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いいねしてくれた人たちのnoteを読み続けて分かったこと【いいね読み振り返り】


1.「いいね読み」はじめました

 「自分の投稿にいいねを押してくれた人のnoteなど文章を読んで感想を書く」という企画にチャレンジした。「いいね読み」と呼ぶ人もいるらしい。

 パーソナルコーチのゆいとしまささん、本紹介ブログ管理人のセトショウヘイさんの投稿をタイムラインで見かけたことがすべてのはじまりだった。

 誰かと交流したいとか世界を広げたいとか、そんなことは頭になかった。ただただ「なんとなく面白そう」と思っただけ。直感で僕もやってみることにした。読書が好きなので大量の文章を読むことは元々苦じゃない。

 僕と同じ日にコーチのijuさんも始めていた。僕ら4人でまさに「いいね読み四兄妹」である。僕は三男坊としてのびのびやらせてもらおう。

 正確に数えてないが80人程度の文章を読んで感想をXに投稿したはずだ。

「なんとなく面白そう」ではじめたこの企画は、当初の想像をはるかに超えた出会いや発見に満ちていた。この記事では企画を通して僕が考えたことや今後の展望について書き残しておく。

2.SNSでは誰もがみんな、どこかの集落の一員

 僕の投稿にいいねをつけてくれた人の多くは、今まで僕が交流したことない人たちだった。初めて見るアカウントばかりである。それだけじゃない。みな僕のタイムラインに間違いなく普段出てこないタイプだ。本当に未知のアカウントである。

 僕のタイムラインはあえて分類するならば「サッカータイムライン」である。繋がりがあるアカウントの多くはサッカー好きの縁だし、僕自身が一方的にフォローしているアカウントにもサッカー関連が多い。

 しかし今回僕が感想を書かせてもらった多くの人々のプロフィールや日々の投稿、noteには当然サッカーのサの字もない。普段僕がタイムラインで見ているものとはまったく異なる世界と時間が流れていた。

 Xにはいったいどれだけ「コーチ」と名乗る人がいるのか。ひょっとして美容師の数ぐらいいるのではないか。本を出版していなくてもnoteに小説を書いて発表している人がこんなにいるなんて。どちらもこの企画がなければ感じなかったことだ。

 こういう体験をするとよく「狭かった視野(世界)が広がった」の一言で「学び」をアピールする人がいる。別に視野が広くなること自体が素晴らしいことなのではない。視野を広げて何を考えたかが大事だ。語るならそこだろう。

 視野が狭いとは「タコツボの中にいる」や「ムラの中に閉じこもっている」と言い換えることもできる。

 そう、僕はとあるムラの一員だったのだ。いや、ムラというには小さすぎるかもしれない。集落だ。サッカー地域のJリーグ村の北海道コンサドーレ札幌ファン大集落の中にある一集落。簡単にデフォルメするとそこが僕の集落、つまりタイムラインだった。

 そんな集落にいる僕が、普段集落にいない人たちと偶然の出会いを果たす。それこそ今回の企画で起きたことだ。

 では反対に企画を通して僕と出会った人たちはどうなのだろう。その人たちからするとおそらく僕は異分子だ。僕をフォローした途端、サッカーや読書の様々な情報が一人の人間から流れてくるタイムラインができあがる。彼・彼女たちにとっても僕は「ムラにはいなかった人」なのだ。

 そう考えると集落の一員だったのは僕だけじゃない。今回出会ったあらゆる人、そしてまだ出会っていない人もみんなそれぞれがどこかの集落に属している。それがSNSの世界だ。極端な話、視野が狭いのはみんな同じ。だってみんなしてどこかの集落の一員なのだから。

 でもこうやって新たな出会いをすると自分の住む集落に違うタイプの人が増える。そうやって少しずつ集落の大きさを広げていくことが「視野を広くする」ということなのだろう。

3.僕に足りない憧れの「情緒系エッセイ」

 様々な文章を読んで比較することで自分の文章の特徴がくっきりと浮かび上がってくる。自分が書いてこなかった文章、書けないであろう文章、書いてみたい文章、いろいろだ。

 その中で自分が今まで書いたことなく、今後書ける自信もあまりない文章を「情緒系」と仮にラベル付けしてみた。どことなく情緒が文章から感じられ、エッセイに多い。

 僕の文章は論述に近い気がする。noteでもXでも文章を投稿するたびに「ぱっとみ温度感なく見られるんだろうなあ」と感じている。

 読んでくれた人から話をたまに聞くと、じっくり読めば文章の中にある熱さを感じていただけるようだ。ありがたい。僕の文章に感情がないわけではない。おそらく理屈がまず前に来て、感情が後ろからついてくるような文章なのだと思う。だから温度感なく見えるのかもしれない。

 それはそれでいいと思っている。理屈の中に熱を込めてる方が僕の普段の性格にも合っており、無理にキャラを作った感じがしないからだ。

 今回いろいろ読んで、僕のような文章のタイプがめずらしいことに気がついた。特にエッセイは、ほぼすべて感情や感覚が先行する文章である。中には「詩なのでは?」と思ってしまう文章も見かけた。

