根岸の地図を読む会とは
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根岸の地図を読む会とは

根岸の地図を読む会

「根岸の地図を読む会」は、東京の根岸という場所に興味を持つ有志メンバーが毎月1回、台東区根岸の某所に集まって、根岸の地図を読み解いたり、根岸について調べたことを持ち寄って発表したりする勉強会です。

勉強会といっても、なんとなく根岸界隈が好きとか、昔から根岸に住んでいるとか、近所に友達がほしかったとか、そんな理由で集まってきたメンバーです。毎回、根岸に関する情報交換をしながら、のんびり活動しています。


そもそも「根岸」とは?

現在の台東区根岸1丁目〜5丁目を中心に、JR鶯谷駅周辺や荒川区東日暮里なども一部含んだエリアです。日暮里、三河島、三ノ輪、入谷、上野桜木などの町に隣接しています。

根岸は上野のお山のお膝元で、東叡山寛永寺とは切っても切れない関係にあります。寛永寺の山主である輪王寺宮のお住まいも根岸にありました。「江戸名所図会 巻之六」には風流な「根岸の里」の情景が描かれています。文化文政期には酒井抱一など文人が住み、加賀前田家の下屋敷があり、明治期には陸奥宗光の邸宅があり、正岡子規中村不折が暮らしたことでも有名です。

根岸は、異なる世界が隣り合う場所です。江戸時代から、都市文化と農村地帯がまじわる場所で、江戸市中の大店の商家が根岸に寮(別宅)をかまえて静かな田園風景を楽しんだりしていました。同時に根岸は吉原へ向かうルート上にあり、吉原帰りの客をあてこんだ店がありました。そういえば現在の鶯谷駅前にもラブホテルや風俗情報店が立ち並んでいます。JRの線路をはさんで寛永寺の墓地とラブホテルが向かい合う様子は、東京の他の町にはなかなかない光景です。

根岸は、「静」と「俗」が隣り合う場所なのです

根岸の地図とは?

根岸の地図を読む会の活動のベースになっているのが、「東京下谷 根岸及近傍図」という地図です(以下「根岸及近傍図(ねぎしおよびきんぼうず)」と略します)。私たち根岸の地図を読む会が「根岸」という場合、この「根岸近傍図」に描かれている範囲をイメージしています。

地図全景

「根岸及近傍図」は明治34年(1901)に発行された一枚物の地図です。監修・執筆したのは、根岸の住人であり、『言海』を編纂した国語学者の大槻文彦博士。発行者は地元文化人グループの根岸倶楽部です。発行当時、病床にあった正岡子規もこの地図を入手して、仲間たちと地図についてあれこれ話したことが記録に残っています。

地図は情報のかたまりです。さらに地図外には、博覧強記の大槻文彦が歴史文献や各種の記録をもとに執筆した文章がびっしり書かれています。「根岸及近傍図」は、地図情報と文字情報が渾然一体となった根岸の文化資産です。


根岸の地図を読む

この「根岸及近傍図」と120年後の現在とを比べてみると、明治中期の道がいまだにそのまま残っていることに気づかされます。もちろん大きく変わっているところはありますが、コツさえつかめば、「根岸及近傍図」を見ながら、現在の根岸の町を歩くことができるのです。

その一方、「根岸及近傍図」は、現代の私たちにはわかりにくいこともたくさんあります。地図に書き入れられた言葉の意味が不明だったり、地図外にびっしり書かれた歴史や記録、言い伝えなどの情報も、読みやすいとはいえません。

私たちは、明治に記録された根岸の地図を次の時代に共有していくために、この「根岸及近傍図」を読み解き、記録していきます。また、「根岸及近傍図」以外にもさまざまな地図や、根岸に関する気になることを調べています。このnoteで、その活動の一部をアーカイブしていきます。

根岸について情報をお持ちの方、興味のある方がいましたらぜひコメントをお寄せください。



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ありがとうございます!
根岸の地図を読む会
根岸は上野の山のお膝元。「○○や根岸の里の侘び住まい」と俳句のフレーズにもなっています。根岸に興味を持つメンバーが集まって、明治に発行された地図「東京下谷 根岸及近傍図」を読みながら、根岸にまつわるあれやこれやを多角的に掘り起こしています。noteでその成果の一部を公開します。