女川と石巻に行ってきた

三宅健のソロコンサートで仙台まで行くことなったので、いつかいつかと思っていた311被災地へ足を伸ばしてみました。
飛行機の時間的に気仙沼までは難しかったので、女川と石巻へ。
女川は県から防波堤建設の選択を迫られた際、すぐに「不要」と判断し、住民たちで新しい町のビジョンを持って復興に取り組んだと聞いていました。
一方、石巻は防波堤建設を決断。熟考する時間がなかったと、インタビューに答えている人を映像でみたことがあります。
浅い知識で、ふらっと立ち寄るくらいで見えるものなんて知れているかもしれないけど、今それぞれの地域がどんな様子なのかだけでも行って直接感じてこようと思いました。

仙台からJRで60分ほど揺られ、一旦石巻で降りて乗り換え、30分ほど揺られて(1人掛け用の椅子はどういう仕組みなのか、カタカタと小刻みに小さく弧を描いてずっと揺れた)、女川へ。

女川へ

駅を出るとすぐに待合室があって、地元の学生が作成した女川紹介の模造紙が貼ってありました。

待合室にて

JRのダイヤの都合上、滞在時間60分しかなかったので大変参考になりました。
温泉も入りたかったけど、なんせ60分。まずは港を目指します。
駅を出るとまっすぐその先に、飲食店やお土産ショップのテナントが並ぶハマテラスがあり、その奥に港が見えました。
駅もですが、ハマテラスもまだ新しくてキレイ。晴れ空に紅葉、奥には港。素敵な場所でした。平日でしたが、水産加工品のお土産屋さんや飲食店にはお客さんもちらほら。写真だけど看板の海鮮丼がとても美味しそう。でも営業時間前で断念…。せっかく港の近くで旬の魚を生で食べられるお店があるのに…。
JRが通っていて、駅が近くて、海も近くて、港でとれた地魚が食べられるお店がある。木材であたたかみがあって、キレイでお洒落なつくり。いい観光地だなと思いました。

ショップは後で見てみるとして、ハマテラスを突き進んで抜けると、港の手前に公園が広がっています。「元交番」を探して公園をキョロキョロすると、むき出しの鉄筋が地面から少し覗いているのが見えて、体がかたまりました。ここは被災地なんだという現実が一瞬で全身に情報として飛び込んできた感じ。
あまりにも痛々しくて、少し勇気が要りました。覚悟を決めて近付いてみると、そこには被災したままの状態の元交番がありました。
交番は周囲より少し低い位置にあり、緩やかなスロープでぐるっと一周できるようになっています。
天井だったところも、基礎杭も、本来なら対面することのない部分が、目の前にありました。鉄筋コンクリートの建物がひっくり返るほどの力が働いたという事実に、慄く。
スロープに沿って交番を囲んでいる堀の内側には、被災から復興までの写真付きのパネルが展示されていました。胸を打つ言葉が多くて、被災地に関わらず、全国の地方自治体は読んだらいいと思いました。特に印象深いのは、以下3つ。
 100年しか保たないけど、その場所にあることに意味があるということで交番を自然な形で残したということ、
 遺構を見たくない人もいるから、重要なもの3つのうち交番だけを残そうと、中学生たちも含めた住民達で考えて決めたということ、
 これからの女川を考える住民の会議にて、還暦は口を出さないとしたこと。
 
パネル全体を通して、「住民が自ら考えて行動してきた」という自負を力強く感じる内容でした。

被災地の方が、「忘れないでほしい」とお話しされるのをよく目にします。現地へ行けばなかなか忘れないし、過疎化が進む地方の住民は学ぶことがあると思ったので、町の団体旅行とかで交流できたらいいのに。しょーもないクーポンや広告費に税金使われるより、よいんじゃないでしょうか。

この日、あと私に出来る復興支援はお金を落とすことだったので、急いでショップ群へ。空腹しのぎにかまぼこを買い、モール内で一際オシャレな空気が漏れ出ていた紅茶専門店で(普段なら買えない)高い紅茶をお土産に買いました。
完全観光客向けのゾーンなのかなと思ってましたが、テナントの中には小中学生向けの学習サポート施設もありました。テラスオープン時からあったのか、観光客が落ち着いてきた為なのかは分かりませんでしたが、大人が常時いるガラス張りのオープンな場所に子どもの居場所があるのは、よいまちづくりだなと思います。(現段階で空き店舗はありませんでした)

女川向学館かんばん

いい町だな、魚食べて応援したかったな、と後ろ髪引かれつつ、駅へ戻ってJRへ。
次は石巻へ戻ります。

石巻へ

被災時、石巻駅と駅周辺もかなり浸水していましたが、崩壊した訳ではないようで、建物は建て替えず古いままのところがほとんどと見受けられましました。
石巻駅から、被害の大きかった海岸部付近までおよそ2キロ。町中も見たかったので、30分ほどかけて歩いて向かいました。
お店や住宅は結構あるのですが、全体的に寂しい田舎の町という空気。平日の昼間だから飲食店がまだ開いていないだけかもしれませんが。寂しさは漂うものの、寂れた田舎町はどこもこんな感じだな、というのが正直な感想でした。震災前と後でこの辺りは何が変わったのか、現地に来ても分からず、調べないと分からないことがあるんだなと不勉強を痛感しました。

