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Encourage #1 「病気からの再出発」

◆NEFNEに関わる人たちによる自由連載《汽水域の人々》
雑貨屋&フリースペースのお店「NEFNE」で交わるひとびと。多様な執筆陣がリカバリーストーリーをはじめ、エッセイ、コラム、小説など好きなように書いています。


朝になって目覚めると、どこからか子供の元気な声がする。おそらく学校の登校のあの一日の始まりであろう。

 「なにあのオッサン、なんでおるの。」

 「へんなのー。」

 「ハハッー。」

と言って子供たちが去っていく。子供たちは、多分自分とは関わりがないだろう。


会話する話は、何を言っているのかわからないが、笑い合う声は、はっきりと聞こえてくる。それがまるで自分に、何か笑われていると感じずにはいられない。自分は家の中に居て姿は子供たちから見えないのにそんな風に聞こえる。もう何年も同じ事を繰り返して、世代が変わっているのにも拘わらず同じ症状に恐怖すら覚える時もあった。

「なぜこのような苦しみを生むのか?」と運命を憎み、投げ出してしまった。

今にして思えば「ああ、もったいない。何かできる事はあったのではないか?」と感じてしまう。何故、いい加減に接してしまったのかと後悔する日々。

この症状に悩まされる前、どうも色々と心の葛藤があったように思う。夕方の小学校で見る夕陽に「ああ、これから大変だな…」と予感めいたものを感じ取り、しきりにむなしさを思い出す。それからネガティブ思考が消えなかった。悪い流れを止められずに心の奥の方で息づいて根をおろしていた。

4、5年かけて伸び続けた悪い枝はネガティブやストレス、プレッシャーなどの行き場を失ったドス黒い物になって突然自分に返ってくる。それまで築き上げてきた信頼や精神が崩壊してしまう事になるとは思いもしなかった。

次第に友達も離れていった。今にして思うことはストレスやプレッシャーをさらけ出す勇気がないことに気付いた。本音を友達に言ったりすることで、心の闇に気付いてもらい助けを呼んでもらう。そういうことをしなかった。それをしたら良かった。これから起こる大変な病気との格闘をせざるを得ない状況に放り込まれる。


ここから終わることのない闘病生活が始まった。


発病したのは十六歳。それから残りの人生を考えるとその時はまさかここまで苦しむとは想像できなかった。薬物療法と作業療法がどれほど効くかわからない。人々によって差がある。


不安が滲む。油断はできない。説明するのが難しいが簡単に言うと、自分には聞こえて他の人にはわからないのである。油断できないと書いたのは、誰かに見られていると感じて、気が抜けずそして間を置かず誰かに話しかけられる。誰かというのは人ではなく幻である。そうして眠るとき以外に休めないのである。ある人は本当にそこに人が居るように感じる。ある人は本当に幻の声が聞こえるのである。


「何であんな所にあの男がいるんだ。こっちをずっと見てる。」


「なぜなんだ。なんであの男は俺を狙う。」


「あの二人組どうしてこっちを見ながら笑っているんだ。」

と被害妄想や緊張、恥ずかしさで逃げたくなる状況にも出くわす。今まで感じなかった事に敏感になり様子が一変する。それまでにあった、おだやかで楽しかった世界が症状の表れとともに地獄に突き落とされる。

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誰でもそうだ。生きていれば悪い事も起きる。改善したかと思えば、また、悪くなる。その繰り返しでどんどん疲弊していく。考える事もなかった事まで考えるようになる。今の状況がどれほど過酷で無慈悲で生きていくのが投げ出せたらと思う始末。嘆いた所で何も始まらない。


耐える事しかなかった。耐える事しか生きる術がなかった。


悪夢が醒めないまま、月日は流れ…。


「自分はこのまま流されるだけなのだろうか?抗う術はもうないのだろうか?このままでは終われない、終わっても何も残らない。」


そしてその日を最後に、ネガティブな思考が止んだ。そう事態がいくらたっても好転しなかった。失ってばかりで気が付けば家族だけそばにいた。

外に出るたびにどこか通ると笑われる。

「あいつおかしいなぁ、なんであんなにビビッてんねん。大丈夫か。ほんまに。」

誰かが何気なく言った、からかいと同情の言葉に翻弄される。

「屈辱…」そう思わずにはいられない。そう感じていた。そうして何か自分の奥底にある灯台に火が付いた。

「このままじゃ、死んでも死にきれない。せめて家族には今まで世話になった恩を返さないとな。」

目の色もあざやかに光が戻った。ひからびた植物に潤いがすみずみまでわたるように、今までの挫折や失敗を打ち消すような光となった。

そこからようやく負の連鎖から抜け出した。なんでも率先して自分から進んでするようになり、脇目も振らず一心不乱に色々な事を身に付けた。

家事や仕事も少しずつ任されるようになり、頼りにされる。自分を必要としてくれている。

それが何より大切だ。そして心の栄養となり、人としての年輪を重ねる。

こう思って終わろう、いつの日か我々の生き様が誰かの救いとなる事を…

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【今回の執筆担当者】
コズミ/40代男性。統合失調症。若くして発症し、入退院を繰り返しながらもエッセイやお笑いなど発表。趣味は宇宙を勉強すること。

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