽古中の豊島さんと温井さん

であれば私の体を通して豊島さんと「衿子」を舞台にあげることができるかもしれない、と思いました。もはやこの段階での「衿子」は私が書いた「衿子」ではなく「豊島さんと共に作った衿子」でした。だから私は演じるという恥ずかしさを捨てて演じることができるのだと、はっきりわかりました。

同時に「演技ってこういうことなのかもしれないなぁ」とも思いました。私は私ではなく、その役がのる乗り物のような心身だと「演技をする恥ずかしさ」などというものは全く湧いてこず、むしろこの時間がどうすれば流れるのかを重視できるようになります。自分が他人から見てどう見えるのか?ということが、良い悪いのジャッジではなく、流れているかどうかという側面からの点検になります。月曜に代役をすると決めて、火曜日は1日稽古のない日でしたので、自分で全てのセリフを読んで録音をし、それを聴きまくりました。翌日は移動日でしたので、到着したばかりの劇場の中で録音のための読み合わせをさせていただき、温井さんとヤス子さんにはセリフの合わせにも協力いただいて、その日の夜は録音を聴きながら寝ました。

翌日水曜日は場当たりでした。夕方までかけてほぼ全シーンのきっかけをさらった後、私のための稽古が始まりました。とはいえその日は数時間。翌日木曜日、1日かけてなんとか全容を掴み、ゲネプロを行いました。想像以上に、身体が覚えていた型が活用できました。型を演じることの面白さと、それから改めて、観客の前で演じることの怖さを、思い出しました。

豊島さんの衿子で上演できるのがベストだったと終わった今でも思っています。でも、なんとか全てのステージを終えた今、豊島さんが遠くから伴走してくださったから成し遂げることができたのだとも感じています。思いというのは不思議です。

何はともあれ自分で企画し、自分で書いて自分で演出して主演まで務めるという公演が終わりました。今はその名の通り抜け殻で、酷使した身体がふわふわと宙に浮いているようです。何かが入っていたこの1週間、そして出て行った今。お客様の一つ一つの言葉が身にしみて、まるで全てが嘘だったかのように、いや、嘘だったのですが、何も起きない自宅での1日を、しっかり、味わっています。

豊島さん、本当にありがとうございました。そして代役の私を暖かく迎えてくださったキャストの皆さん。支えてくださったスタッフの皆さん。本当に本当に、ありがとうございました。これにて『へそで、嗅ぐ』は一旦、終了でございます。

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