VTuberと人間はゲームを通じ競い合うことができるのか

(2019.04.03 1:00)
記事の内容に対して,様々なフィードバックをいただいています.
それらを通して記事の見直しや考えの整理をおこなっています.まとまり次第追記,別途記事にしていきます.

(2019.04.03 2:00)
現時点での考えや内容の整理方針について,Twitterにスレッドとして投稿しました.時間を作って本記事にも記載していきますが,ひとまずはこちらを参照いただけると幸いです.
フィードバックを頂いている現時点では,「「VTuberと人間の対決」という題と議論は,実際の問題の本質とはずれているのではないか」という考えを持ち始めています.


以下,初回投稿時の原文をそのまま掲載します.
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本記事では,対人ゲームを扱うVTuberについて,いちゲームプレイヤーとして捉えた際の危うさについて整理する.また,顔や姿を出さずにゲームをプレイし活躍することの難点についても考察する.

先に断っておくが,自身を含めVTuberファンやゲーマーにとってもあまり気持ちの良い話でもないかもしれない.また,筆者自身の妄想や杞憂,VTuberに対するメタ的な視点も多く含まれている.それを踏まえた上で興味を持っていただけるのであれば,最後までお付き合いいただけると幸いだ.

目次・概要

1. 問題提起
    背後にブラックボックスを抱えるVTuberは,果たして対等な立場で,人間とゲームで競うことができるのだろうか

2. VTuberと対人ゲームの親和性
    VTuberとデジタルコンテンツである対人ゲームとの親和性について

 3. VTuberのブラックボックスは対戦において平等か
    VTuberの文化と運用形態がもたらす,対人ゲームにおける公平性についての疑問 

 4. アカウントや名義の共有・貸与の是非について
    アカウントや名義を複数人が共有する行為は,サービス利用規約等でどのように扱われているのか

 5. 平等の証明の難しさとそれぞれの立場
    VTuberと人間,それぞれの立場における問題の整理と考察

6. VTuberと人間が平等に競い合う為には
    結論.モラルがなければ平等な対戦は実現できない

1. 問題提起

2017年末にVirtual YouTuber,通称VTuberのブームが巻き起こり,あっという間に1年がすぎた.

VTuberは,人がモーショントラッキングをはじめとする技術を駆使して,3Dモデルあるいは2Dイラストを動かすことにより,あたかも2次元空間のキャラクターが映像コンテンツを発信しているかのような,斬新な表現方法を実現している.

こうした配信活動を行うVTuberだが,彼らと親和性の高いコンテンツとしてデジタルゲームが挙げられる.

多くのVTuberは,動画配信サイトを拠点として,自身がゲームをプレイする実況動画の投稿や生放送の配信を行なっている.
デジタル空間を活動拠点とする彼らにとって,同じくデジタル空間で動作・完結するデジタルゲームは扱いやすく,人気の高い題材である.

VTuberのゲームプレイは,魅力的なモデルの,ころころ変わる表情やリアクションで彩られて,非常に華やかで目を惹くものとなっており,
そこに彼らのキャラクター性や,トークスキルが組み合わさった結果,一部のVTuberは人間のゲーム実況者に負けずとも劣らぬ多くの視聴者を獲得している.
ブーム最初期からゲーム実況動画を投稿し続けている,キズナアイや電脳少女シロはその代表例と言えるだろう.

一方で,VTuberによって扱うゲームジャンルやゲームの上手さは千差万別である.
カジュアルなゲームや最新のゲームタイトルを流行に合わせて選択してプレイするVTuberもいれば,特定のタイトルを極めるように遊び続けるVTuberもいる.
そんな特定のゲームを中心に取り上げるVTuberの中には,常人離れしたプレイテクニックを見せつけ,一般プレイヤーからも一目置かれる者も存在している.
例えば対人ゲームを扱うVTuberで,プレイヤーランキングに掲載されるようなレベルの実力者であれば,名の知れた一人のプレイヤーとして羨望を集めるだろう.