また、駅からしてそうでしたが、石ノ森章太郎推し感が強い。至る所にさまざまなキャラクターのカラフルな像が設置されています。私は虫が苦手なので、細い歩道に設置されている、顔面をぐいっと突き出した仮面ライダーの前を通るのはかなり恐怖でした。
それにしても、海へ向かっているはずなのに、駅から何故か登り道が続き、汗だく。一体どういう地形なんだとGoogleマップを開くと、なるほど駅から海へ行く間の町中には小さな小さな山があり、丘になっているようでした。
ゼェハァしながら坂を登りきって視界が開けると、そこは海が広がっているはずでした。坂を登れば、この達成感の先には海がある、と無意識に期待して坂道を登っていたのですが、何も見えない。地図を見ると、現在地の先には確かに海が位置しています。
山と言っても本当に小さくて、それくらいの高さからでは防波堤の向こうの海は、まだ見えないのでした。

軽く絶望しながらまた歩き続け、駅から40分ほどかけてやっと海岸部付近まで辿り着きました。
しかし、いよいよ海は見えません。
本当にここは海岸部付近なのか?と思うほど、海感がない。何なら海の香りすらしない。
そして広がってるのは、何もない芝生の公園と駐車場。ポツポツとあるのは公衆トイレと公園のカフェ、用途が分からないコンクリートの小さな建物。それから公園の外部にあって存在感を放っている製紙工場。
公園敷地内に、大震災津波伝承館という施設があるはず。そこへ行きたいのですが、公園の敷地は広く、建物は少ないけれどビニールハウスや木材、資材小屋があり、なかなか「あれだ!」という建物へ辿り着けません。
園内には、まだ小さな、たくさんの苗木が植えてありました。ある程度まとまって区画で植えられている細い木々は、なんだか墓石のようでした。

伝承館に着くと、平日にも関わらず、沢山のスタッフさんが出迎えてくれました。小さな施設でしたが、5〜6名はいらっしゃったと思います。そう言えば公園の入り口付近に、学校の校外授業として来ている小学生が何十人か3クラスほど来ていたので、その対応のためかもしれない。

伝承館は、どういった災害だったのかその原因や規模、当日の状況を映像やパネルで紹介したもので、「こういう災害があった」「こういう被害があった」「備えることが大事」というメッセージが強かったと思います。被災して自分達がまだ大変なのに、「私たちはこうだったから、次の世代、別の地域の人達に活かしてほしい」という主張は、「伝承館」なのだから当然かもしれないですが、入館料も取らず、こんなお人好しでいいのか、みなさんは大丈夫なのだろうか(大丈夫な訳ないんだけど)、という気持ちになった。

館内のパネルを読んでいると、スタッフの女性が説明のために話しかけてくれました。地元の方なので、言葉選びに気を付けながら、いくつか聞いてみた。不躾だったかもしれない質問にも、快く答えてくださいました。
 公園になったこの辺りは1000世帯もの人が住んでたこと、
 この付近に再建設された市営住宅の入居率は8割ほどであること、新しく戸建ての家を建てている人もいるが、それらを合わせても、この地に戻り住んだのは震災前の1割程度であること。
 人が大勢死んだ土地に、みんなもう住みたくないのだと話してくれました。また被災する可能性があるのは、どこに住んでいても同じだから、それは理由じゃない、と。
 大勢が亡くなったし、大勢が移り住んで戻ってこない。だからとにかく「人が減ってしまった」ということが最重要課題だと感じていらっしゃるようでした。「復興支援」ってなんだろう、今何を求めているんだろう、と考えながらやってきましたが、被災地の課題は、急速に進んだ過疎化なのか、と思いました。
 防波堤のことも聞いてみました。女性は、堤防ができ、海が見えなくなり、すっかり海の存在を感じられなくなったことは、やっぱり寂しい。この公園は木を植えて、30年後にはトトロの森のようにする計画らしいけど、「私は、私は、ですよ?」と前置きして、「私は、それはどうなんだろう、と思っています」と複雑そうな表情で教えてくれました。「若い人達は、もう昔の景色を知らないから気にしないのかもしれないけど、海のあった景色を知っていると、どうしても…ね…」と、残念そうに話してくださり、私はそれ以上は聞けなくなりました。

ところで食事はどうされるんですか、と聞かれ、まだなので海のものを食べたいと思っていると伝えると、石巻の観光客案内マップを持ってきてくれました。
女性にお礼をして、今度は海沿い(見えないけど)側の道から駅方面へ。
1時間くらいなら石ノ森章太郎記念館も寄れたけど、作品に明るくないし空腹だったので、食事優先。『いしのまき元気いちば』で海鮮を食べて、町中を通って駅へ。
来た時は気がつかなかったけど、電柱には津波被害の記録の数字がのこされていました。

石巻駅周辺にて

写真は実績浸水深ですが、浸水域の数値が書かれた電柱もありました。
道内の熊出没マークも怖いですが、この黒い波のマークも怖い…

終わりに

土門拳記念館から始まり三宅健ソロコンを経て被災地への旅。
脳みそが忙しかったけど、どこも行ってよかった。
非日常より日常の質を向上したいと思いつつ、旅は張り切ってしまうけど、得たものを日常に持ち帰られたらそれでいいか、と思います。
もっと被災地のこと、復興のこと知りたくなりました。たぶん明日は我が身。人がいないという点では近いか、もっと悪い状況だと思う。

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