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七夕から学んだ三つのこと③

結局、七夕伝説はなんだったのか?

「当時のウルの神官は牛の皮を被り、“神の世界”と交流して神託を伝えていたそうじゃ。そして、我が国の“獅子舞”も、牛の皮を被った神官の日本的な姿を示しておる。一方、ラガシュ市には鳥トーテムの住民が住んでおり、“七夕伝説”に出てくる“織女”という言葉からわかるように、そこでは機織が主業じゃった」

『新千夜一夜物語  49話:七夕伝説とメソポタミア』から一部抜粋

③他者との交流と、動物を含む自然の重要性

について説いていたのではないか。

私はそんな風に解釈しました。

人類は男女が出会わなければ滅びます。

そして、自然がなければ飢えて死にます。

牛は耕作や食料、鳥は機織の原料や食料などとして、人類がより生きやすくしてくれました。

織姫は機織が主な産業だったラガシュを。

彦星は育牛が主な産業だったウルクを。

これらの都市の交流の重要さを物語にしたのかもしれません。

生かされていることに氣づいた大昔の人々は、自然や動物に心から感謝し、時には神のように扱っていたのでしょう。

願いを叶えてもらおうとしているのではなく、死なずに生きるという、人にとっての最低限の願いを既に叶えてくれていることに感謝していたのでしょう。

昨今は、人間関係が希薄になり、電子機器のおかげで独りでも生きていくことが難しくありません。

その影響か、交流する世界が狭くなれば視野も狭くなり、他人との交流は要らないとさえ考える人間もいます。

ですが、今の私たちが快適に暮らせているのは、戦後の焼け野原からインフラを整備してくださった戦後のご先祖様たちのおかげです。

彼らは、水やエネルギーや物流で困ることがなくなるよう、世のため人のために生きてくださったのだと思います。

自分のやりたいことだとか、自分らしさだとかを犠牲にして。

みんなが笑顔に生活できれば、それでいい。

ひょっとしたら、そんな思いだったかもしれません。

ありがたいことですね。

今の私たちが当たり前のように体験していることが、ご先祖様たちにとっては夢のような体験、捉え方によっては天国のように感じるかもしれません。

七夕伝説がメソポタミアから東へ東へと移住を続けたご先祖様たちのプレゼントだと思うと、氣が遠くなるような時間と空間を感じます。

そんなご先祖様たちに私たちができることは何でしょう。

現代の私たちが、これは望ましくないな、と感じることを改善し、後世の人々が生きやすくなるように社会を整えることかもしれません。

過去のご先祖様たちがそうしてくださったように。

あるいは、本当の意味で先祖供養をすることも良いです。

ちまたの先祖供養は、〇〇家と、日本国内で遡れる程度の範囲です。

そうではなく、メソポタミア文明と、さらには○星まで遡って私たちの肉体のルーツに関わるご先祖様を供養する。

ここまでやってこそだと思います。

私たちはいつ、どこからやってきて、どこへ向かうのか。

現世利益に囚われて思考停止するのではなく、生きる意味を日々考えましょう。

そんなことが浮かびました😊

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