こうしたVTuberの活躍が強まれば強まるほど,当然のようにゲームコミュニティから湧き出す疑問が,「あいつは一体何者なんだ?」である.
何者,と言っても,VTuberとしてのステータスは公開されている.
ゲームコミュニティが注目するのは,その姿を身にまとった,背後のいちゲームプレイヤーの存在についてだ.

対人ゲームのオンライン対戦における実力者は,人間・VTuber問わず,相手の姿は見えない.

ただ,ゲームプレイヤーが人間であれば,彼らのSNSやオフライン大会での活躍によって,その人となりが明らかにされる機会があるだろう.

しかし,多くのVTuberは,言ってしまえばロールプレイの延長上にそのゲームプレイが存在している.

ゲームプレイヤーとしての注目と,VTuberとしての注目は多少なりとも視点が異なるものがあり,凄腕プレイヤーとして彼らを見たときに,知りたい情報が見えてこないことがある.

そして,VTuberというコンテンツの性質上,そのブラックボックスが明かされる機会に恵まれることが現状考えられず,人間とVTuberが真剣にゲームで戦う時の取り払うことができない壁になるのではないかと考えた.

2. VTuberと対人ゲームの親和性

対人ゲームは,その名の通り人と人が対戦する機能が搭載されたゲームである.
1990年代以降の急速なインターネット環境の普及と技術進歩があり,直近発売された対人ゲームの多くでは,インターネット通信を介して本来の肉体や名前を使用せずに,第三者との対戦が可能となっている.
バーチャル空間上に存在を置くVTuberは,このようなオンライン対戦と親和性が高い.
我々とVTuberでは存在する次元が異なるため,現実空間上で行われる競技,例えばダンベル上げなどで競うことはできないが,デジタルゲームでは,同じルール条件の上で対戦ができる.
特にオンライン対戦ならば,お互いの居場所を気にせず対戦ができるので,VTuberにとっても非常に都合が良い.

彼らは,生配信中に視聴者やVTuberと対戦をしたり,オンライン対戦の様子を編集して,動画として投稿している.
対人ゲームは,ファンとVTuber,あるいはVTuber同士の交流を促進するツールとして機能し,同時に,見所(=撮れ高)が生まれやすく,動画として映えるゲームであると言える.

VTuberの増加も相まって,対人ゲームを実況の題材としたVTuberのコンテンツは増えており,一部のVTuberは,FPSや格闘ゲーム,DTCGのような,対人ゲームに特化して,配信やコンテンツ制作活動をしている.

こうしたVTuberの中には,オンライン対戦で頭角を現し,プレイヤーランキングにその名を刻む者も存在する.

並みいる強豪に紛れて実力を発揮するVTuberには,見た目の華やかさや動画コンテンツの面白さでは獲得できない『箔』がつき,そのハイレベルなプレイが動画やSNSで拡散されることで,ますます知名度が上昇していく.

もちろん,VTuberという存在は,仮想空間にあるモデルに命を吹き込むヒトの存在(通称,魂)があってこそ成り立つ.
バーチャルとはいえ,ゲームを操作を行なっているのは,現実世界でコントローラーを握る人間である.
姿形が仮想空間にある以外は,対戦が始まった以上,対戦条件は人間と等しい.

しかし,人間とVTuberは果たして,平等にゲームを通じて競い合うことができるのだろうか.

人間とVTuberの間には,VTuberとしての存在がもたらす超えられない壁が存在している.
それは,VTuberが抱える,魂というブラックボックスである.

3. VTuberのブラックボックスは対戦において平等か

VTuberは,現在の文化として,魂と呼ばれる人間の存在を秘匿する傾向にある.
彼らが以前にどのような活動をしていたのか,VTuberの声や活動の内容から推察は可能であるが,
この魂が一体誰なのかは,VTuberあるいはVTuberを運営する組織団体から,活動開始後に明言される事例は.筆者の知る限り存在していない(情報提供求む).

