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話下手な僕が教師を続けられた理由

私は、教師として10年以上働いてきましたが、人前で話すことがとても苦手でした。
子どもの頃は、極度の人見知りで、友だちを作るのに自分から話しかけたことはなかったのではないかと思います。将来の夢は、あまり人と話さなくてよさそうな大工さんでした。

しかし、中学生の頃に踊りを年下の子に教えることに喜びを覚え、教師の道に進みました。その後、教員採用試験に合格し、いよいよ小学校の先生になることになりました。

教師になる1か月前は、頭が真っ白になって子どもたちに笑われる悪夢をよく見ていました。
毎日、こんな自分なんかが本当に、勉強を教えることができるのだろうかと不安でした。

実際に、教師になって授業をすると、2年生の子どもたちは騒ぎはじめ、それを「静かに!」と大きな声で注意しては、数分後にはまた騒ぎ始めるという始末でした。
今となっては、当たり前だと思います。
つまらない話を、小学2年生が何時間もおとなしく聞くはずないのです。
しばらくすると、もともと喉が弱い私は、声が出なくなってしまいました。
これでは、授業ができないと思いながらも、自習にするわけにはいかなかったので、ほとんど声が出ない状態で授業をすることになりました。

声が出ない私は、説明する代わりに、子どもたち同士で話し合わせたり、発表させたりする時間を多くとりました。すると、今まであんなにつまらなそうに授業をうけていた子どもたちが、生き生きしだしたのです。

決して、静かではなかったのですが、これまでのように授業に関係のない騒がしさとは違う、いい意味での活発さがありました。

10年以上前は、まだ「アクティブラーニング」とかそういった言葉はまだなかったかと思いますが、自然とそれに近いような授業になっていたのだと思います。ひょんなことから、教師があまり説明しない授業のよさに気づくことができました。それからは、極力私は話さないようにして、子どもたちが話し合ったり、発表したりするサポートのような役割を果たすようになりました。

これから、先生になろうとしている人の中にも、「自分は話すのがあまり得意ではない」と思っている人もいるでしょう。しかし、こんな私でもできたのですから、大丈夫です。

話すのが苦手だったら、たくさん子どもたちの話を聞いてあげてください。なるべく説明を短くして、子どもが考える時間、動く時間を確保してあげてください。その方が、子どもたちのキラキラした顔に出会えるはずです。

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