 正直なことを書きたい。このような情緒系の文章は、芸能人などの有名人や小説家が書くから読みたくなるものだと僕は思っていた。知ってる人間だから情緒に強く振られても読みたいと思えるのだと。

 ところがそんなことはなかった。どの文章もおもしろい。恥じ入るばかりである。特に、自分の感覚や周りの情景の描写はこんな風に世界を書くのかと大変勉強になった。同時にこういった「情緒系エッセイ」に少し憧れる自分にも出会った。

 僕もなにかエッセイを書いてみたい。早速影響されて書いたのが以下のエッセイである。エッセイなのかすらよくわからないし、情緒が感じられるかも自信がない。自分が企画で読んできたものとは似ても似つかない気がする。でもまずこれが第一歩だ。

4.やっぱり「好き嫌い」を書いていきたい

 色々なタイプの文章を読みこむと自分の「好き嫌い」が研ぎ澄まされていくのを実感する。いや、ちょっと言葉が強すぎるかもしれない。なんとなく自分好みの文章が輪郭をおびて分かってくるという話だ。「好み」は面白いとはまた違う。みんなそれぞれ自分の中にしかない感覚だ。

 僕はつくづく「良し悪し」よりも「好き嫌い」の話が大好きなのだ。好き嫌いが主観だとしたら、良し悪しは客観に近い。ある尺度に基づいて「みんなにとって良いか悪いか」と判断していく。「役に立つ」から「良い」というのはその一例だ。

 じゃあ良し悪しの話がダメかというとそんなことはない。単に僕が「好き嫌い」の話を欲しているというだけなのだ。それが役に立つか、良いものかは関係ない。「ただただ好きだからこういう選択をしてます。結果として役に立ちましたが、そんなの人によりけりです」。こういうのを欲してるのだ。もっともこれが一般的な好みじゃないだろうというのは分かっている。

 僕は書評家を名乗っているし、年間100冊以上本を読む。書こうと思えば「年間100冊本を読むためにやったら良い心得」みたいな話ができるかもしれない。でも僕は書かないだろう。内容は同じでも「僕は!こういう読み方が!大好きなんですーーー!!!」ってパッケージで書くような気がする。

 今まで書いてきたnoteを思い返しても、僕はできるだけ「好き嫌い」の話を書いてきたつもりだ。あまり自信はないけど。僕に改めて自分が「好き嫌い」の話を書いていきたいんだということを教えてくれた企画だった。

5.これからどうしようか迷っている話

 今回の企画を経て僕の発信意欲はさらに高まった。自分ももっと書こう、書きたい。心からそう思っている。もちろん今までも書きたい気持ちはあった。特に今年からnoteは書評をメインに必ず毎週投稿してるし、月一でウェブメディアの書評連載も持たせてもらっている。

 僕の発信意欲の中でより大きく膨れ上がったのが「読まれたい」という気持ちだ。読まれたらいいなとは思っていたが、今まで「読まれるためにどうするか」と特に考えた自覚はない。無自覚に実践できていることはあるかもしれないが、少なくとも戦略を立てたことなんてなかった。

 「読まれる」となるとビュー数やシェアなどの反響が指標になるが、僕の視線はその先にあるだろう「求められたい」に向いている。

 自分のnoteやポッドキャストの発信は、いわば自分が「勝手に」やっていることだ。「求められる」とは依頼を受けて何かを書いたり、オファーされて出演するような話である。自分の発信が価値あると認められた指標だ。これまでの自分には、ウェブメディアでの連載やラジオへのゲスト出演の経験はある。そういうものを増やしたい。

 このような思いも踏まえて、noteを読まれる工夫を中心にいろいろ考えてみたい気持ちだ。その反面、自分は「読まれたい」よりも「書き残したい」・「頭の中を出したい」という衝動が強い気がしている。でも読まれたくないわけじゃない。いったいどうしたものだろうか。何から考えようか。迷いは深まっている。

6.今後の「いいね読み」について

 僕にとって「いいね読み」は強力なコミュニケーションツールだった。僕も含めみんな誰しも自分の文章を読まれて嬉しくない人はいない。読んで感想を書くという流れからやり取りが発生し、繋がりが生まれる。これは素晴らしい機能だと思った。

 もっともこの機能には弱点がある。それは「大量の文章を読まないといけない」点だ。時間と読むエネルギーが必要になる。だが僕は「読む」という行為が、「聞く」や「見る」よりも全然苦にならない。だから読んで感想を書くことはむしろ省エネに近い。ならば今後もやらない手はないだろう。

 あまり高頻度でするつもりはないが、2~3ヶ月に1回を目安に不定期で「いいね読み」をやっていけたらと思っている。あくまで予定だ。その際はぜひともよろしくお願いいたします。

 最後に、今回「いいね」をしてくれたり、感想にコメントをくれたり、盛り上げてくれたみなさん、本当にありがとうございました。これが縁で繋がったみなさん、これからどうぞよろしくお願いいたします。

 では、今度の「いいね読み」でお会いしましょう。

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