VTuberが主に視聴者と共有する情報は,VTuberのモデルの姿と動き,魂である人間が発する声,SNS等の情報発信,そして,ゲームを始めとするデジタルコンテンツの画面操作のみである.
これらが辻褄を合わせて同居した存在があれば,それが複数人による組み合わせだとしても,一人のVTuberとして振る舞うことが理論上できてしまう.
例えば,声や動きを担当する魂と,ゲームなどの画面上に映るコンテンツを操作する魂,のように,二人以上が役割分担の上で,一人のVTuberの存在を構成することが可能である.

VTuberコンテンツについて,その魂の存在を当人らに直接言及することがタブーである風潮も合間って,このような二人羽織,あるいは三人羽織の実現は,魂同士の連携がうまくいけばそう難しいことではないように思える.
そしてVTuber側から,複数人が一人を形成している可能性を完全に否定することは困難である.

では,そのような役割分担をしてまで質の良いゲームプレイをコンテンツ化するメリットとは一体なんなのだろうか?

それは,ゲームプレイのショービジネス化だ.

2019年現在,ゲームプレイヤーはもはやただの一消費者ではなくなってきている.
プレイヤーは,自身がゲームをプレイする様子をインターネットを通じて発信することで,ファンを獲得し,その人気によっては収益を得ることが可能になってきている.

また同時に,esportsという言葉があるように,ゲームの実力を研ぎ澄ませていくことが,そのまま報酬獲得に繋がる事例も,珍しい話ではなくなってきた.
規模の大小こそあれど,今でも世界中でゲームの大会がオンラインオフライン問わず開催されており,大会によっては上位入賞者に対して賞金やグッズ,レアアイテムの贈呈が行われている.

加えて,「大会で活躍した」ということが,セーブデータには残らない,プレイヤーとしての実績となり,プレイヤーネームに価値を与える.
そのような活躍がきっかけとなって,イベントの招待やゲーマーとしてのキャリアに影響を及ぼすという事例は,esports界隈に関心を持つ人であれば,思い当たるものがいくつか挙げられると思う.

ゲームで遊ぶことがそのままプレイヤーのアイデンティティや社会的価値の創造に結びつくようになったことは,世間的なゲームへの見方を徐々に変える力になっていくだろう.

しかし,誰でもお金を払えば購入できるゲームを,ただ遊ぶだけではプレイヤーに価値は生まれにくい.
実際に要求されるのは,プレイスキルを含めたプレイ内容の面白さであったり,動画の編集技術であったり,プレイヤーのコンテンツ力である.

世の中には星の数ほどのゲーム実況動画や配信者が存在するが,その活動を収益獲得まで結び付けられるのは,ほんの一握りというのが現実だ.
特に,ゲームプレイの巧さで勝負して成功するとなれば,並外れた実力が求められることだろう.
たとえ実力があっても,トークスキルや動画・配信としての面白さが伴っていかなければ,その活動を金銭的なプラスに繋げることは困難だろう.

もしも,ゲームプレイスキルと,トーク・ビジュアルのキャラクター性を,一人の人物が同時に持つことができれば,多くのファンがついてきてくれるのではないか.

そのような願望を叶えるかもしれないのが,複数人物によって作られる架空の存在である.それは,凄腕プレイヤーとタレントの合成で生まれる新しい存在である.

これをスムーズに実現させる媒介となるのが,アカウントや名義の共有・貸与であったり,バーチャル空間の肉体であったりする.

ゲームが得意な人間が自身の名前を隠した上でゲームをプレイし,それを元に喋りが得意で魅力的な人物が声とリアクションを当てる.
このような役割分担をうまく行うことができたら,コンテンツとしては非常に面白いものが完成するだろう.

もちろん,VTuberでなくともデジタル空間に一つの名前や人格を用意し,複数人を一人に見せ掛けてゲームに参加することは可能だ.
この点では,VTuberも一般オンラインプレイヤーも変わりがないように思える.
ただ,実力に疑問を抱かれた時に,VTuberが物理コントローラーを操作する様子を衆目に晒せない.VTuberの体は仮想空間内に存在するのであって,物理のコントローラーを操作する人間の手はメタ要素であり,それを配信コンテンツに載せることがキャラクターを崩す行為であるからだ.
架空のキャラクターコンテンツを守り続ける以上は,抱かれた疑問に対しては,インターネットを通じた発信活動において『納得感』を与える事実上の解消をする他ない.

