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散歩びより … かんなみ仏の里美術館

この美術館は近いので度々訪れています。
有り難いことに今回は解説ボランティアの方から、
開館までの苦労話も含め色々とお伺いすることができました。         (上の画像は美術館の切符の一部で、絵葉書としても使えます。)


場 所


JR函南駅から車で5分ほど行くと、桑原くわはらの穏やかな里山の中に、簡潔な三角屋根二つの美術館があります。館内はじっくり鑑賞するのに良い手ごろな広さです。

                       かんなみ仏の里美術館の建物

開館まで


展示されている二十四体の仏像群は、長く桑原地区の人々に守られてきました。2008年(平成20年)に桑原地区から函南町に寄付されました。2014年(平成24年)に、貴重な文化財を後世まで残し学ぶ施設として、「かんなみ仏の里美術館」が設置されました。

展示資料室


順番としては、ここから見ていく事をおすすめ。鑑賞に役立つ知識が、図や絵を交え分かりやすく展示されています。また、ここでは解説ボランティアの方が、仏像の伝来や文化財指定のいきさつなど興味深いお話を聞かせてくれ、来館者の質問にも丁寧に答えてくれます。



仏像展示室から


木造薬師如来坐像やくしにょらいざぞう

ー 平安時代後期の作 静岡県指定文化財
かつて桑原にあった新光寺しんこうじの本尊と考えられています。新光寺は箱根山を開いた万巻上人ばんかんしょうにんにゆかりのあるお寺だそうです。この時の伝承が残っていますが、今後の研究によって詳細が明らかになる日もくるでしょう。薬師如来坐像は堂々としたお姿で、見ていると安心感に包まれるようです。


十二神将しんしょう


― 鎌倉時代~江戸時代 県指定文化財
頭に干支を乗せた十二神将をたまに見かけて、ずい分風変わりな趣向だなぁと思ったことがあります。しかしながら、十二神将は武器を携えて薬師如来を護っており、いわばガードマンのような神だったのです。そして、干支は時刻と方位を象徴するものであり、十二神が揃えば全時刻と全方位をお守りできるので、備えは万全という事になるのです。

制作年代に大きな幅があるのは、像が壊れたらその度に新たに造ってきたからです。つつましい暮らしの中で、皆でお金を出しあってきました。大切な如来さまをお守りする神が一体でも欠けてはならない、だから常に十二神が揃っていたそうです。

展示された十二神将の玉眼には強い輝きがあり、照明が工夫されているという話でした。「目は口程に物を言う」という諺がありますが、視線の奥に感情や意志を読み取る習慣が私たちにはあるようです。玉眼は鎌倉期仏像の写実表現というだけではなく、見る者の心に教えを響かせたいという仏師の思いがあったのかもしれません。


  勢至菩薩立像/かんなみ仏の里美術館 図録表紙

阿弥陀如来あみだにょらい坐像、両脇侍りょうわきじ像(観音菩薩立像かんのんぼさつりゅうぞう勢至菩薩せしぼさつ立像)


ー 鎌倉時代 国重用文化財 実慶じっけい作(慶派)
はるばる外国まで旅をされた仏様たちです。1991年に大英博物館で展示され、会期延長の声が上がるほどの評判になったそうです。ところが、解説ボランティアTさんのお話によると、すんなり進んだわけではなかったようです。その頃は地域で守っていた仏像だったので、信仰している仏像を遠い外国で見せることに反対の住民もいたそうです。

「見たいという人には見せてあげよう。きっと良いことがあるよ。」と、Tさんは毎日のように桑原を説得して歩いたそうです。そして、好評だった他にも良いことがありました。阿弥陀如来および両脇侍像の作者が実慶であることが明らかになり、また国の重要文化財にも指定されたのです。

三体いずれも慶派らしい自然な動きと均整の取れた美しいお像です。私見ですがより彫刻的な印象があり、西洋の人にもなじめそうです。

余談ですが、静岡県伊豆の修善寺にも同じく実慶作の大日如来だいにちにょらいがあります。けれど、拝観できるのは毎年十一月一日から十日まで限定。それは、修善寺のご本尊ほんぞんである如来さまは信仰の対象だからだそうです。


もの思い

住民が守ってきた仏像


「見事な文化財ですねと言うのは簡単ですが、それを守り維持するのは並大抵ではないのでしょうねぇ…」と、私が問いかけると、Tさんはこれまでの経緯を話してくれました。

元々仏像が置かれていた寺は廃寺になったりしていましたが、明治30年代に地域の有志によりその仏像を安置する「桑原薬師堂くわはらやくしどうが建てられました。とはいえ、仏像の修理から建物の維持管理まで住民の持ち出しで、自治会費に上乗せするのも大変だったようです。意見は色々あったようですが、最終的に函南町に仏像群を寄付するという事になりました。そして、6年後の2014年に「かんなみ仏の里美術館」が完成し、何百年も住民に守られてきた仏像は安住の地を得たのです。

けれどもそれは、信仰の仏さまから美術品(文化財)としての仏像への移行でもありました。美術館で展示するため、仏像から魂抜きをして鑑賞の対象物にするのです。信仰か保存のため美術かの二者択一のような状況になって、桑原の人たちは複雑な心持ちだったでしょう。


                    中庭から見る美術館/梅が咲き始めています

仏教美術


明治以前には、美術という概念が日本にはなかったそうです。ですので、仏教美術も近代の用語です。仏像は日本の彫刻としての*ファインアートなのだろうと、無造作に私は考えていました。けれど今回Tさんに色々お伺いするうちに、それに疑問を持つようになりました。

*ファインアートとは、18世紀末のヨーロッパで誕生した概念です。純粋美術とも訳され実用的ではない美術、絵画や彫刻をさすことが多い。欧米では、工芸のような応用美術より格上の美術と見なされるようです。

もし、桑原の人たちに篤い信仰心が無かったら、果たしてこの仏像群は守られてきただろうか?あるいは、例えば仏像の玉眼のように、祈りが込められた表現があったのではないだろうか?はるかな時間の中で蓄積された人々の思いや祈りは、その仏像とはもはや不可分ではないのだろうか…

このように思いを巡らせてみると、宗教心を漂泊して美術品としてのみ評価するというのは、いささか傲慢ごうまんだったのかもしれません。仏像が美術館に展示されるのを否定するつもりはないのですが、ただ思うのです。鑑賞する時に人々の祈りまで想像できたら、より深く心に残るお姿が見えてきそうだと。



案 内

時 間   午前10:00~午後4:30                        休館日 毎週火曜日、12月29日~1月3日(火曜日が休日の場合その翌平日)観覧料 大人(高校生以上)300円、小中学生 100円、
    団体(10人以上)、65才以上は100円割引
問合せ 055-948-9330

〒419-0101 静岡県田方郡函南町桑原89番地の1
           かんなみ仏の里美術館


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