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「プロイセン気質の日本人―明治の外交官・青木周蔵の横顔」展@久米美術館

日独交流160周年記念Ein preußischer Japaner「プロイセン気質の日本人―明治の外交官・青木周蔵の横顔」展に行った。

岩倉使節団がドイツに行ったときに、ドイツ留学中だった青木が一考を迎えたといい、木戸孝允とも交友があったことから、久米の同時代人として、久米美術館で展示をすることになったらしい(会場で配布されていた『久米美術館館報』38号による)。

これまで青木がドイツ通であり、ドイツびいきであることはなんとなく知ってはいたのだが、例えば「青木周蔵は、”ドイツ人”と呼ばれたほど、後年ドイツ贔屓で有名になる」(西川誠「明治初年の青木周蔵」犬塚孝明編『明治国家の政策と思想』(吉川弘文館、2005)p.51)という評価がある。

これを読むにつけ、自分としてはあまりよく知らないで、でもいや、あだ名がドイツ人ってそんなことってある???というような不思議な印象を持っていたのであるが、展示を見て、これはそう呼ばれるのは宜なるかな、と思った。

何しろ妻がプロイセン貴族の令嬢で、さらに娘も、駐日ドイツ公使館勤務の人と結婚していて、子孫はいまオーストリアのシュタイレック城にお住まいというのだから。

青木が着用していた大礼服など、かずかずの遺品はなかなか見応えがあったが、それよりもプライベートであんなに嬉しそうな青木周蔵の顔に全部持っていかれた感じはする。家族・こどもの前でニッコリしている青木周蔵、なかなか想像できなかった。

青木周蔵の一番有名な写真(国立国会図書館「近代日本人の肖像」)

子供たちや家族の前ではよき家庭人たろうとしたのだろうな、ということがよくわかった。子供宛の手紙もほほえましいものだった。

独逸学協会の展示も興味深かった。桂太郎との関係にも改めて気づいた。

展示図録も充実の内容である。真辺美佐さんからいただいたが、真辺さん御執筆のご論考「明治時代の皇室の西洋化」では、外交儀礼における写真の位置や、皇室における洋装の受容などが外交の一環として積極的に取り組まれている様子が論述されている。

展示は2022年6月5日までとのこと。

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