「もしかしたら,対戦相手は,画面に映り喋る人物ではなく,雇われた凄腕プレイヤーなのかもしれない」.そんな疑問を晴らすことが,現在のキャラクター性を重視するVTuberにとって非常に難しいことなのである.

これは,VTuberにとっても,VTuberのファンにとっても,彼らとオンライン上で本気の対戦をするプレイヤーにとっても,それぞれが存在と向き合う上での大きな壁であり,疑惑の種として燻り続ける問題となってしまうことだろう.

このような,複数の魂が一つの身体を共有し戦うという構図は,漫画『ヒカルの碁』の主人公である,進藤ヒカルと藤原佐為の関係によく似ている.

ヒカルの碁では,小学生のヒカルは,あることが切っ掛けに,かつて名を馳せた天才囲碁棋士・佐為の亡霊に取り憑かれてしまう.

佐為はヒカルの身体を借りて碁を打ち,プロを目指すライバル達や実力者の大人達を打ちのめし,囲碁界隈に進藤ヒカルの名を轟かせる力となる.そして,囲碁に興味がなかったヒカル自身も,次第に囲碁の奥深さと面白さに惹かれ,徐々に棋士として目覚めていく,というのが本作の大まかなあらすじである.

この漫画において,進藤ヒカルという少年が,肉体を動かし発声する魂の役割を果たし,藤原佐為が卓越したスキルでゲームをプレイする魂の役割を果たしている.

彼等の構図に倣い,ここからは,複数人の『魂』によって構成されるプレイヤーアカウントにおいて,ゲームプレイを担当する魂のことを仮に『サイ』と呼称することとする.

後述となってしまうが,ここまで述べてきた話は,「キャラクター性や設定を重んじる方針」を持って活動している,ゲームの上手さをウリにしたVTuberを想定しているものだ.
カジュアルにゲームを遊ぶ様子をコンテンツとするVTuberは,プレイを上手く見せるよりも,ゲームを楽しく遊ぶこと,遊んだリアクションを見せることが重要であるはずで,ゲームプレイに代役を立てては,その魅力が失われてしまうことの方が多いだろう.
また,すでに活動していたプレイヤーがそのままVTuberになったことを明言している場合,あるいはコミュニティ内に暗黙の了解として活動を認知されている場合,モデルを被っているが当人はほぼ素の振る舞いをしている場合など,人間のゲームプレイヤーが明らかに透けているVTuberは,当記事で問題にしている事例には当てはまらないと考えられる.

加えて,ゲームプレイヤーコミュニティは広いように見えて狭い.プレイヤーの多くが,TwitterをベースとしたSNS上で情報発信と交流を行なっているため,熟達したプレイヤーの大半はコミュニティ内で認知されていると言っても過言ではないように思える.以上のことから,目立つゲームプレイヤーが名義や活動形態を変えても,いつかは捕捉されてしまう規模の村社会であると言える.
上位プレイヤーがその実力・活動に至る過程には誰もが関心を示し,唐突に現れた凄腕プレイヤーは否が応でも注目を集める世界観であることが,凄腕プレイヤーであるVTuberへの注目を加速させる一要因となっていることを追記させていただく.

4. アカウントや名義の共有・貸与の是非について

一度問題を整理する為に,そもそも複数人が一つの名義やアカウントを使用して,ゲームをすることがどのように認識されているのかを確認したいと思う.

これは,アカウントの共有または貸与という言葉で表され,意識的・無意識的に,すでに多くのコンシューマーによって行われているだろう.

もしも,複数の人間が一つの名義を用いて,インターネットを通じたゲームプレイ活動すると,どんなことが起こり得るのか.

結論としては,アカウントの共有や貸与については,各サービスごとにその扱いが異なるが,多くの場合はこれを制限している.
以下に,各サービスの利用規約やサポートページの文章を抜粋する.

