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縄文-JOMON-展

すみません。終わってしまった展覧(2022・9/10~11/6、山梨県立美術館)ですが、見ごたえがあり写真撮影OKだったので画像を少しご紹介します。

2021年7月「北海道.北東北の縄文遺跡群」が世界遺産に登録されました。近ごろ妙に縄文遺跡が注目されてるなぁと思っておりましたが、うかつにもその登録を知りませんでした…

            とびら写真の全体像、小さな顔のついた土器


縄文時代とは

三内丸山遺跡が発見されて、原始的と思われていた縄文時代のイメージが変わりました。まず少しおさらいしてみようと思います。

人類の誕生は約400万年前とされます。4万年前の氷河時代は日本列島は大陸とつながり、マンモスなど大型動物を狩るため渡ってきた人々が、日本人の起源とされています。打製石器を使っていました。(旧石器時代)

一万数千年前に氷河が解け海面上昇し、日本列島が登場します。これから2300年前までを縄文時代と言います。(弥生時代は紀元前数世紀から紀元後3世紀の約600年間とされます。)

年数についてはわずかに異なる説もあるようですが、縄文時代は約一万年も続いたのです。(気の遠くなる長さで、弥生時代の約17倍!)把握しにくいので、6期(草創期・早期・前期・中期・後期・晩期)に区分されます。

1992年に青森県で三内丸山遺跡が発掘され、この遺跡が500人が暮らす大規模集落跡と分かりました。縄文時代前期(約5,900年前)から中期(約4,200年前)に至る遺構の配置が見られます。(文化庁広報誌より1700年も定住していたので遺物はけた違いに多く、今も発掘.調査.研究は進んでいます。

そして、今回の登録は「北海道.北東北の縄文遺跡群」でしたが、かつては日本列島全体が縄文時代だったので、その遺物は各地に残っています。山梨県も全国有数の縄文文化遺跡があり、この展覧会の企画になりました。


                    土偶の一部


縄文展概要

山梨県立考古博物館をはじめとする県内各所の土器や土偶60点をご紹介。併せて小川忠博の全国各地の名品写真と展開写真約60点です。1章,KAWAII 2章,UTUKUSHII  3章,KAKKOII  「エピローグ 展開されたJOMON」という章立てになっていました。展覧会カタログや写真集は売り切れでした。
 

           幼子のような像のついた土器、何に使ったのでしょう?


            ネズミなどに食べられないよう見張りをしているのか?

   

縄文人の暮らし

食物採集として、狩猟や植物だけでなく魚も取っていました。また、定住生活を始め、竪穴式住居に住んでいました。

           写真の展示。赤く着色された装身具、櫛など縄文人はなかなかお洒落。



           写真。赤漆塗りの木器、左はツルで編まれた籠。


手の込んだ美しい土器も数々出土しています。この頃黒曜石やヒスイが広く分布していることから、他の地域集落との交流が盛んだったことが察せられます。三内丸山の人々にとっては、青函海峡はしょっぱい川であったとか…

              優雅な形の土器。



               水焔文土器。



                 あまり見かけない複雑な形の土器。


土器展開図写真

小川忠博の展開写真を見ていると、縄文土器の模様の巧みさ面白さに改めて気づかされます。さらに元の土器を一緒に並べると、とくにウズ紋様には迫力があって引き込まれていきます。(なぜこんな模様を描いたのだろう?)展開図は新たな世界を発見させてくれます。

          背景の写真は、この土器の展開図。



          深鉢型土(人体文土器)展開図の写真



                    深鉢型土器(渦巻文土器)のうずうずが迫りくる。


日本各地の縄文遺物

写真では日本各地の縄文遺物が紹介されていましたが、なかなか面白い土器やお面などもありました。お近くの博物館や埋蔵文化センターで、素敵な発見ができるかもしれません。縄文文化の不思議さ伸びやかさが実感できればいいですね。

            他の地域の土器の写真

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