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伴野文亮、茂木謙之介『日本学の教科書』

茂木さんから。仕事量に圧倒される。

東北大学現代日本学研究室による日本学成立のマニフェストとして拝見した。

学際と国際という二つの際を掲げた方法と実践は、本務校の大学院で「国際日本学研究指導」という、身に余るコマを担当している自分にも刺激的であった。

ゼミで、在学生と『鬼滅の刃』や『ゴールデンカムイ』と日本近代史の知識の関連付け方をおしゃべりしていたときに、「『呪術廻戦』はどうか?」と言ったらみんなぴんと着てなかったので、本書で茂木さんが書かれている『遠野物語』と『呪術廻戦』の釘崎野薔薇の関係を読み解いていく表象文化論の実践例を示したところ、「すごい」と驚いていた。みんな興味を惹かれるようだ。

佐藤弘夫先生のコラムにある「近代化の進展によってすべての課題が解決するというストーリーが描けない」(p.29)という指摘も、「現代」を掲げる学の出発点としてとても重要なものと思った。折しも高等学校において、「歴史総合」の授業で、「近代化と私たち」「国際秩序の変化や大衆化と私たち」「グローバル化と私たち」ということが問われるようになった今こそ、繰り返し確認する必要があるとも思った。

本書では、キャラクター文化とか、留学生の指導で「こういうことをやりたい」と学生が好みそうなテーマを一通り配している点も興味深かった。それはウケ狙いとかではなくて、それは、常に外の目をよく意識して受け止め、既存の学の批判的に越えようという意図に出るものだろう。既存の学という意味では、日本史や日本思想史と日本学との差別化という課題も掲げられていて、考えさせられた。

そもそも思想史自体が学際的な領域といえるように思うのだが、こうした領域を「越境」していく試みを面白いなあ。と思う一方で、自分の中の保守的な部分というか、歴史以外の手法が果たして自分が実践したり指導することができるだろうか?と考えながら読んでいて、それに気づいて思わずハッとするようなところがあった。

院生の論文指導をしている時ほど「そんなことできる?」と、テーマを面白がれずに、もっと着実な手法でやるべきではないかと必要以上に促しているところがあるのではないか。反省もした次第です。これからの学を作っていく上では、自分の方法の押し付けではなく、その長短両方に意識的であることが必要だろう。

むろん海外の日本研究といっても、あちら側の状況もどんどん変わっていくわけで、現代日本学というのも、こういうメニューが出来たから良いというものではなく、これからも批判的に組み替えられていく質のものだろうと思う。

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