例えば,PlayStation Networkの利用規約(第13.0版(2018年5月8日))(以下,PSN)では,アカウント管理については,

各アカウント保有者は当該アカウントにアクセスするためのサインインID、パスワードを設定する必要があります。お客様はアカウントの不正使用が行われないよう、その情報を適切に保管する義務があります。

のように記載されており,加えてコミュニティー行動規範内で禁止されている違反行為として,

お客様ご自身または第三者のオンライン ID、または"PSN"へのアクセスを、オークションサイトその他の手段を用いて、売買、交換、譲渡、または譲受する行為、およびそれらを試みる行為。

と定められている.

一方で,ニンテンドーアカウントの利用規約(最終更新日 2018年5月7日)では,

2.4 お客様は、自己の責任においてニンテンドーアカウントおよび同ニンテンドーアカウントの管理下にある他のニンテンドーアカウントの管理を行うものとします。お客様は、これらのニンテンドーアカウントを第三者に利用させ、または貸与、譲渡、売買等しないものとします。また、お客様は、他人のニンテンドーアカウントに登録された情報を使用して不正アクセス行為を自ら行わず、また第三者をして行わせないものとします。

と明確にニンテンドーアカウントを第三者に貸与することを禁止している.

また,禁止事項では

お客様は、ニンテンドーアカウントサービスの利用にあたり、自ら(管理下にあるニンテンドーアカウントを保有するお客様を含みます。)または第三者をして以下の各号のいずれかに該当する行為、またそのおそれのある行為をしないものとします。 (中略) (3) 他のお客様のニンテンドーアカウントの利用 (中略) (17) 当社、他のお客様その他の実在または架空の第三者へのなりすまし (以下略)

のように,第三者によるニンテンドーアカウントの利用に加えて,第三者へのなりすましを禁止している.

MMORPGの代表格の一作ラグナロクオンラインでは,アカウントの管理という個別のサポートページを用意し,

運営チームでは、「アカウントの貸与・共有など」を禁止しており、「ガンホーゲームズサービス利用約款」に違反する行為です。 運営チームで「アカウントの貸与・共有など」を行なっていると判断した場合は、「ガンホーID停止措置」を行います。 なお、「アカウントの貸与・共有など」を行ったことで発生した損害(間接的な損害も含む)について、運営チームでは一切の責任を負いません。

と厳密にアカウント共有・貸与行為を禁止している.

同様に,多人数サバイバルの雄・PUBGでは,ゲームをプレイするにあたってにおいて,

7. 他人になりすましてはいけません。 (中略) 14. 自身のアカウントを共有してはいけません。お客様のアカウントは、お客様だけが使用するためのものです。自分のアカウントを他の人にアクセスさせることも、他の人が許したとしてもそのアカウントをアクセスすることも、行ってはいけません。

と,なりすましやアカウントの共有を明確に禁止している.

2018年12月には,韓国において,第三者によるアカウントのレベル上げ代行や代理プレイ,通称『Boosting』を明確に禁じる法律が制定されたとして話題になった(参考:ゲームのアカウント育成や成績向上を代行する「ブースト行為」が、韓国にて“法律”で禁止へ。最大200万円の罰金措置 | AUTOMATON).

以上のように,オンラインゲームをプレイする際に使用するアカウントは,個人が管理・使用するものであるという方針が主流である.
これは,ユーザー保護の観点や,ゲーム環境の保全,減益防止などが目的となっていると思われる.

オンラインでユーザー同士が対戦できることが当たり前の世界になってきていること,継続したアップデートやDLC,スキン販売,月額課金制のオンラインサービスなど,ゲームが完全買い切りではなくなったこともあり,ユーザーにゲームを遊び続けてもらうことはそのまま企業の利益に繋がる.

アカウント共有や貸与を防止することは,企業視点では,利益をもたらしてくれるユニークユーザー数を減少させる行為を防ぐ目的があるだろう.

また,アカウントを他人へ渡さないという条文が遵守されることは,ユーザー視点でもメリットがある.

オンライン対戦をするようなゲームでは,アカウントごとにプレイヤーにランク付けを行い,適切な実力者同士が対戦できるようなマッチングシステムを搭載しているケースが多勢を占める.

