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芋づる式 … お 椀

漆器といえば、お椀ですね。私も様々なお椀を作っており、何かお役に立てる話ができればと思います。とはいえ、お椀全般に目配りしている訳ではないので、ぼつぼつ思い浮かんだこと、主に自分の手掛けている範囲のことをつづってみます。


歴  史


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上の写真は祖父の作ったお椀の木地です。70~80年くらい前の仕事でしょうか?内部や底には結構厚みがありますが、外形(シルエット)は華奢で、その頃の流行りの形かもしれません。お椀も世につれて変わるのでしょう。

では、お椀はいつごろから使われてきたのでしょうか?

和食会議名誉会長の熊倉功夫氏によれば、縄文時代にまでさかのぼるそう。三内丸山遺跡から、漆塗りの木製の鉢が出土されています。食器が今のように分化してない時代なので、鉢はお椀としても使用されていたのでしょう。漆を塗ることにより木地を強化し、漆器は日本の器の主流であったとか。

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骨董品で時代は分かりませんが、入れ子の四つ椀(若い時に分割で購入)

その後平安時代も過ぎると、本膳料理が登場し四つ椀.五つ椀などの入れ子椀が出ます。その後お椀の種類や装飾が増えると、桃山時代には華やかな高台寺蒔絵(まきえ)が出現します。現代でも見られるきらびやかな漆器の流れです。



根来(ねごろ)とは


蒔絵や螺鈿(らでん)の漆器に比べると、私の手掛ける漆器は地味で素朴だとよく評されます。塗り方として、根来が多いためかと思います。かいつまんでご紹介します。

根来塗は、和歌山県の根来寺(ネゴロジ)に由来する塗り物です。

根来寺は 平安時代末に開かれ、最盛期には300~400もの寺院をかかえ、強大な勢力を誇っていました。 そして、お寺周辺には組織立った工房があり、優れた木地師集団により、什器などの漆器も作られました

そして、根来寺の漆器は使い込まれ表面の朱がこすれ下の黒漆が所々に見え味わい深いと、お茶人たちに好まれるようになりました。やがてその解釈が広り、そのような表情の漆器を総称し、「根来」と呼ぶようになりました。
                         
私のつくる根来は 、朱漆から下の黒漆を研ぎ出しています。 そのあと上に漆を塗り重ね丈夫にしているので、安心してご使用いいただけます。

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  根来寺の大塔(国宝)、秀吉の焼き討ちに合いながらも残った塔



実 用 性


お椀は丈夫であるべき」と、作り手である私は考えます。ご飯を盛るくらいならともかく、熱い汁物の時に壊れればやけどの恐れがあります。ですので、木地を作る段階から、堅牢性を意識して仕事をしています。そして、使いやすさや器の形を見る楽しさも加味して、木地を仕上げます。

また、塗りでは漆の仕立て方や発色などに、工夫を積み重ねてきました。購入された漆器が数年もしないで色あせたり表面にヒビが入るようでは、あまりにも悲しいので。(落としたり、たわしで擦ったり乱雑な取扱いをしてないことが前提ですが)お椀をお求めいただいた方に、安全な器で長持ちし使う楽しさを十分に味わっていただくことが、作者冥利に尽きることです。


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手前の小さな二つのお椀は、子供が20年ほど孫が7,8年ほど使っています。

「頑丈そう」「飽きの来ないお椀」「生命力を感じる」とお褒めの言葉をいただくことがあります。実用性を重んじてきた結果なのかなと、嬉しく思います。



使いまわし


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   根来のお椀に鯛茶漬け、これは定番の使い方です

蓋付のお椀には、ふたを開ける時のわくわく感があって気分がいいものです。ただ、もうちょっと欲張りになって、お椀の使いまわしに挑戦してみようと思います。


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お椀の身とふた、それぞれに天ぷらと天つゆを盛りました。お料理好きの奥様のアイデアですが、一つのお椀で二倍使えるのがいいですね。



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パイを切り分けてお椀に、意外性があり洋菓子も面白いです。


有難いことに、いろんな方に教えていただきます。この他にも、ごく少人数のお茶席の菓子器に使えるそうです。また、お椀にお花を活けて、お正月飾りにされた方もいました。


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漆のお椀は古めかしいかもしれません。縄文時代から使われてきたということは、相当な古さです、確かに。けれど、その分私たちには肌なじみがいいというか、食卓が安らぎほっとする感じがあります。その感性を大事にしながら、気軽にお椀で遊んでいただけたらと思っています。



◎次回は「料理は発見 … ディナーwith漆器」。試してみます。


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