わたしが産まれた日。この時はきちんと愛されていたのに
平成初期の夏の日。
父が男3兄弟の長男だったこともあり、待望の女の子として産まれたわたし。
みんなとっても喜んだと聞いた。
そう、少なくともこの時はきちんと愛されていたのだ。
他に産まれた子達と同じように、将来どんな子になるのかな、なんて楽しみにしながら抱っこしてくれてたんだろう。
この時の記憶がわたしに鮮明に残ることができていたら、もう少し心穏やかに生きれたかもしれないな、なんて思う
この時、父と母はともに20歳。
まだまだ大人になりたてのこどもだったのだ。
そして何より、父は地元で有名なヤンキー。
ヤ○ザに片足突っ込んでるような筋金入りの悪で会長さんから養子にほしいと祖父に直々の申し入れがあったほどだった。
ちなみに祖父も元ヤ○ザ。むちゃくちゃやん。
母とはスナックで出会ったそう。
ふたりとも典型的なヤンチャ若親だった。
わたしが誕生してからこの頃、父には逮捕状が出ていた。
内容はありすぎてしぼれない。
詐欺、薬物、暴行など。典型的なやつは全て。
父と母はわたしを連れて逃亡生活だった。
ラブホテルで遊ぶわたしの姿が忘れられないらしい。
もちろんわたしは覚えてはいない
母はそういう「悪いオトコ」のパートナーとしては最高の「オンナ」だった。
金がないとなれば金策のためにガラスコップ噛んで割るような人でいつも一歩下がってニコニコ笑って明るい人だったそう。
だから、ふたりとわたしで逃亡するのも何とかなっていたのだろう。
だけど、いつまでもこんな生活は続けられない。
いちばんの問題は定住所がないことでわたしが保育園にも幼稚園にも行けない。
長々続けようもんなら学校にも行けない。
そんな生活に限界がきたと思ったのだろう。
わたしが2歳半〜3歳頃だろうか、父が自首した。
父は自首したと言うことも考慮してもらえ、執行猶予がつくとおもっていた。
思っていたがつかなかった。実刑で懲役4年の判決。
ここからどんどん崩れていく。
いや、一般的にはもう充分に崩れているのだが。
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