この時,実力の異なる複数人のプレイヤーが,同じアカウントを使ってゲームを遊ぶと,プレイデータに紐づけられるランクが適正なものではなくなってしまう.
これは,アカウントを共有するプレイヤーのみならず,多くの一般プレイヤーにも影響が発生する.

本来ならば適切なマッチングによって,ディベロッパーが設計した望ましい対戦相手を充てがわれるはずのプレイヤーが,アカウントを複数人で利用するプレイヤーの存在により,不適切なマッチングを受ける可能性が生まれてしまう.
アカウントを複数人が利用することが,実力に対して不適切なマッチングが行われる原因となり,無関係なプレイヤーのゲーム体験が損なわれる恐れがあるということだ.

アカウント共有することで,例えば手っ取り早く高いランクに到達したり,時間を掛けて積み上げることで,ようやく味わうことができる体験を手に入れることが可能になったりする人もいるかもしれない.
上で紹介したブースト行為はまさしくその一例で,ディベロッパーが用意した以外の手段を,お金や人を使うことで行使し,その対価としてゲームを通した価値を手に入れている.

ゲームの楽しみ方は人それぞれとはいうが,アカウントの共有や貸与,またそれらの延長上にあるブースト行為というものは,以上述べたように,ゲームの種類や収益設計によっては,ゲームを作る側と遊ぶ側それぞれに損害を与える行為だということが,多少なりとも理解いただけたのならば幸いだ.

5. 平等の証明の難しさとそれぞれの立場

ここまで,バーチャルの体と名前を持つVTuberの特性を踏まえつつ,デジタルゲーム・特に対人ゲームとの親和性について触れた.
それを踏まえて,複数人によるアカウント共有に対する規約や事例と,アカウント共有による弊害を確認した.

これらの事実を基に,ここからは,もしもVTuberのようなコンテンツ発信者がアカウント共有を行ったら,という事例を想定し,そこから派生する弊害について考察していく.

筆者は,一般的なプレイヤー,つまり一つのアカウントを一人で運用し,対戦を行なっている人物は,サイを宿したVTuberに対して構造的に不利を背負っていると考える.

繰り返すが,VTuberに宿る魂はブラックボックスの中に存在している.
これに直接言及することは基本的にタブーであり,このことが,一人以上のサイの存在を,両者ともに完全に否定できない要因となっている.

仮想空間に存在するVTuberは,ゲームプレイ時には3次元空間にある物理コントローラーを操作していることが現段階では自明なことであるが,その姿を他のプレイヤーが観測することはできない.
画面に映るモデルの動きと,ゲームプレイの完全な一致を証明することは困難である.
これは,オンライン対戦の猛者に対して他プレイヤーによって行われてきた,「本当にうまいのかオフラインで会って確かめる」という検証が実施できないことを意味する.

画面の向こうでどんな姿をしたプレイヤーがゲームをプレイしているのか,何人が控えているのかは,向こうが姿を晒さない限りわからない.

この問題は,ブラックボックスを開示できないVTuberに特に重くのしかかる.

ショービジネスを前提とし,視聴者に見せる姿とゲームプレイヤーが一致するかわからない,VTuberのような存在が,勝利の為にサイを用意したなんてことがあっても,その真相は闇の中である.

「自分をメタる為に相性の良いプレイヤーを連れてきた」「勝つ為にゲームプレイ役に強いプレイヤーをチームに引き込んだ」のように,アカウントの貸与や代打ち,ブースト行為の疑念を指摘されても,VTuberは身の潔白を証明できない.
このように、見た目やプレイヤーネームを変えずに、ゲームスキルを可変にできる可能性を持つのは、対戦相手として健全であると捉え続けることができるのだろうか?

加えて,VTuberに対して疑念を抱く,同ゲームをプレイする人間もVTuberと比べて弱者であるケースが大いに想定される.
これは,フォロワー数や認知するファンの数の違いからくる,発言力の差がある為である.

例え,9割の確信を持ってサイの存在を指摘する一般プレイヤーがいたとしても,その発言に支持を受ける為には十分な説得力と支持者数,実績が必要になってくる.

