22.老いるということ

 私の両親は同じ県内に住んでいる。車で下道ばかりだと片道2時間弱の距離だ。ときどき仕事がない日に様子を見に帰っている。というのも父が痴呆症で、母が一人で面倒を見ているから。

 最近では孫の名前どころか娘である私の名前も分からなくなってきた。まだ入浴や排泄(粗相はする)などは自分でできるが、痴呆症の家族を一人で看るのはしんどい。無くされては困るものは父が触らないように保管。たいがい家の周りの畑で農作業と本人が思っていることをしているが、他の所へ行ってしまわないように常に気をつける。息が抜けないのだ。
 週イチでも昼間に母が一人で過ごせる時間をと考え、ケアマネージャーさんと相談してデイサービスの利用も試してみたが本人が嫌がって断念。いっそのこと施設に入れてしまいたいが、特養は待ち人数が半端ないし民間は料金が高い。嫁に出た私が、私の両親のために我が家のお金を使うわけにもいかず、かと言って両親に蓄えはあまりなく…。

 私には兄がおり、兄夫婦とその子どもたちが同居していた。しかし、20年ほど前に兄は他界した。程なく義姉は子どもたちを連れて実家に帰ってしまった。
 父が11代目の古い農家なので、12代目は兄が、13代目は孫の男の子が継いでくれると父は安心していたのに、人生は予定通りにいかないものである。まだ痴呆症になっていない頃は、なんとか孫に継いでもらおうとする父を私と母とで説得し続けた。義姉は「私の息子には継がせない!家に縛られない人生を送らせる!」と猛反発していたからだ。義姉の言うことはごもっとも。それでも何代も続いてきた○○家を自分の代で終わらせるわけにはいかないと、父は頑なに考えを変えなかった。

 痴呆症になっても後継者問題については父の頭から抜けないようだ。ときどき発作のように「(孫の)○○をここへ連れてこい!跡継ぎの話をせないかん!」と物凄い剣幕で母に怒鳴るらしい。父の今の頭では説明しても無駄と知りつつも母は状況を理解させようとする。すると「お前はこの家がどうなってもいいのか!」と母を攻める。途方にくれた母は私に電話をしてきて、私が父と話して何となく解決したような気分にさせて終わらせる。何度もこんなことを繰り返している。

 老いた両親を少しでも私がサポートするしかないので、体力と時間を作っては実家に通う。父の成人後見人の申立の準備も進めている。今後まとまったお金が必要になったときに私が父の代わりに不動産を売却できるようにだ。それでも、もしも我が家のお金を使うことになったときには「私も稼いでいる!」と夫に主張できるようにパートも頑張る。一人っ子の夫の両親も今はときどき義母のご機嫌うかがいに行くだけだが、そのうち手助けが必要になるだろう。

 親が老いるとは何とも大変なことだと、現実にそうなって思い知る。私が老いたとき娘たちには迷惑をかけたくないとも切実に思う。でもそうするとモラハラ夫の世話を私が最後までしないといけない。ああああ、自分たちが老いるのも大変だ。この「大変」を乗り切るために、休めるときは休もう。手を抜けるところは手を抜こう。それが苦手だからパニック障害やうつ病になったんだが、これからは上手に生きていこう。

 

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