近況(希死念慮と将来)

先日仕事をしていた時、職場の人ふたり(ともに30代、40代くらい)が若者の自殺の話をしていた。
20代の自殺が多だか増えただかという内容で「20代なんて人生これから、いくらでもやり直しができるからもったいないのに…」という話だった。
私はあんまり自殺のことは詳しくないけれど、自殺をする根底には現在や未来への絶望があると思っていて、そんな絶望を目の前にして「自分はまだ若いからこの先やり直しがきく」と考えろって方が無理じゃないか?と思ってしまった。
そもそもそれは未来を志望している人の言い分であって、自分にも未来にも期待していない人にとってはそんなの関係なくて、現世にはもう何も望まないので早く死にたいと思っているのではないか。

これは私が主体性や自主性がかけらも無い人生を歩んできた結果なのかもしれないけれど、未来に希望や夢や目標を持つことは、とてつもなく難しいことだと感じている。
将来自分がどうなりたいというビジョンが全く見えないまま生きているのは、樹海の中をただ目的地も無く歩いているのと一緒だ。

別に私は今死にたいわけではないけれど、生きていたいわけでもない。
これまでの人生で死にたくないと思っていた時期はあるけど、生きていたいと思っていた時期はない。

今年の秋、2か月ほど「死にたくない!」という感情を明確に抱いて生きていた時期があって、「人生第2期だ!!」と浮かれていたけれど、気づいたらそれも終わっていた。
希死念慮が始まったのは中学2年生頃からだったと思うから、かれこれ10年以上の付き合いになるけれど、この期間で明確に死にたくないと思っていた時期の方がはるかに短くて、まあある意味元の自分に戻ってきたな…という感じがする。
とはいえ、何も影響がなかったかというとそうでもなく、思考回路は確実に改善していて、極端に落ち込んだり明確に死にたくなったりすることは無くなっている。人生第2期はあながち間違いではないと思っている。
ただ本音では、もう少し近い将来でも良いので何か目標意識を持って生きていきたい。その方が、遥かに生きやすい。
資格の勉強やら知識の習得やら業務の改善やら、将来に向けて前向きに取り組めている人を見ると、なんでそういう思考回路になれるのか本当に不思議である。なんでそんなに頑張れるのか切実に教えてほしい。

まあ近況としては、そこそこ元気に生きています、ということになります。
自分が死んだ後のことをより具体的に考えるようになってて、とりあえずいつ死んでも良いように遺言書的なもの(遺書ではない)を書いてそれをわかりやすい場所に置いておかないとと思っています。死ぬ予定はないです。

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