万一中途半端な指摘をした場合,相手のファンからはタブーもわからず活動を阻害する厄介者として認識され,本人の炎上に繋がりかねない.

本格的な裁判に持ち込むならいざ知らず,真相は黒い箱の中であり,VTuberやその運営と,一般プレイヤーが対話を行なって解決できる問題であるとは到底思えない.

こうした点から,オンラインでのランキングや競技シーンにおいては,プレイヤーコミュニティと一線を引いた位置でゲームをプレイし,その様子を発信するスタンスのVTuberにとっては,真に一般プレイヤーと対峙することは困難であると考える.

6. VTuberと人間が平等に競い合う為には

結論としては,VTuberと人間のまま対戦するプレイヤー,双方にモラルがなければ,平等な対戦は実現できない.

VTuberは,背後のブラックボックスに疑念を抱かせないほど真摯にゲームに向き合い,楽しむ.
とどのつまり,ゲームプレイヤーには姿形問わず人間臭さが必要だと考える.
それができないのではれば,ブラックボックスを開示した上でショービジネスを展開した方が良いのではないか.

例えば,『けいおん!』や『ラブライブ!』に代表されるようなフィクション作品では,実在の作曲家が手がけた楽曲を,作中ではキャラクターが生み出したようにシナリオが作成される.作曲者の名前は,楽曲に紐づいてクレジット表示がきちんとされる.

ゲームプレイに価値が発生するのであれば,もし架空の存在を複数人で運用するのならば,ゲームプレイの担当者はクレジットされて然るべきなのではないだろうか.

ゲームプレイの凄さとタレントとしての魅力を組み合わせて最強のコンテンツを作り上げるのであれば,既存のVTuber文化を破壊するつもりで,ゲームやゲームコミュニティに信頼される存在となって欲しいと,筆者は願う.

もっとも,現状,ビジネス目的でサイを用意してVTuber活動に新規参入するのは,コストが見合わないだろう.

複数人のサイを用意すれば,VTuberは最強のキメラになれるとは言ったが,用意すればするほど人数分の給与が発生するし,VTuber自体が飽和時期に入っていて,そこでパイの取り合いに勝つ必要があること,更に投資分を取り返せるような利潤がすぐさま生まれるわけではない現実,ゲームには流行り廃りがある……など現実の壁は多々あり,特定のゲームに特化してサイ持ちのVTuberを用意すること自体がリスクだと考える.

今の段階で新規にゲームつよつよVTuber(サイ持ち)が登場するとしたら,あくまで趣味の範囲だろう.

一ファンとして筆者がゲーム配信系VTuberに期待するのは,人間臭さだと思う.
ゲームの勝敗で一喜一憂し,自分の実力向上につとめ,等身大の姿で楽しくゲームを遊んで欲しい.
サイを用意して知名度をあげる戦略も,活動形態によってはありえるだろうが,その時も,対戦相手と,それまでゲームを遊び,シーンを作ってきたコミュニティへのリスペクトを忘れないでほしい.

その一方で,人間であり続ける一般プレイヤーは,VTuberをはじめとする,ゲームプレイを主軸にしたコンテンツクリエイターと,対等に対戦する気持ちを持ち続けなければならない.

実際に動画や配信を見たり,インターネット上での活動をフォローしていくことによって,彼らがゲームをする姿を認識し,時には応援し,良き対戦者となれるような振る舞いを続ける必要がある.

彼らの存在は魅力的で,我々が大好きなゲームをコミュニティ外の層に届けてくれる力を持っている.
彼らがVTuberとして活動し,ゲームの魅力を発信し続けてくれるのならば,一般プレイヤーである我々は,同じゲームをプレイする同志として,その活動を暖かく見守り,時には一緒にゲームで遊び共存していくことで,VTuberはゲームコミュニティにとって,かけがえのない存在になってくれるだろう

目の前の相手と正々堂々戦いたい気持ちはゲーマー共通のものであり,その文脈に乗っ取った活動と交流の先に,ゲームプレイがコンテンツとして成立していって欲しいと心から願っている.

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