見出し画像

私が写真を撮る理由

「生まれてから、現在までの写真を用意してください。」

今から約10年ちょっと前のこと。
結婚式の準備が最終段階に入っていた。

式場はもちろん決めている。
招待状の発送も抜かりはない。
新婦のドレスもバッチリだ。
新郎の私の衣装はどうでもいい。
だが、ただ一つ、どうしても準備できないことがあった。

「昔の私の写真」だ。

結婚式の段取りの中で、「お色直し」という(私にとっては)謎のイベントがあり、このイベントが発生すると、新郎新婦が何故か披露宴会場から中座し、しばらくすると衣装チェンジして再登場するという現象が起きる。
私たちがおこなった結婚式でも、担当していただいたウェディングプランナーさんの適切な判断により、このお色直しというイベントが発生することがあらかじめプログラミングされていた。

お色直しイベントが発生すると、新郎新婦が中座するわけで、言わば主役2人が会場からいなくなるという現象が起き、自然と、主役不在の会場では、ゲストの皆様の団らんが開始することとなる。
そして、「さぁ!お色直しが済んだ新郎新婦が再登場しますよ!」という段になった際、新郎と新婦の生まれてから現在までの写真を、小粋な音楽に乗せて、スライドショーを上映し、団らんをぶった斬り、ゲストの皆様の注目をスクリーンに集め、スライドショーが終わった隙に新郎新婦が再登場し、一同の注目をまたかき集める。
これがウェディングプランナーさんの作戦であり、(当時の)いわゆる一般的な結婚式でよく使われていた手法であると思われる。

そして、ウェディングプランナーさんに、冒頭の言葉を告げられたのです。
スライドショーを作るために、生まれてから現在までの写真をください。それをスライドショーにするから、いついつまでにください。と。

さて、少し困った。

私はいわゆる昭和生まれの人間で、大学生になった20歳ぐらいのときに、ようやく自分も含め、周りに携帯電話がほぼ普及したかな、という世代でした(高校生のときはPHSを持った進んだ友達がいた、ぐらいの世代です。)。
今のようなスマホはなく、携帯で気軽に写真撮るみたいな社会ではありませんでした。

というわけで、スマホ持ち始めた社会人以降については写真をデータで保有しているんですが、「幼少期〜成人前」ぐらいのもの、いわゆるフィルムを現像した写真(たいていは紙媒体の写真アルバム)を用意しなければなりません。

(余談)
小学校低学年の頃、母親にお使いを頼まれて、家のカメラのフィルムを写真屋さんに現像出しに行き、そのお釣りはお小遣いとしてもらっていたのは良い思い出です。
(余談終わり)



10歳を過ぎた頃、父親から、「お前はもう育てない。」と言われました。

この理由は、今でもわかりません。
私が何か特別に怒られることをしたわけでもない。
父親が無職になったとかでもない。
家庭で何か特別なことが起こったとかでもない。
私の何か言動が気に入らなかったのか、父親が、急に、私を育てないと宣言しました。

何度ごめんなさいを言っても無視をされました。
一晩寝て、次の日になって、もう一度ごめんなさいを言えば、今までみたいに許してもらって、仲直りに何かおもちゃを買いに連れて行ってもらって、そのおもちゃで弟と一緒に遊ぶんだ。そんな淡い期待もしましたが、叶いませんでした。

ごめんなさいを言っても無視される、と言いましたが、一番ショックだったのは、父親の眼球が私の方に動かなかったことです。
人は何か話しかけられると、そちらに向くかはさておき、眼球が(ピクリと動き)反応するんですが、私はそのとき初めて「眼球が反応してくれない違和感」を体験しました。
私は文字通り、父親の眼に映っていませんでした。
父親は、母親や弟とは今まで通りに普通に話をします。普通に接します。
母親は3日間、父親と話合いをしたようですが、父親は私に対する態度を変えることは結局しませんでした。

10歳の私は、この状況をどうすればいいのかという回答を導き出すことを10歳の私に要求してみましたが、10歳の私は回答不能としか答えられません。
ただ、もうこの家にはいられないんだろうなとは自覚できました。
お小遣いを貯めていた貯金箱代わりのお茶缶の中身を全部ぶちまけると、5000円ぐらいは入っていました。
地方にいる親戚の家に行く交通費には足りる感覚ですが、少し心許ない。
すぐ横に、同じく弟がお小遣いを貯めていたお茶缶があったので全部ぶちまけてみましたが、1万円札が2枚も入っていました。
弟、ごめん、せっかくお年玉貯めてたと思うけど、これ、お兄ちゃんに貸してね。
当時私が持っていたカバンの中で一番大きなものがランドセルだったので、ランドセルに着替えやお小遣いをつめて、家を出ることにしました。

家を出る直前に、母親に見つかりました。

母親は号泣しながら私を抱きしめ、「あんたは出て行かなくていい。お父さんがなんと言おうと、あんたはこれからお母さんが育てる。」と言いました。
他にも何か言っていたような気がしますが、覚えていません。私も、すごく泣いていたから。



専業主婦だった母親は何やらワープロ(パソコンではないところに時代を感じる。)をぽちぽちしたり内職を始めました。
私は父親とは関係を断絶したまま同居をするという異様な状況で育ち、その後、成人し、家を出ました。
私は、父親から今で言う「ネグレクト」を受けていたのかもしれませんが、たぶん、あまり恨んでいません。なんだかんだで父親のお金も使って、生きてきたはずだから。
結局、住む家があって、ご飯があって、母親が学校を通わせてくれて、弟も元気で育ってくれて、こんなに幸せなことがあるでしょうか。




話がだいぶ逸れました。結婚式の準備の話に戻ります。

実家に帰って、自分のアルバムを見返すと、私の写真は幼少期から小学校低学年で止まっていました。
その後あるのは、修学旅行とかの全体写真がちらほらと。
家族旅行にも行ったことがないですし、友達と一緒に旅行に行くなんてこともありません(後者に関しては経済的理由というよりは私の人付合いが下手的なことが理由だと思います。)。

自分の結婚式の準備をしたとき、半生を振り返り、気がつきました。
私は、「写真を撮ってくれる人」がいなかったんだ。と。


結婚式当日。

例のスライドショーが流されました。

写真を撮ってくれる人に囲まれた完璧なグラデーションが表現された新婦のスライドに比べ、私のスライドは、小学校入学の幼い写真から、いきなり大学卒業式で仲間と飲んでいる写真に飛びました。
会場では「?」という雰囲気が流れたようです。
そんなこととは関係なく、結婚式は、ゲストの皆様のおかげで、今でも忘れられないぐらい楽しませて頂きました。




そして私に子供ができました。

私が生まれたての子供を抱いている姿を、看護師の方が、私のスマホで撮影してくれました。

この写真が、この子の「1枚目」です。

この子の写真を撮り続けて、この子が結婚式でスライドショーを作成するとき、数テラバイトの写真データを送り付け、スライドショー作りを逆に難航させてやるのが、私の夢の一つです。

この子の生きる軌跡を、ずっと撮り続けられることができるのならば、こんな幸せなことはないと、今日も写真を撮っています。


#写真が好き

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?