先走りすぎない傾聴とネガティブケイパビリティ
先日とある医療機関にかかったときの話。
そこの予約に行く前に、耐えかねて近所の病院にかかったんです。
その話を、かかりつけに行った時、一応伝えたんですよ。
「実は、別のとこかかって、こんなふうなこと言われました。かかりつけの先生はどう言ってる?って聞かれました〜」と言う話を気軽にしたんですよね。
そしたら、かかりつけの先生が、
(ちょっと不機嫌気味?に)
「そういう判断ってさ、言っても(その先生が)どうしようもできない事で、そう言うの伝えても、しょうがないと思うんだよね」と言われました。
最初????って感じで、
臨時で行った病院で、「私の体のここがちょっと心配だけど…」と言われたよと言う話で、かかりつけには何も言われてない?って言われたのが癪に触ったのか?
わからないけど、「自分ではどう処置もできないことを患者に言うのは無意味」と言う意味?
でもそう言う意味でもなかったような…
なんか気になったまま数日過ごしてたんです。
数日経って、発達障害の相談を受けまして、自分の経験則から色々お話ししたり、あぁだよね、こうだよね、って話してたんですが、その時、この言葉をふと思い出しました。
「あれ?今、わたしこの方に、自分じゃどうにもできないこと、お母さん自身も変えられないことを言ってないかな?」って…
医療の現場で、処置できないことを放っておくって言うのは、ちょっと意味合い違ってくるかもしれませんし、場合によっては大問題に発展しかねません(ちなみに、私のケースは、そんな大事ではなかったのだと思います。)
でも、ああすればよかった、こうしたらどうだろうか、と今現状できることから超えた話って、やっぱり意味のない時間な気がして、そればかりか、余計傷つける結果になるのかもしれないと思いました。
今、この時点の自分を受け入れて先に行くあるいはそこにとどまる勇気を一緒に持つことが、自分にできることなんじゃないかな、と思った出来事です。
ネガティブケイパビリティの考えにも「そこを耐え抜くちから」が重要だとされています。
何もしないことも勇気であり、スキルです。
外が嵐の時に、嵐に打ち勝とうとする人は誰もいないでしょう。
嵐が止むのを待って、外に出ますよね。
人の悩みも心もそんな感じかと思います。
嵐が過ぎ去って動き出す。
追い風が来ている時は身をまかす。
雨が降れば潤うのを待ち、
カンカンでりの日は涼しいところで太陽の恵みに感謝しましょ。
ちなみに、かかりつけ医が、どういう意図で言ったかは知りません 笑
もう今となってはどうでも良くなりました 笑
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