私が弟子を取らない理由

人生は、独りで、独学で全てを解決できるとは思いません。

ですから、誰と関わるか、特にどのような人物を師として選ぶかは、最も重要だと思います。

師匠と弟子の関係は、一見師匠が上で弟子が下という上下関係があります。

ところが、弟子がいなければ師匠の智慧や技術がそこで途絶えます。

私程度の人間の氣功なら、途絶えても大きな影響はないでしょう。

しかし、伝統芸能や伝統工芸など、長い時を経て受け継がれてきたものに関しては、話は別です。

そう考えると、受け継いでくれる弟子は、師匠にとっての師匠から受け継いだものを引き継いでくれる、非常にありがたい存在だと捉えることもできます。

そのように考えると、仮に私の氣功を受け継いでくれる人が現れるなら、弟子の生存を保障すべきだと思っています。

智慧や技術が途絶える。

その逆として、智慧や技術を存続させるには、弟子の生存が必須だからです。

そうなると、師匠は弟子の衣食住くらいは面倒をみるものだと考えることもできます。

つまり、弟子は師匠にとって家族、息子か娘のような存在になります。

とはいえ、弟子を志願してくる人物は多くないでしょうから、子が親の跡を継ぐことになるのは、自然といえば自然です。

ただ、昨今の価値観では、個人の価値観や自由を尊重する風潮があるため、子が親の跡を継ぐことが賛成されるとは限らないでしょう。

そこで、子が継がないなら血縁外の人物を募集することになります。

赤の他人ですから、修行の途中でいなくなることや、伝えた智慧や技術を得るだけ得て逃げる可能性があります。

とはいえ、途絶えるよりはマシでしょうから、結局赤の他人を募集せざるを得ないのでしょう。

そして、今度は賃金の問題が出てきます。

伝統芸能や伝統工芸の工房などは薄給と耳にすることが多いです。

資本主義、拝金主義の人間なら、給料が安いからやらないと考えるでしょう。

ですが、古くから受け継がれてきた智慧や技術を受け継ぎ、守ることはお金に代えられない価値があると思います。

住み込みによって生活を保障され、第二の家族のような存在ができ、稀少な智慧や技術を継承できることを考えると、そこまで与える師匠たちの存在の偉大さに敬服するばかりです。

一方、お金を得て技術や知識を切り売りして終わりにする人間は師匠にはなれず、いわゆるビジネスマンであって、せいぜいメンター止まりなのでしょう。

私が過去に師事した人間たちは、そうした傾向が多かったです。

ちなみに、当時は仕事運が塞がれ、人的トラブルの相がかかっていたため、そうした人選をしたのは納得できます。

一方、今の私には、他人の責任を取って面倒をみられる力はありません。

ですから、現時点では、私は弟子を取らないと決めています。

ただ、人生を本氣で生きようとしているのに、過去の私と同じような人選ミスをする方々が少なくなることを願って止みません。

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