今日までのこと、これからのこと

今が人生の中で一番頑張っている時なのか、そうではない。
高校生の頃、学生の頃(特に就活期間)は何かしら自分を高めるためにたくさん時間を使っていた。

いまはどうだろう。

小学校の時、自分は埋没していた。
極端にシャイで、国語の時間に順番に音読が回ってくる、それだけでも隣の席の子に心臓の音が聞こえてしまうくらいに緊張する。そんな子供だった。

兄の影響で通っていたサッカーでも自分を出せず、周りのレベルの高さに圧倒されるのみで、どこにも自分が主役として存在できる場所がなかった。

中学になり、流れでサッカー部に入る。しかし、上手な子は学校外のクラブチームに所属するため、自分の実力でもやっていけるのではないか、そんな気持ちで部活に取り組み始める。あながちそれは、間違いではなかった。

先輩の試合でもスタメンで起用され、3年時にはキャプテン、地域選抜から県選抜にも招集され、韓国にサッカー遠征に行ったこともあった。
中学の最高成績は県で2位。自分が最後、PKを外して負けた。

高校では違う部活も考えたが、縁もあってサッカー部に。それまでの価値観がひっくり返るほど厳しい監督の下、1日を乗り越えるのに必死だった。
教室でのシャイは変わらない、そこに自分が影響できる何かはなかった。

高校でも上の学年の試合にも出ていたことから、またキャプテンに。この時くらいから、自分は意外とリーダー気質があるのかもしれないと思い始める。それもあながち、間違いではなかった。

高校では中学ほどの結果は出ず、個人賞として県のリーグ戦の得点王には輝けた。何か結果を残さなければならない、というこだわりを持って獲得できた経験となった。

そこから地元の国立大学に入学した。教育大学だから、先生になるんだろう。しかし、入学直後の教授の言葉が新鮮だった。
「君たちはまだ18歳。将来の夢があるのはいいが、全ての可能性を捨てて教員になると決めつけていていいのか」

この言葉には様々な意図があったのかもしれない。
結局、民間企業への就職を目指すことになった。
周りは教員採用試験・自分は就活。

その前に、憧れていた海外留学にも行くことができた。
卒業が一年遅れることになるが、自分の力だけで過ごす、シャイや人見知りを克服する良い期間となった。もちろん、語学力も向上した。

留学から帰ると、いよいよ就活。
教育の授業しか受けていない自分の知識量を取り戻すために、話題や人気の出ているビジネス本をたくさん読んだ。案外、それでも戦えた。

結果、一部上場企業でまぁまぁ学生人気のある人材系の企業に就職する。
しかし就活期間での勉強の結果、本当の意味で教育に関心が向き始めてしまう。何年か働いて教員になろう、と思いながら入社した。

そのプラン通りにはいかず、半年で退職することになる。そして高校で講師として働く道を選んだ。同期や人には恵まれていたが、その企業で結果を出すために努力することに嫌悪感を持ってしまった。それは商材や社風が原因にはあるが、自分がなりたい自分に近づくとは思えず、退職を決意した。

配属になったのは学力レベルとしては高くない学校、生徒指導がメインの学校だった。自分の過ごしていた高校時代とは全く違う高校模様だ。
しかし、ここでも働く人には恵まれる。たくさん協力してもらいながら先生としての職にも慣れつつ、初めて受けた教員採用試験にも合格した。

合格すると、何か事件を起こさない限り定年まで公務員として働くことになる。それ自体には魅力を感じていない。むしろ変化を好む自分にとってはあまりフィットしているとはいえない。

海外への憧れは引き続きある。その憧れはたった1回の留学だけでは自分の現実として捉えられなかったということだろう。20代の内に使えるワーキングホリデービザ、いまはもう25歳だ。

ここまでが今日までのこと、次からがこれからのことになる。

せっかく採用されたのに、4・5年程度で手放すのか。安定してしまっている現在の生活に足りていない要素は何なのか、成長が止まってしまってはいないいか。"悩み"であり"考え"ないまま時が過ぎている気がする。1人の人として生きていくに足る知識もまだまだ少ない。

どうしよう。こういう時に思いつくのは「理想の自分」とのギャップだ。「理想の自分」だと今日という日をどう過ごすのか。どういう作戦で日々を送るのか。

何かに熱中したい。目標を考えているとそう感じ始めている。
これからのことを書こうとしてから、まだ数行しか書けていない。脈絡もない。ただ本来、これからのこととは、そういうものなのだろう。

整理ができているから過去のことはすぐに取り出せる、しがみつきたくなる。それではだめだ。今日までのことよりもこれからのことをもっともっと書きたくなる、そう思えるのも「理想の自分」な気がする。

年齢、お金、親の病気、そういった環境を言い訳にしたくない。
これから、何をしようか。
自分の命と人生に真剣に生きていきたい。
人生は線ではなく点の連続、次にどこに点を打つかは自分で決められる、確かに全て、自分で選択できる。

それを思い出すために、noteに残すことにした。
これは自分への意見表明だ。文章はたまに褒められる。自己満足かもしれないが、今後少しずつこうやって今日までのこととこれからのことを残していきたい。

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