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『障害者のアート就労とネジロボ』

「ネジでロボットを作っています」と言うと、
「動くの?」と聞いてくる人が少なからずいる。

ネジロボはロボット型だけど、
動く機能はついていない。

ただのアート作品、オブジェ。

それでいいのだ。

動くかどうかはあまり重要ではない。

その姿や存在に癒されたり、
愛着を感じたり、
それが「道端に落ちていた物でできている」というコトに出会いの物語や不思議さ、面白さを感じ取る…

そんな「投影」の対象になるコトが、
彼らの存在の意味や価値なのかもしれない。

一般的に、動くものだけが生きているとか役に立つとか思われがちだ。

誰かの指示通りに滞りなく動いて働くことこそが
人の役に立つ仕事として金銭的価値を産み、
それ以外は「仕事」としてみなされにくい。

では、その型にはまれない人間…身体や精神に障害を持つ人たちは、
「仕事ができない」のだろうか?

役に立ったり、金銭的価値を産み出したりできないのだろうか?

ネジロボは、価値がないとみなされてしまうような物で出来ている。

錆びたネジ、すり減ったネジ、折れたネジ、
紛失され忘れ去られたネジ…

けれど、私にはそれらがとても美しく愛おしく見え、
思わず拾い集めずにはいられなかった。

私にとってそれはそのままでも十分に価値があったけれど、
ふとひらめいて作ったのがネジロボだ。

そんなネジロボを見て、
かわいいと喜んでくれる人がいる。

欲しいと言ってお金を払い、
手元に置いてくれる人がいる。

役に立たず金銭的価値も生み出せないと思われがちな物に、
手を加え工夫するコトで、
輝きが生まれ価値が見出される。

そしてそれは、それまでの既成概念に捉われていたら、
決して生まれない価値だ。

そしてそれこそが、障害者の就労支援に必要な考えだと思う。

その人がその人にいちばん適した形で輝くコトができるように、
その適性を生かして価値を作る方法を一緒に考えるコトが、
障害者の就労に必要とされる支援だと思う。

一般企業への就労は向いていないけれど、
アートで独特な表現ができるという場合、
アートを生かして社会との接点を持ったり、
多少なりとも収入に結びつけたりするのは、
障害者の人生をきっと豊かにすると思う。

そうやって少しでも働ける障害者が増えたら…
その時その人はもう障害者とは呼ばれなくなるかもしれない。

もちろん本人がそれを望むかどうかの意志確認は必須だ。

ネジロボは基本的に接着や溶接・着色などを一切行わずに作ってある。

針金でネジ同士をつなぎとめているだけだ。

つまり、分解しようと思えばいつでも分解して元のネジに戻せる。

ネジロボという形はあくまでも任意で、
ネジたちは自由だ。

ひとつひとつのネジの形状や特性を見極め、
配置や組み合わせを考え、
繋ぎ合わせる方法を工夫して、
ネジたちがあるがままでいちばん輝く形に持っていく。

それがネジロボ作りだ。

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