32.光

 娘たちを連れて別居してから約1年半、ようやく離婚という着地点が見えてきた。

 別居後すぐに始めた離婚調停は、離婚したい私と離婚したくない夫でまったくの平行線に終わった。そうなると思い弁護士さんと離婚訴訟の準備を進めていたので、すぐに訴訟の手続きに入った。
 訴状の作成や裁判所へ出向いてのなんやかんやは弁護士さんにお任せだが、私からの情報をもとに作成された訴状の確認や相手方の訴状を読んだりするのが辛かった。
 読んでいるうちに心臓がバクバクしだして息苦しくなった。パニック発作をおこして、頓服薬を飲んで、少し落ち着いたらまた目を通すの繰り返し。しんどかったけど、おばちゃん頑張った!

 「家族で楽しく過ごした日々もあったではないか」という夫の反論に、「うん、確かに毎日毎日が辛かったわけじゃない。楽しい時間もあった…」と思って、ん?それはモラハラ夫がモラハラを発動させて気が済むと『ハネムーン期』に入っていただけでない?ずーっとモラハラやられていたらもっと早く限界がきていたはず。『蓄積期』→『爆発期』→『ハネムーン期』を繰り返されることで逃げる機会を失っていたのだ。そもそも夫や父親に人格を否定されるようなことを怒鳴られ、無視され、何時間も説教されるというのは異常なことで『ハネムーン期』でチャラになるものではない!
 「モラハラ加害者向けのカウセリングを受けている。俺は変わるから、戻ってきてくれ。」あなたが今後変わろうが変わるまいが、もう修復不可能なんですよ。何度も何度もあなたにイエローカード出しましたよね?でも変わらなかったじゃないですか。そんな薄っぺらい空手形はNO THANK YOU!
 「あのときに家族全員で喜びを分かち合ったではないか!」いや、お付き合いしていただけで本心は「もういい加減にしてほしい…」でした。などなど

 夫は弁護士さんを雇わなかった。自分でできるという自信なのか弁護士費用をケチったのか?双方で弁護士が入ればサクサクと進む裁判所でのなんやかんやがいちいち滞る。おそらく裁判所的には意味のない↑段落のようなやり取りの末に原告(私)とその弁護士、被告(夫)と裁判官とでの和解の場が設けられた。

 「家で思いついたことを安心して話せる。そんな当たり前のことができなかったんだと実感した。別居してからの1年以上は、私たちにとってはそういう期間でした。この普通の、家で安心できる環境を私たちは手放す気はまったくありません。」
 頭が真っ白になる瞬間もあったが、なんとか気持ちを言葉に絞り出した。

 夫は離婚を認めた。これから財産分与や養育費などを決めるのにまだ時間はかかるが、ようやく光が見えた。

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